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長島銀蔵著「皇統正史」(昭和四十一年、自費出版)を発見する。
更新 平成17年10月25日23時45分
平成十七年(二〇〇五年)十月二十四日(月)
(第一千四百七十二回)
○鹿島f著「日本侵略興亡史」(絶版)の参考文献の中に、
長島銀蔵著「皇統正史」、
○と言う著作が挙げられて居る。
○このほど、この本を見る機会を得た。
○これは、昭和四十一年十二月発行、非売品、とあり、
○静岡県清水市在住の著者、長島銀蔵の自費出版である。
○従って、市販はされて居らず、
○ごく小部数印刷され、著者の関係者に配布、贈呈されたもののようである。
○長島銀蔵。
このひとは、敗戦後、日本国憲法を可決した当時の貴族院議員、とある。
○更に、敗戦後、日本遺族連合会の初代会長(長男が大東亜戦争時、戦死)、
と言う。
○このひとが、南北朝問題の研究の道に入るように成った経過は分らない。
○この本の要点は、次の通り。
(1) 南朝の皇統は、現在の熊澤正照王(寛道王)まで続いて居り、
(2) 北朝は滅亡して居る。
(3) 従って、そのあとの北朝天皇は偽朝であり、足利系天皇である。
(4) 熊澤大然尊憲王は、明治四十一年、十一月二日、第一回の上奉文を
明治天皇に上奉した。
(5) 明治天皇は、明治十年に「大政紀要」を出版されて、南朝正統、とした。
(6) 更に、明治十年元老院発行纂輯の御系図では、貞成親王の父は不詳、
と明記してある。
(7) 熊澤大然尊憲王の上奉文が各界に伝わると、大きな波紋を引き起こし、
(8) 遂に国会に於る大問題と成り、
(9) 明治天皇の裁決によって、南朝正統、と決定され、
(10)時の桂内閣は瓦解した、
(11)しかし、明治天皇が間もなく崩御されて、そのために、南朝熊澤天皇
問題は事実上封印されてしまった、と。
○ここでの問題は、北朝が断絶して、そのあとは、足利系天皇である、
と言うところであろう。
○明治天皇が、公式発表の如く、北朝孝明天皇の皇太子、と言うことであれば、
○当然、南朝正統論で行けば、明治天皇は、偽天皇である、
○と成るであろう。
○にも拘わらず
明治天皇が、南朝正統論を裁決された、とは何を意味するのか。
○長島銀蔵著は、
孝明天皇父子弑逆問題も、
○長州大室天皇家大室寅之祐スリ変え明治天皇問題も、
○全く視野の外に置いてある。
○しかし、ここには、
鹿島著にも引用されて居らず、
○各種の南朝史論にも述べられて居ない、基本的文献と事実が集大成されて居り、
○これは、改めて注目すべきものと判断する。
(了)
「皇統正史」の著者、長島銀蔵とはどんな人物だったのか。
更新 平成17年10月25日23時46分
平成十七年(二〇〇五年)十月二十五日(火)
(第一千四百七十三回)
○当「時事寸評」前号(17.10.24)に、
長島銀蔵著「皇統正史」を取り上げた。
○この「長島銀蔵」と言う人物について調べると、このひとは、
明治三十四年(一九〇一年)〜昭和五十九年(一九八四年)
○静岡県富士宮市に生まれ、横浜瓦斯科学工業社長など、多額納税者として、
昭和二十一年五月から、二十二年五月まで一年間、貴族院議員。
昭和二十五年、参議院全国区から当選、とある。
○昭和二十四年の長者番付では、
「第二位、長島銀蔵、静岡、ペニシリン製造」と言う。
○長男が戦死。
昭和二十二年十一月、日本遺族会理事長。
○このひとが、どのようにして、南北朝問題を研究して、「皇統正史」を著述
するように成ったのか。
○それは、このひとが、静岡県富士宮市の出身、と言うことに関係があるだろう。
○富士山麓には、「隠れ南朝」の史跡があり、加茂喜三と言うひとの、それに
ついての著作がある。
○一応、この線で、理解して置こう。
○長島銀蔵氏は、もっぱら、熊澤天皇家についての研究であって、愛知県豊川市、
三浦天皇家とは接触が無いようである。
○南朝の一皇統が、今の福島県に移られたこと、
○そしてある時点で、足利幕府の南朝系を根絶やしにしようとする迫害政策のため
に、熊澤姓を名乗るに至った経緯が、前出「皇統正史」には詳述されて居る。
○前出、長島著によれば、
足利義満は、自己の息子を天皇にすると同時に、持明院統(北朝)の血統を全部
殺害した、
○と成って居る。
○従って、この説によれば、足利義満とそのあとの時代に、
北朝の血統は絶え、足利義満の血統が北朝と成った、と言うことに成る。
○応仁の乱の頃まで、南朝は健在であり、それから足利将軍六代義教が、南朝の
血統を根絶せよ、との方針を打ち出した、と言う。
○しかし、南朝系の一部は、熊澤家、としてずっと続いた、と。
○これに対し、
南朝三浦天皇家の方は、熊澤天皇家に比べると、細々とした感じである。
○長州の大室天皇家については、その系図は現在に伝わって居ないのみならず、
○幕末、大室弥兵衛の代で血統は断絶し、その二人の息子(虎吉、庄吉)は、
実は、地家作蔵の息子である、との説があり、
○この説を取るとすれば、大室天皇家は、絶えて居る。
○大室寅之祐=明治天皇。
○この人物は、実は、地家作蔵の息子。
○して見ると「熊澤天皇家」の方が、まだしも、実在の天皇の血筋である、との
見方も成り立つであろう。
(了)
http://www.pavc.ne.jp/~ryu/cgi-bin/jiji.cgi
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