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『月刊現代』2005.09号
都議選徹底追跡ルポ
創価学会・公明党「最強選挙マシーン」の秘密と陥穿
米本和広(ルポライター)
創価学会恐るべし。誰もがそう感じたhttp://www.asyura2.com/0505/senkyo10/msg/325.html">東京都議会議員選挙であった(7月3日投開票)。
公明党候補23人全員当選どころか、公明が支持・推薦した17人の自民党候補のうち16人を当選させたのである。これで公明党は都議選で4期連続の全員当選。全国一斉に行われる統一地方選以外の地方議会選挙では112ヵ月連続して全員当選の記録を更新中だ。
創価学会はなぜ選挙に強いのか。
…(略)…
「広宣流布」の本義
矛盾は日本の創価学会と、世界各国の創価学会(SGI=創価学会インターナショナル)との間でも芽生えつつある。今年5月15日に韓国創価学会(会員数は推定で約50万人)が主催する「愛国大祝祭」がソウルのオリンピックスタジアムで開催され、韓国全土から約10万人もの学会員が集まり、会場を埋め尽くした。だが、日本から参加した学会員たちは仰天することになった。式典の半ばで、突然オーロラビジョンに竹島が映り、マスゲームで「独島(竹島)は韓国の領土である」という文字が作られ、怒号のような歓声が沸き起こったからである。
興味深いのは、世界各地で行われるSGIのイベントを常日頃から1面トップで大々的に報じる聖教新聞が「愛国大祝祭」の記事を掲載したのが、週刊誌が”竹島の一件”を報じた数日後であり、しかもくだんの出来事については一行も触れていなかったことだ。もし、この事実を聖教新聞が報じれば、日本の学会員の中には反発を覚える人も出てくるだろうし、逆に公明党が「竹島は日本の領土だ」と主張すれば、韓国の学会はSGIから独立し、新しい教団を立ち上げる可能性も出てくる。かくして聖教新聞は事実をひた隠しにし、公明党は旗幟を鮮明にすることができずにいるのだ。
埼玉の地域幹部が溜息をつく。
「こうした矛盾が生じるのは、世界の創価学会の中でも日本の学会が特殊だからだ。その特殊性とは、学会が政党と深く関わっていることだ──」
創価学会と公明党との関係について秋谷会長は99年の聖教新聞紙上で次のように語っている。
「(政権与党になって)公明党の独自性が失われる危倶があるが、公明党に対する支持は絶対に揺らいではならない」
創価学会はなぜ、矛盾を抱えつつもこれほどまでに「公明党絶対支持」にこだわるのだろうか。一番説得力のある解釈は、おそらく次のようなものだ。
<公明党が自民党と連立を組むことで、自民党の池田攻撃、学会攻撃を防ぐ。事実、オウム事件に端を発した95年の宗教法人法改正の際には、「池田を国会の証人喚問に呼べ」という大合唱が巻き起こった。こうした事態を防ぐには政権与党に入って池田先生を守るしかない>
イソタビューした学会員の多くは、「その解釈は正しい」と口を揃える。
しかし、それだけなのだろうか。ある関西の古参幹部はこう語ってはばからない。
「私たちの世代(65歳以上)にとって、広宣流布[こうせんるふ]とは天下、政権を取ること。ずっとそのために選挙を闘ってきた。これが学会精神だ」
創価学会の歴史、そして池田の過去の発言などに目を向ければ、いくつかの点で符合する事実もある。
話は遡る。1957年3月、創価学会第二代会長の戸田城聖が時の総理・岸信介を日蓮正宗総本山にある大講堂の落慶法要に招待した。その席で戸田は次のように語っている。
<よい機会だ。(この日に)将来のために広宣流布の予行演習となる式典をしよう(一部中略)>
この言葉について、池田は自著の中で次のような解釈を行っている。
<一国の宰相はもとより、各国、各界の指導者が御本尊に帰依する日が来ることを、一つの儀式というかたちをもって、戸田は示そうとしたのである>(『人間革命』第12巻・強調点は引用者)
翻っていえば、予行演習ではなく「広宣流布の本番」とは御本尊に帰依する総理大臣(創価学会員)が誕生した時だ、と言っているのに等しいのである。
実際、この頃は「王仏冥合[おうふつみょうごう]」「国立戎壇」(国教化)を唱え、学会の”原理主義的”日蓮仏法の国教化を目論んでいた。
しかし、これを否定するようになったのは、70年に起きた「言論出版妨害事件」からである。公明党の委員長・書記長が田中角栄自民党幹事長(当時)に、http://www.asyura2.com/0505/senkyo10/msg/723.html">学会を批判する書を上梓した著者・藤原弘達への「圧力」を依頼した事件である。国民の批判を浴び、池田は謝罪し、「国立戒壇」を撤回、政教分離を国民に誓う結果となった。この”言葉”を信じるならば、創価学会は「政権を取るために」公明党を応援しているのではないことになる。
だが、つい4年前の聖教新聞の『随筆人間革命』で池田は次のように述べている。
<昭和四十五年の言論問題の前後より、学会は、数人の代議士から罵倒され、ある時は、テレビを使い、雑誌を使い、演説会を使い、非難中傷された。なんという悪逆か。なんという狂気じみた悪口か!私自身も、愛知県の代議士から、国会喚問の要求を初めてされた>
これを素直に読めば、国教化も問題となった言論出版妨害事件を反省する姿勢は微塵もない、ということである。
池田をはじめ学会の中枢幹部は昔から今に至るも「広宣流布のために戦って戦って戦い抜こう」といった激烈な発言を繰り返している。
「広宣流布」とは、日蓮仏法を広めること、より具体的には聖教新聞を拡張し、知り合いを折伏すること……だと解釈していた私にとって、どうしてそれが「戦って戦って戦い抜く」ことにつながるのか、違和感を拭えずにいた。だが、「広宣流布」の意味が「天下を取る」ことだとすれば、すんなり理解できるのだ。前回の都議選で共産党の当選を阻むために民主党候補を、今年4月の衆議院補選で民主党の風がこれ以上吹かないように自民党を応援したのも、そして、秋谷の「公明絶対支持」発言の底意も──。
…(略)…