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超巨大カルト、バチカン研究:(10)オプス・デイの正体とネオコン
今回の標題は『世界統一神権国家への道のり』という文句を削っています。政治・経済・宗教が一体化した世界神権国家つまり「地上の天国」実現に奔走する現代バチカンの中心勢力オプス・デイとは何なのか、をここでまとめてみる必要があるからです。
また同時に、現在世界を引きずり回すもう一方の旗頭ネオコンとの関連についても論考してみたいと思います。これはまだ極めて不完全なもので、「話のきっかけ」としての位置づけしか出来ないでしょうが、いずれは話を及ぼさねばならないテーマです。
この『超巨大カルト、バチカン研究』シリーズの過去ログはこの投稿の最後にまとめて一覧にしておきます。
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超巨大カルト、バチカン研究:(10)オプス・デイの正体とネオコン
■今まで日本ではほとんど知る人の無かったオプス・デイも「ダ・ヴィンチ・コード」のおかげでその名が多少は知られるようになった。しかしこの小説で描かれるような、裏社会で闇の権力を握る中世的な不気味さを漂わせた秘密教団のイメージでこの教団を見るならば、全くその正体を見誤ってしまうだろう。
確かにこの教団(創設1928年)の初期には、ヌメラリーと呼ばれる僧職あるいは独身を守る会員の中にはとげの付いた鎖帷子を身に付け自らの背中を鞭で打ってこの教団に忠実であろうと務め苦行する者たちもいたかもしれない。しかしその初期であっても教団の圧倒的多数を占める世俗会員たちがそのようなことをしたとは思えない。
現在オプス・デイの会員は世界に約8万4千人と言われるが、その中心になっているのは、スマートに着こなしてウオール街で仕事に励む証券マンやエコノミスト、重役室で経営戦略を練る銀行や企業の幹部、オフィスでてきぱきと依頼の処理に励む弁護士や会計士、ロビーとの折衝や外交に忙しく飛び回る政治家とそのスタッフ、その他、高級官僚、軍の幹部、マスコミの編集委員や作家・評論家、大学教授や学者といった、有能な社会エリートたちなのである。(<超巨大カルト、バチカン研究:(5)「米国・バチカン同盟」の軌跡とオプス・デイ>を参照のこと。)
しかしこの教団には正式な会員の他に「協力者」という名目のシンパたちが数多くおり、その規模や実体は必ずしも明らかではない。それは社会の有力者層に意外なほど幅広く浸透し非常に柔軟な構造を持っているように思える。
カトリックの僧職に就いている者は2千名余りだが、現在バチカンの実務を取り仕切って「実質的な教皇」と言われる広報室長ホアキン・ナバロ・バイュス、枢機卿の中で影響力の大きさを誇るフリアン・エランスとルイス・シプリアニは自他共に認める正式な会員だ。そしてローマ教皇ベネディクト16世は先代のヨハネ・パウロ2世と同様にこの教団の重要なシンパであり、バチカン市国の国務長官アンジェロ・ソダノはオプス・デイに極めて親密で隠れ会員と目される。またカトリック・シオニストとしてイスラエルの信任が厚いクリストフ・シェンボーンもこの教団に近い。バチカンはすでに完全にオプス・デイに乗っ取られていると考えて構わない。
世俗社会でも、「EUの父」として知られるロベルト・シューマン、チリの元独裁者ピノチェット、元イタリア首相アンドレオッチ、ポーランドの労組「連帯」の委員長で後に大統領となったレフ・ワレサ、元スペイン首相アスナール、現イタリア首相ベルルスコーニなどが会員、あるいは極めて近いシンパと言われる。またEU執行部と議会のほかに、イタリア、スペイン、フランス、ベルギーなどの国会議員や政府閣僚には会員が大勢いるし、スペイン国王フアン・カルロスを含む欧州各国の王族や貴族にも会員とシンパの層が広がっている。また以前からバチカンと表裏一体のロスチャイルド系資本とのつながりは当然で、閣僚に会員を登用した英国首相トニー・ブレアはカトリック教徒である妻に引きずられてオプス・デイに接近していると言われ、英国聖教会との馴れ合い的な関係も疑われる。レーガンとブッシュ父子といった米国大統領はこの教団には頭が上がらず、歴代のCIAやFBIの幹部にもオプス・デイ関係者は多いと噂されている。
「伏魔殿バチカンに巣食う薄気味の悪い秘密教団」のイメージでこのカルト組織を見ているととんでもない思い違いをしてしまうのだ。彼らは現実に世界を動かす巨大は実力をすでに身に付けているのである。
■神学的な屁理屈はともかくとして、実際のオプス・デイからうかがわれることは、この教団こそまさに『キリスト教的な粉飾を施したある種の世俗的なメシアニズム』の典型と言える点であろう。これは<超巨大カルト、バチカン研究:(7)「世界統一神権国家」への道のり(B)シヨンからオプス・デイへ>でも述べた理念からも解ることだ。一応『キリスト教的な粉飾』をほどこしているので、例えば「原罪」などの概念は持っているが、その位置づけは従来のカトリックと比較すると見えないくらいに水で薄められている。
ここでオプス・デイ自身のサイトからThe most important "business": the children(最も重要な「ビジネス」:それは子供作り)と題される文章を見てみよう。
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http://www.0pusdei.com/art.php?w=32&p=10520
【前略、翻訳・引用開始】
キリスト教の地でさえ、人々はしばしば仕事を神から与えられた罰であるとみなしている。最初の親【アダムとイブのこと:訳注】が原罪を犯した後でエデンの園から追放されるときにヤーウェが言った言葉は十分に馴染み深いものである。「お前たちは額に汗してパンを食べなければならない。」しかし多くの人々は次の神聖な命令を忘れる。「増殖しそして何重にも増やし、この地を満たして支配せよ。」主が男と女を自分に似た姿で作ったときのことである。
【後略、翻訳・引用終り】
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最初の「キリスト教の地でさえ【原文:Even in Christian lands】」は奇妙だ。旧来のカトリックは、アダムとイブが犯した罪の結果として人間は苦労して働き子供を産まねばならなくなった、という聖書の解釈をしているのだから、「キリスト教の地だから」ならば話はわかるのだが。オプス・デイはキリスト教とユダヤ教をゴチャゴチャにしているのだろうか。(ホンネがポロリとこぼれたのかもしれない。)
また「増殖しそして何重にも増やし、この地を満たして支配せよ。【原文:Increase and multiply, fill the earth and subdue it,】」は日本語の旧約聖書では「産めよ増やせよ、地に満ちよ」となっていることが多い。この文章の聖書から引用ではそれに「支配せよ」がくっついている。まあこれが一神教の本質的な思想なのだろう。そしてこの論文では原罪の意味よりも増殖して地球を支配することが強調されている。これが人間にとって最も重要な「ビジネス」である、という主張なのだ。この点は面白いことに文鮮明の統一教会と全く軌を一にしている。
しかし何といってもオプス・デイの聖書解釈の特徴は「仕事」に関するものであろう。旧来のカトリック教会は旧約聖書創世記2:15を「主なる天主は、人間をとらえてエデンの園に置き、そこを耕させ、守らせた。」と解釈してきた。オプス・デイの創始者ホセ・マリア・エスクリバー・デ・バラゲー(以下、エスクリバーを記述する)はこの箇所を「人間は働くために創造された」という意味であると説明する。その上で旧来のカトリックが「人は苦悩のために、鳥は飛ぶために生まれた」を訳したヨブ記5:7を、エスクリバーは「人は働くために、鳥は飛ぶために生まれた」と解釈しなおした。
私はこれに関する神学論争に加わる気は無いが、原罪の結果として人間は苦しんで労働しなければならない運命を背負っている、と解説してきたカトリックの発想は大きく変えられ、オプス・デイにおいては「労働は聖性追求の特別の手段であり、われわれの内的生活―――社会の中における観想生活―――は、われわれ各人の外的な労働の生活のなかに、その源泉と推進力がある」というように、人間の労働は原罪による罰ではなく「聖性追求の特別の手段」とまで言われる。
もちろん歴史的にカトリックの中にはドミニコ会のように労働を聖性追求の手段としたグループもあった。しかし「特別の手段」つまり「最も優れた手段」とまで解釈した例はなかった。またカトリックのこのような労働観がカトリック諸国で資本主義の進展を遅らせた原因となったのかもしれない。
もちろんこのオプス・デイの解釈をマックス・ウエーバー流に軽々しく資本主義と結びつけることは危険だろうが、やはり必然的に次のような事態となる。<超巨大カルト、バチカン研究:(7)「世界統一神権国家」への道のり(B)シヨンからオプス・デイへ>でも使用した文章だが、スペインの反オプス・デイ団体のサイトから
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http://www.opuslibros.org/prensa/red_opus.htm
Opus Dei Libros:La red del Opus Dei en América Latina(ラテン・アメリカにおけるオプス・デイの支配網):スペイン語
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は、ヌエボ・ヘラルド紙(2002年11月11日)の記事を引用して次のように告げる。
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【前略、翻訳・引用開始】
コロンビアのオプス・デイ会員であるセサル・マウリシオ・ベラスケスは、世界中にオプス・デイが急速に広まったことに関して「実を言うとオプス・デイは今の時代にあっているのです」と説明した。「なぜかというと現代の人間は実際に大きな虚しさを感じており、[オプス・デイを通して]自分の存在感を与えられることによりそれが癒されるのです。」ボゴタにあるサバナ大学新聞学部長であるベラスケスはこう主張した。
エスクリバーの哲学によると、人間は日常生活のすべての活動に聖化の道を求めなければならない。
「ある人はウォール・ストリートでの仕事を聖なるものにすることができます」とベラスケスは付け加えた。
ラテン・アメリカの様々な国の大統領、長官、大富豪の企業経営者たちが、協力関係と連帯関係を保ち、そして自ら熱心な活動家としてオプス・デイとつながっている。
ある者たちは、自由主義者や左翼に対する挑戦的な言葉を出しては議論や事件を巻き起こす傾向を共有している。他の者たちは仕事での疲れを知らないペースとその根気よさでよく知られている。
【後略、翻訳・引用終り】
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彼らはウォール・ストリートでラテン・アメリカやアフリカの経済を破壊する仕事でも、大規模国際企業の重役室で中南米の貧乏人からナケナシの富を絞り上げて大富豪をますます肥え太らす画策をしていても、テレビ局でCIAと手を組んでデタラメなプロパガンダを撒き散らしても、それを完璧に行うことによって、『自らを聖なるものとして完成させている』のだ!
オプス・デイ会員は、良心の呵責どころか、神による祝福を身いっぱいに浴びながら、ネオ・リベラル経済の世界的完成に精を出すことができる、というわけだ。この教義が南北アメリカと欧州でこの教団がエリート層の中で勢力を拡大した最大の要因の一つであることに間違いは無かろう。「自分は神聖なことを行っている」という確信は人間のエネルギーを数倍にさせるものである。
オプス・デイは「宗産複合体」と言ってもよい、各国の表裏の経済に食らい込んでいる集団だ。欧州のラテン系各国の大企業はもとより、南北アメリカでネオ・リベラル経済を最も熱心に推し進めてきた(その結果として中南米経済を次々と破綻に追いやった)勢力の重要な一端を担っている。彼らにとって最も重要な仕事は経済活動と情報活動である。これが、この教団が「聖なるマフィア」と呼ばれるゆえんなのだ。
■この「労働=仕事による人間の聖化」という考えの根本となっているのは、第2代目の教団代表者アルバロ・デ・ポルティーリョによると、「キリスト教的なものと人間的なものに断絶はありえない」という精神である。ここからまた、必然的に次のような事態が生まれてくる。
拙稿<米国指導部にとって、カトリック、プロテスタント、ユダヤ教はすでに「一つ」ではないのか?>、および<超巨大カルト、バチカン研究:(5)「米国・バチカン同盟」の軌跡とオプス・デイ>でも引用したものだが、米国カトリック信徒団体のサイトとして最も権威の高いものの一つであるNational Catholic Reporter(NCR)の2002年1月18日(つまり9・11とアフガニスタン侵略のすぐ後)の記事の一部である。
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http://www.natcath.com/NCR_Online/archives/011802/011802f.htm
Opus Dei prestige on display at centenary event
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この記事は、オプス・デイの創始者ホセ・マリア・エスクリバーがヨハネ・パウロ2世の手によって近々聖人に列せられる(実際にエスクリバーは2002年10月に聖人となった)ことを記した後、オプス・デイ会員でペンシルベニア選出の上院議員Rick Santorum(共和党)について次のように述べる。
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【前略、翻訳・引用開始】
近年の欧米での論争の中で、信仰と政治的忠誠心の結合というこの考え方は、右派系のオプス・デイの影響を受けた政治家がよく口にするものである。
サントラムはこの見解を支持するチャンピオンであった。彼はNCRに対して次のように語った。1960年にジョン・ケネディの有名な演説の中に盛り込まれた個人的な信仰と政治的な責任との間の区別、つまり、もしも大統領に選ばれたらカトリック教会の命令には従わない、という言葉は、サントラムに言わせると、『米国に非常な害悪をもたらした』のである。
『我々全員は、人々が「私は個人的には中絶やホモの結婚、幹細胞の研究、クローニングには反対である。しかし私は、それが他のどんな人にとっても正しくない、と断定してはならないのではない?」と言っているのを聞く。一見すると良いことのように感じる。しかしそれは良心の自由の悪用なのだ。』このようにサントラムは言った。
サントラムはNCRに対して、彼はジョージ・W.ブッシュを「米国で始めてのカトリック大統領だ」と見なしている、と言った。
「貧困と社会問題に焦点を当てる経済の事柄から人生における事柄にいたるまで、ジョージ・ブッシュはそこに居る。」彼は語った。「彼は実に正しく次のように言った。『もしあなた方が敬虔なカトリック信徒なら私はあなた方と共にいる』と。」
【後略、翻訳・引用終り】
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オプス・デイの基本方針は『信仰と政治的忠誠心の結合』つまり「政教一致」「政教融合」の方針である。もっと言えば「宗教の政治化」「政治の宗教化」である。これは米国ブッシュ政権の方針でもあり、オプス・デイ会員であるサントラムは「政と教を一致させることがすなわちカトリックである」したがって「ジョージ・W.ブッシュは米国で始めてのカトリック大統領だ」というわけなのだ。これはこの上院議員の個人的な意見ではなく、まさにオプス・デイの方針そのものなのである。
■もはやこれで明白になったであろう。オプス・デイは初めから「政教融合の神権政治」を目指す団体なのだ。先ほどの経済活動と併せて「政経教融合の神権政治」と言っても良い。これが彼らの正体である。1950年代の後半から70年代の前半にかけてスペインのフランコ独裁政権の下で彼らはこの神権政治を実現させた。しかしこれは『雛形』、つまり予行演習に過ぎなかったのである。
やがてこのカルト集団は徐々にバチカンを乗っ取って中南米に支配の手を伸ばし、米国に浸透して、今や英国をも手玉に取ろうとしている。カトリック教徒とユダヤ教徒が多いウクライナで親欧米政権が生まれた裏にも、おそらく彼らの暗躍があっただろう。非キリスト教国である日本にも早くから進出してきており、彼らのアジア最大の拠点であるフィリピンからアジアと太平洋にもにらみを効かす。オーストラリアは彼らの重要拠点の一つである。そして日本に亡命している子飼いのフジモリが再びペルーに戻るようなことになれば完全に地球をぐるりと囲んで縛り付けることになるだろう。
(*注:世界キリスト教情報によると、ウクライナのカトリック教会は正教会の猛反対を完全に無視して、この8月に首都のキエフに本拠地を移した。)
http://cjcskj.exblog.jp/m2005-08-01/#2173928
彼らの目指すもの、つまり今までの動きの延長上にあるものは、地球規模の神権国家体制を作り上げその中核を担うことである。
日本人は世界がすでにこのような『信仰と政治的忠誠心の結合』の方向へ向けて大きく動き出していることに気付こうとしない。それは決して「歴史の流れ」とか「歴史的な必然」などではなく、ある少数グループによる意図的な誘導なのだ。機を見るに敏なくせに間の抜けた日本の政治学者や歴史学者は、それを自ら見ることも他人に見せることもしない。私は一人でも多くの人にこの危険な流れに気付いてもらいたいのだ。
■このシリーズの中でしばしば引用しているのだが、20世紀初期のローマ教皇ピオ10世がシヨン運動に対して次のような予言をしている。
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さらに悪いことには、仕事におけるこの雑多の入り交じりの結果は、この国際人的な社会行為の恩恵は、カトリックでも、プロテスタントでも、ユダヤでもないある一つの民主主義を生み出すほかないだろう。それは、カトリック教会よりももっと普遍的な、天主の国においてついに兄弟、友達となったすべての人々の集うある一つの宗教となるだろう。なぜなら、シヨニスムとは、その頭たちの言うところによると、一つの宗教なのであるからである。
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私はこれを読むたびにネオコンの「世界民主化論」を何となく連想してしまう。先ほど私が述べた「宗教の政治化」なども、ネオコンのルートの一つとされるレオ・シュトラウスの主張の中にも入っていたようだ。といっても今のところその哲学的な根拠などの詳しいことはサッパリ解らないため「何となく」というヤマカン・レベルなのだが、ただ1960年代以降の中南米におけるオプス・デイの強硬な反共主義の浸透と、ユダヤ人を中心にしたネオコンの系統の者たちが米国の反共政策の中に食い込んでいった軌跡が重なっているような気がしてならず、以前から非常に気になっている。
どちらも冷戦を利用して頭角を現し、冷戦が終了してから一気に全面的な権力掌握に向かっている点が共通している。そして共に自由な資本主義経済を基盤に置き、社会エリートが中核であり、国家の上層部に食い込み、共にユダヤ勢力と縁が深い。「力の論理」で推し切る点も共通だ。これはまだヤマカンの段階だが、案外ネオコンとオプス・デイは「タネが同じ異母兄弟」なのではないのか、という気がする。
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(参考までに:ネオコンについて)
ネオコンの表と裏 上・下(田中 宇)
http://www.tanakanews.com/d1214neocon.htm
http://www.tanakanews.com/d1219neocon.htm
ネオコンのタテマエ(コバケン)
その一
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k6/160221.htm
その二:アリストテレス
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k6/160307.htm
その三:キリスト教の神学
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k6/160405.htm
哲学王 『レオ・シュトラウス』 2.悲劇を生む者達
http://adbusters.cool.ne.jp/strauss2.htm
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上のコバケンによる「ネオコンのタテマエ」(その三:キリスト教の神学)には映画「キリストのパッション」が登場するが、この映画を製作したのが実はオプス・デイ会員なのだ。主演のメル・ギブソンには以前から「オプス・デイの会員ではないか」という疑惑がささやかれている。ただこれを、「ユダヤ人の罪」ではなく「全人類の罪」を強調して人類すべての救済を掲げている点で、その深層でネオコン的な発想とのつながりをつけている点が興味深い。(私のような非キリスト教徒のアジア人にとっては迷惑な話だが。)
以上の点は私の過去の投稿
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http://www.asyura2.com/0401/bd33/msg/868.html
ユダヤ人脚本家がメル・ギブソンを熱烈弁護していた
http://www.asyura2.com/0401/bd33/msg/913.html
メル・ギブソンの映画をめぐるバチカンのドタバタ劇
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も併せてご覧いただきたい。
思想的に言うと「世界革命思想」のネオコンは「一国主義」のシオニスト・ユダヤと合わないはずなのだが、一時的な利害の一致によってなのかあるいは結局は「血」のほうが優先されるのかはしらないが、むしろ実際には連携して動いているように見える。まあこの点は「本体は一つなのだが見かけ上(理屈上)は相容れない両面を作っている」と見なすべきだ。しょせんはその『違い』など茶番に過ぎないのだろう。
また上記の「ネオコンのタテマエ」ではネオコン思想へのキリスト教文明の決定的影響が書かれているのだが、実を言うと思想的にも、ユダヤ人の救済のみを掲げるユダヤ教の変形としての一面を持つシオニズムが、一方で「全人類の(地球規模の)救済」を掲げるキリスト教と、「終末論」の中で案外すんなりとつながってしまうのである。
聖書の中に終末のときにパレスチナにユダヤ人が戻っているという予言があったり、新約聖書の黙示録でキリストの再臨で救済される者として真っ先にリストアップされるのが「14万4千人ユダヤ人」であったりするためだ。こういったことを単なるオトギバナシと馬鹿にするなかれ。キリスト文明に浸る人間たちの深層意識にはこのような思考パターンが刻み付けられている。これは理屈を超えており誘導は簡単であろう。
プロテスタントたちはイスラエルに集まるユダヤ人たちが最終的にはキリスト教に改宗すると信じているが、現代カトリックはそれさえも打ち捨ててユダヤ教のままで救済されるとしている。(拙稿<超巨大カルト、バチカン研究:(3)ユダヤ人教皇ヨハネ・パウロ2世?>を参照せよ。)そしてこのような解釈の急先鋒がオプス・デイなのだ。彼らにとってはキリスト教とシオニズムは何の矛盾もきたさないのである。そして「完璧な仕事」によって聖なるものとされるのである以上、様々な面で能力の高いユダヤ人たちは「最も救いに近い」ということになるだろう。
事実、拙稿<超巨大カルト、バチカン研究:(5)「米国・バチカン同盟」の軌跡とオプス・デイ>でも述べたように、米国でユダヤ人に対する取り込みが盛んだし、ユダヤ人たちにとってもさほど抵抗無く受け入れることができる教団であるようだ。というか、最初からユダヤ人を取り込みやすいように作られた面がある。(もっと言えば創始者のエスクリバー自身が改宗ユダヤ人の子孫である、という説がある。この場合は最初からユダヤ人救済のための教団、ということになる。パトロンだったスペインの独裁者フランコやその側近たちもユダヤ系スペイン人であったという話すらある。)
■先ほどオプス・デイは初めから「政経教融合の神権政治」を目指す集団だ、と言ったのだが、その「神権政治」とネオコンの掲げる「民主主義」とは矛盾しないのだろうか。しかしオプス・デイはかつて自らが支えてきたフランコ独裁政権を自らの手で解体して「民主主義」をスペインに実現させた。そのような彼らが目指す「神権政治」を絶対王政時代のそれと混同すべきではない。エリート・非エリートの差別思想が根本にあるこの「聖なるマフィア」が理想とする政治形態は、おそらく、奴隷制を基盤に置く古代ギリシャ市民社会の民主主義と、宗教理念と政治理念が一致した神権政治を、異なる次元で統一させた今までに無い政治形態なのではないのか、と思う。
また、そもそも米国型の民主主義は、米大陸原住民の大虐殺をベースにして、近隣の極貧国からの経済収奪に支えられ、実質的に市民権から遠ざけられた人間を国内に多数抱えた状態で、大規模な情報操作によって作られた「世論」を基にして、初めて成り立つものである。米国支配層にとって、「民主主義」がアリストテレスの危惧した「衆愚政治」に陥らないようにするためには情報操作による誘導が必要だ、ということなのだろう。そして理想的にはそこに宗教が、しかも強力な一神教がなければならない。現実にプロテスタントとカトリックの右派とユダヤ教が現在の米国で幅を効かす。
例えば米国ブッシュ政権が、そのような「民主主義」をマスコミによる世論操作と警察や軍による法的強制力を手段として作り維持するという、ある種の「神権政治」の『雛形』になっている、といって差し支えないのではないのか。そして同時にまた、これこそレオ・シュトラウスが理想としたものではないのだろうか。
様々な屁理屈を並べ立ててこのような米国型民主主義での「世界の救済」を合理化しようというネオコンだから、どうしてもオプス・デイと重なって見えてきてしまう。ウォルフォヴィッツが世界銀行の総裁になったのも、米国内でのネオコンの衰退というよりは、「対テロ世界戦争」をテコにして彼らがいよいよ本格的な世界改造に手を伸ばした、と見ることもできる。マドリッド会議、新ローマ教皇の誕生と時期が連なっていることも示唆的だ。
そういえば先日、オプス・デイの盟友ジョセフ・ラツィンガー(ベネディクト16世)が対テロ世界戦争ゴリ押しとイスラム社会改造に向けて全力投球を開始した。(ドイツの空港に降り立ったご本尊のラツィンガーにはナバロ・バイェスとソダノというオプス・デイが両脇侍としてちゃんと控えていた。)
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(参照)
http://www.asyura2.com/0505/war73/msg/607.html
ベネディクト16世、イスラムを恫喝:「キリスト教徒と一緒にテロと戦う以外選択の余地は無い!」
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■と、まあ、こんなふうに確たる証拠も無く独断と偏見でネオコンとオプス・デイをつなげるような仮定を立てて、じっと動きを見ているわけだが、しかし実際にこんな仮説が証明された暁にはまさに地獄だろう。本心を言うと、本当であってほしくない話だ。いずれにせよこんな狂信的な連中は手遅れになる前にどこかでぶっ倒されなければならない。
ところで、先ほどこの二つを「タネが同じ異母兄弟」に喩えたのだが、もしそうだとするとそのタネをつけたドスケベは誰か。
母胎は、片方は米国の軍産複合体、もう片方はローマ教会なのだが、タネは誰のだ? ロスチャイルドなどのユダヤ系巨大国際資本なのか? それともバチカンに潜んで世界支配をたくらむ歴史ある軍団なのか? あるいは欧州を雲の上から支配する「高貴な血族」の連合体なのか?
もう少しオプス・デイとネオコンの「DNA」の比較・検討を行ってみなければ何とも言えないが、今後の研究課題にしておこう。
次回のこのシリーズの予定は今のところ立っていない。テーマと論点が煮詰まり次第、予告の上、再開することとしよう。
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【今までの『超巨大カルト、バチカン研究』シリーズ一覧】
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http://www.asyura2.com/0505/cult2/msg/133.html
超巨大カルト、バチカン研究:(9)「世界統一神権国家」への道のり(D)ユダヤ主導による宗教の統一
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/829.html
超巨大カルト、バチカン研究:(8)「世界統一神権国家」への道のり(C)シヨンから第2公会議へ
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/819.html
超巨大カルト、バチカン研究:(7)「世界統一神権国家」への道のり(B)シヨンからオプス・デイへ
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/789.html
超巨大カルト、バチカン研究:(6)「世界統一神権国家」への道のり(A)シヨン運動について
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/444.html
超巨大カルト、バチカン研究:(5)「米国・バチカン同盟」の軌跡とオプス・デイ
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/377.html
超巨大カルト、バチカン研究:(4)「ユダヤ教カトリック支部」?
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/351.html
超巨大カルト、バチカン研究:(3)ユダヤ人教皇ヨハネ・パウロ2世?
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/299.html
超巨大カルト、バチカン研究:(2)第2バチカン公会議「カトリックのユダヤ化」
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/282.html
超巨大カルト、バチカン研究:(1)第2バチカン公会議「カトリックの米国憲法化」
(参照)
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/389.html
米国指導部にとって、カトリック、プロテスタント、ユダヤ教はすでに「一つ」ではないのか?
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/822.html
1958年のバチカン・クーデター:簒奪された「グレゴリオ17世」の教皇位
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