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あり、破折だろう。座談会の会話は、それに値するものだろうか。ここで語られるのは、相手の存在意義を認め、その上で誤りを指摘することではなく、単なる「排除の論理」である。
これは創価学会広報の活動にも言える「論理」だ。どのような記事が出るのか、出ない(出させない)ためにどうするか――。そのための情報収集、人間関係づくりが担当者の最も大切な仕事となる。もちろん、その前段部分により重要な責務がある。
何よりもメディアを黙らせるには、広告の出稿が一番である。新聞には賃刷りで、報道にワクをはめる。広告主や顧客として縛りをかけておいて、それでも口を開こうというメディアには訴訟という恫喝が待っている。
「お手柔らかにお願いしますよ」
広報担当者はそう言って、各出版社を訪れる。
「これは抗議でなく、説明です」
と、慇懃に触れ回る。しかしその言葉の下には、訴訟という鎧がいつも見え隠れしているのだ。そしてその訴訟のための方策もぬかり無い。公明党の国会議員は「名誉毀損の賠償額が日本は低すぎる」と主張して、同意する法相の答弁を引き出す。個人情報保護法を押し通し、仏法だけでなく「国法」でメディアを抑圧する。
折伏とは無縁の不思議な存在
以上のような組織の行動原理は、およそ通常の民間企業にはあり得ない。武富士、コクドのようなワンマン会社でさえ、最後はディスクローズの波には耐えられなかった。上場企業は、株主の厳しい目が絶えず注がれている。従業員からの「内部告発」もある。巨大組織NHKも、その一撃の前に視聴者という顧客を大量喪失中だ。
創価学会は宗教法人であり、しかも政党を持つ「利点」を、最大に活かしている。民間企業が夢見ても持ちえない、「排他的独占」を享受しているかのようだ。
「弱腰の広報など必要ない。前へ出ろ。今年は広宣流布仕上げの創立75周年だ――そんな檄が飛ばされていると私は見ます」
小川氏は、そう語る。不思議なことに創価学会には、折伏とは無縁な組織員が多数存在している。例えば自らの存在を決してオモテに出さず、職場・地域での折伏活動に参加しない「耳」だけを求められる「草」のような者たちもいる。ひたすら勉強に明け暮れるエリートコースに所属する者もいる。広報担当者もまた、その道のオーソリティでなく「組織センター」から派遣された人材が業務の主幹的立場に就く。これまでの人事を見れば、それは自明である。広報