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アメリカニズムに屈した戦後民主主義の帰結
デマゴギーの時代がやってきた
評論家 西部邁さんに聞く
http://www.bund.org/interview/20051105-1.htm
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にしべ・すすむ
1939年北海道生まれ。東京大学在学中に東大自治委員長、全学連の中央執行委員として60年安保に参加。横浜国立大学助教授等を経て東京大学教授につくが、88年辞任。著書に『無念の戦後史』『友情』『「昭和80年」戦後の読み方』など多数。
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12月11日のグラン・ワークショップのバトルトークに「初参戦」する保守派の評論家・西部邁さんに話を聞いた。
デモクラシーは崇高なものではない
――バトルトークのテーマは「今の日本に私はこう言いたい」ですが、今の日本に一番言いたいことは何ですか。
★今の日本は、小泉政治に典型的に見られるように「デマゴギーの時代」だと思う。「デマゴギーの時代」というのは、決して世相的な浅いレベルで言いたいのではありません。新聞やテレビは言うにおよばず、インターネットの世界も含めて、いま言葉というものが「デマの世界」に深々と引きずり込まれてしまっています。小泉人気は、そうした現状をよく反映している。
小泉を支持する多くの老若男女は、職業から家庭生活から余暇に至る現実生活まで、所詮「デマの世界」で暮らしている。だから、わりと簡単に小泉に票を投じられるのだと思う。そもそもデマというのは、どんな意味か知っていますか。
――嘘の情報で人々を騙すことでしょう?
★言葉の意味としてはそうです。デマというのはデマゴギーのデマですが、デモクラシーのデモと同じで、もともとはギリシャ語のデーモス「民衆」です。デマゴギーというのは「民衆を指導する」、もっとひどく言うと「民衆を扇動する」というのが元々の意味でした。民衆の多くはウソ話(デマ)によって扇動されやすい。2500年前の、ソクラテスやプラトンのはるか前の時代からずっとそうなのです。
ところが戦後60年、日本人は、その事実に単に無頓着であったのみならず、全く逆のことを信じ続けてきたわけです。「民主主義からは必ず良き事態がもたらされる」などという非常識を信じ込んでしまった。
これは僕の持論なのですが、デモクラシーを民主主義と訳してしまったのが、そもそもの大間違いだった。素直に「民衆政治」――デーモス(民衆)のクラシー(政治)と訳しておけば、民衆あるいはその代表者が、どういう条件を持っていれば、どういう良い結果が期待できるかという議論に入っていけたはずなのです。ところが民主主義と訳してしまったために、「民衆が主権を持つ」となってしまった。
主権というのは、sovereign powerの訳ですがsovereign(サブリン)というのは直訳すると「崇高な」とか「至上の」という意味です。もともとは「王様は崇高」という絶対王制の評価から来た言葉です。デモクラシーを民主主義と訳してしまった結果、「民衆は生まれながらにして崇高な存在である」という価値観が入り込んできてしまった。
別に右翼ぶっているとかエリートぶって言っているわけではなくて、僕の素朴な日常生活感覚の66年間の継続として、人間ごときにサブリン(崇高)という形容を与えるのには、どうしても納得できない。
「多数決で決める」というのは、いいのです。ほかに決めようがないから。だけど、多数派の意見だからといって、必ずしも正しいわけではない。神様や仏様ではない人間が決めていることなのだから、間違っているかもしれない。だから、少数派にも「多数派は間違っている」と意見を表明する機会が保障されなければならない。少数意見が排除され、「民意」なるものが金科玉条化されたとき、民衆政治はたちどころに堕落する。
例えばヒトラーは国民投票で絶対権を握りました。不安に駆られ、苛立ちに煽られた民衆の熱狂的な大衆運動がクライマックスに達したとき、そのなかから悪魔のごとき絶対権力者が出てくる。ムッソリーニもヒトラーもスターリンも毛沢東もみなそうでしょう? 毛沢東の場合、選挙で選ばれたわけではないけれど、「紅衛兵」という13、14歳の子供の熱狂を利用して権力を拡大していった。それが「民意」だったわけです。
デモクラシー(民衆政治)が、いかに怪しげなモノなのかは、古代ギリシャ人ですら骨の髄まで分かっていました。ソクラテスもプラトンもアリストテレスも、デモクラシーの孕む「危なさ」を警告しています。ところが戦後60年、安易に民主主義を礼賛しつづけてきた結果、ついに日本に「デマゴギーの時代」がやってきてしまった。
僕は元マルクス主義者ですが、左翼の歴史を振り返ると、社会主義というのは、もともとは民主主義派の「一分派」みたいなものです。マルクスはドイツから追い払われて亡命者となったけれども、マルクスが関係していた19世紀前半の政党の名前はドイツ民主党(デモクラティック・パーティー)でした。レーニンが属していた政党も、ロシア社会民主党、共産党になったのはロシア革命後の話です。両方とも政党名に民主主義がついている。今の北朝鮮の正式名称だって朝鮮民主主義人民共和国です。
つまり社会主義というのは、民主主義から出てきたものです。そしてこの社会主義から今度はナチズムが出てくる。ヒトラーのナチスの正式名称は、「国家社会主義労働者党」ですからね。
共産主義もナチスも、みんな民主主義から出てきた。それがマルクスのドイツ民主党からナチスの国家社会主義労働者党にいたるまで、彼らの集団の名前にちゃんと刻印されている。こうした常識から世界を眺めないといけない。ところが、こんなに単純な前提的常識すらわきまえないで、民主主義や民意を「至上の価値」かのように論じる日本人が多すぎる。僕がもし神様だったら、こんなわけの分からない民族は滅ぼした方がいんじゃないかと思うね。
――西部さんは、愛国ではないのですか?
★愛国じゃない。今の日本は僕の思う日本ではまったくないと思っているから。
米国こそ「左翼」である
もうひとつ、今の日本には、単純な誤解がはびこっています。左翼、英語でいうレフトという政治用語は、いつ頃できたか知っていますか。
――確かフランス革命ですよね。
★そうです。こんな常識すら知らずに、政治家は言うにおよばずジャーナリストや学者までもが左翼だの反左翼だのと言っている。左翼批判をしながらも、左翼がどういう存在なのか、ぜんぜん分かっていない。
マルクスの『共産党宣言』が出たのは1848年ですが、フランス革命はその60年前の1789年です。フランス革命当時、社会主義はまだ本当の萌芽状態であって、社会的存在にまでいたっていなかった。でも、その当時から左翼という政治用語はあったのです。フランス革命の時の左翼というのは、ジャコバンのことです。急進派のジャコバンが主張していたのは「個人の自由」であり、もう一つは理性の賛美だった。ジャコバンはキリスト教を否定して「理性宗教を作れ!」とまで主張した。
個人の「自由」と「理性」を唱えて大革命をやろうとしたのがジャコバンであり、ジャコバンこそが左翼の原型(archetype)なのです。つまり、左翼というのは、個人の自由と個人の理性を唱える輩だと、こうなるわけです。
多くの日本人は、愚かしくも左翼と言うのは社会主義なるものに好意的な人々、あるいは社会主義の流れをくむ市民主義のことだと思っています。だけど、そもそも左翼というのは、個人主義と理性主義のことです。そこからどうして社会主義が出てきたのかというと、フランス革命のような政治的革命だけでは、個人の自由と理性は実現できない。個人は階級社会の中で抑圧されている。階級制度を廃絶しない限り、真の自由と理性を発揮できる麗しい個人の可能性は解放されないと考えたのがマルクス一派なわけです。
つまり左翼には、昔ながらの個人主義の流れ―今のアメリカや戦後日本につながる流れと、そこから途中で枝分かれし「個人主義を花開かせるためには社会革命が必要だ」と考えた社会主義派の二つの流れがある。そういう意味では、米ソ冷戦構造なんていうのは、しょせん「左翼の内ゲバ」だったと僕は思ってる。
そうしたら、今の世界で個人の自由と理性を唱えている左翼の代表は誰ですか。ソ連無き今それは、国家で言えばアメリカじゃないですか。さらに言えば、そのアメリカに一回戦争で負けただけで、汚い言葉ですが「ケツの毛まで抜かれ」てアメリカニズムに染まって「個人が大事」なんて言っている戦後日本人もまた左翼ということになる。
最近見かけなくなりましたが、昔は路上で電気仕掛けでピョコピョコ動くウサギとかのオモチャが子供のお土産として売られていました。戦後の日本人は、アメリカニズムをインストールされてピョコピョコ動かされている単純な電気仕掛けのオモチャみたいなもんです。こんな敗戦日本人は、僕が思う日本人ではない。
日本人というのは、勤勉であるのみならず聡明な歴史を持っている民族のはずなのですが、なぜにかくも愚昧になってしまったのか。やっぱり敗戦と、それと同時に始まった米ソ冷戦が原因だと思う。戦後日本人はずっと、アメリカが作ってくれた「ゆりかご」でオッパイ飲んでただけだった。90年代まで戦後45年間続いた冷戦のなかで日本人は、左翼の中の個人主義派につくか、そこから枝分かれした社会主義派につくかという、一種の模擬実験みたいな代理思想戦争をやってきたわけですよ。その結果、左翼と言えば社会主義派で、個人主義派は反左翼などとする誤解が広がってしまった。
僕は今の瞬間で言うと、新聞で言えば「朝日」及びそこに集まっている愚か者の左翼よりも、「産経」に集まっている愚か者の自称反左翼の方が、その愚かさぶりが救いがたく深いと思っています。左翼の原型とも言うべきアメリカ的なものが好きな「親米保守」なんて、完全にいかれた人間集団としか思えない。
コンサバティズムとは何か
★そもそも日本では、保守主義conservatismという思想が何をコンサバティブするのかが理解されていません。政治上のコンサバティブが何を保つものかといったら、それはその国の歴史感覚です。
民族というのは、昔も今も将来も、必ず人間関係や制度上の矛盾・葛藤に苛まれているものです。人類の発生、歴史の発生と共に、人間は矛盾と葛藤のなかで生きてきました。人間はまるっきりの愚か者ではないですから、どうすれば矛盾や葛藤を乗り越えられるのかの知恵を培ってきました。つまり歴史感覚というのは、人間社会の矛盾・葛藤をいかに平衡させていくのかという、国民の歴史から学んだ一つの生き方であり、ある種の制度の作り方のことです。僕はそれを「平衡感覚」と呼んでいます。
僕はそうした歴史感覚から、今の日本人の平衡感覚がおかしくなっていると、僕の及ぶ限り具体的なことについて発言しているつもりです。
――西部さんのいうコンサバティブと日本の右翼とは、ずいぶん違うような気がしますが。
★日本の保守思想にはロジックがないからね。日本の保守思想の命脈がかろうじて保たれてきたのは、例えば小林秀雄に代表されるような保守的文芸のおかげだった。文芸的表現というのは、感覚・感性に訴えるものでしょう。彼らは、「伝統、伝統」とは言ってきたけど、ロジックとして社会制度論・政治論や歴史論を表現することはできなかった。
近代日本では、少々ロジックに関心がある人達のほとんどが左翼になったんじゃないかな。ロジックで考える左翼は、「人間は努力すれば完璧なものに近づける」といった発想から、「国家はこうあるべきだ」とか「人生はこうであるべきだ」とかと、完璧な「あるべき姿」を追い求めようとした。だけど僕の66年の人生を振り返ってみても、パーフェクションを目指して努力すればするほど目標地点は遠のいていくものです。
「完璧」なんていうのは神・仏の世界の話だからね。いくら近づいたと思っても、まるで砂漠の「逃げ水」のように遠のいていく。こんなことすらわからない連中が、「これを学べばわれわれは立派な人間になれる」などとマルクス読んだり、数字をいじくって経済学のちゃちな分析をやったりしたのが戦後日本の左翼なわけです。
一方、右翼というのは、もともと明確な分析力がない奴が多いものだから、今度は逆に感情にこだわる。僕に言わせれば、天皇制にしても靖国にしても、日本人の一つの慣習・習慣の体系なわけです。その中に含まれている「日本人の歴史の叡智」こそが、僕の言う「歴史感覚」です。
天皇制でいえば、日本人が国民としてまとまろうとすれば、それがどういう制度かはともかく、どうしても一つのシンボルを作らざるをえない。靖国でいえば、自分が何かを自分達の子孫に手渡そうという心構えがあるならば、成功にせよ失敗にせよ、過去の人間達の努力の中で払われた犠牲に対しては、一定の感謝の意を表する儀式をする必要がある。こうした知恵(wisdom)が大事なんです。
だけど日本の右翼はそういうことがわからない。天皇と会ったら気絶せんばかりに興奮するとか、靖国に参ればただひたすら涙があふれて止まらないとか、そうした種類の感情にのめりこんでしまう。左翼は屁理屈に舞い上がり、右翼は感情に沈没。かくして戦後日本の思想・日本人の精神は、散り散りばらばらになってしまった。
米国に平定されて喜んでる敗戦日本人
★敗戦記念日の前日の夜にテレビの番組に呼ばれました。そこで筑紫哲也さんがあんまり「平和、平和」というから、言ってやったんです。平和・ピースの語源はパックスでしょう。例えば、「パックス・ロマーナ」というのは「ローマの平和」と訳されているけども、ここでいう「平和」というのは「平定」「平らげる」ということです。ローマ人は、圧倒的な武力と建築技術で、地中海沿岸の異民族を全部平定した。これがパックス・ロマーナ。だから、英語の字引には、パックス・ロマーナというのは、平定された側に不満のわだかまる不安定な統治、政治の状態と書かれています。
これは米軍によって占領された今のイラクを見てもわかる。平定されて喜びっぱなしで、よだれ垂らしているのは、ジャポニカ種のイエローカラーの日本人ぐらいのものです。だから、平和なんてことをあんまり軽々しく言わないで下さいと筑紫さんに言ったのだけれど、その部分は放送ではカットされてしまった。
デモクラシーから平和主義=pacifismに至るまで、単に行きすぎたとか、軽率な理解をしたというのではなく、戦後日本は全く間違って理解してしまった。したがって僕としては、「今の日本をどうする」と言われても、「どうにもなりません」と答える以外ない。
――どうにもなりませんか?
★「どうにかなる」などと思うこと自体が認識を間違う。別にペシミズムでもニヒリズムでもなく、むしろ「どうにもならん」と堂々と言える人が少しでも増えたときにこそ、戦後60年の深い思想的・精神的混迷が、もうちょっと鮮明に見えてくるのではないか。そうでなければ日本人は、その骨格にとりついたデマゴギー文明からは逃れられないと思う。
話は変わりますが最後に、1968年のパリ5月革命のリーダーの一人に「赤毛のダニー」ことダニエル・コンバンディットという活動家がいました。彼はパリの5月革命で暴れまくった青年だった。当時20歳ぐらいだったと思うから、今は60歳ぐらいだろうね。その「赤毛のダニー」が今、環境運動を中心とした反政府運動・反グローバリズムの運動をやっているというニュースを読んだことがあります。
「暴力革命」だとか「私有財産の否定」だとかといった戯言ではなくて、環境と共同体は非常に密接に結びついているわけだから、環境を守るのは大事に違いない。たぶん僕が考えてることと似たようなことを「赤毛のダニー」も言ってるのだろうなと思う。
確かにエコロジーは大事だけど、エコロジーの「エコ」はエコノミックスの「エコ」と同じで、もともとはオイコス=家という意味です。「家」こそ共同体の原基なのです。植物だとかお日様だとか水とか虫とかを守るのも良いけど、もうちょっと人間の歴史にも目を向けて欲しいと思いますね。
人間の歴史を振り返ると、多くの智恵深さと同時に、数々の不幸と悲劇、軽率と野蛮が示されています。人間というのは、変な動物です。人間なんてものさえこの地球に現れなければ、ゴキブリも蝶々もライオンもウサギも、みんな幸せに生きていました。人間というのは、そもそも環境environmentに反する、とんでもない生き物なのです。環境から見たとき、人間がどれほど深い、キリスト教的に言えば「原罪」を背負ってるかを人間の歴史は明らかにしています。
いずれにしても、僕はもうじき死にます。もう誰もいなくなったコンサバティブ=保守派にブントのみなさんがそろってお入りになったらいかがですか(笑)。続きはバトルトークでお話ししましょう。
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(2005年11月5日発行 『SENKI』 1194号5面から)
http://www.bund.org/interview/20051105-1.htm
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