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更新 平成17年10月22日00時37分
平成十七年(二〇〇五年)十月二十一日(金)
(第一千四百六十九回)
○長州藩が、南朝光良親王の子孫大室氏の大室寅之祐を明治天皇にスリ替えた、
○と言う説は、故鹿島昇氏の三冊の著作に詳述されてあり、
○更に筆者の新著「長州の天皇征伐」(成甲書房、十月二十日刊)にも、
記述し、論評した。
○故鹿島昇氏は、大室寅之祐が南朝光良親王の血統である、と言う説は、
その是非を問題とされることなく、それを「是」と前提として、論を立てられた。
○しかし、筆者は、その問題はずっと保留して来た。
○大室寅之祐の時代の大室家が、南朝から続いて居ると言う証明がない。
○しかるところ、最近某氏の次のような情報に接した。
○即ち、曰く。
(1)大室寅之祐の父親は、大室弥兵衛(一八一三年六月十四日〜一八七九年)
(2)大室弥兵衛は、妻ハナとの間に子供が二人出来たが、二人とも早死した。
(3)地家作蔵と興正寺基子(スエコ、スヘ)の間に、長女ターケ、長男虎吉、
次男庄吉、三男朝平と生まれた。
(4)作蔵とスヘは離婚。
(5)長男虎吉と次男庄吉をスヘが引き取り、長女ターケと三男朝平は作蔵が
引き取る。
(6)スヘは、大室弥兵衛の二号と成り、
(7)地家虎吉は大室虎吉、地家庄吉は大室庄吉と成る。
(8)スヘは一八五五年死亡。
(9)大室弥兵衛の血統は断絶し、大室虎吉、大室庄吉は実は、地家作蔵の息子。
(10)大室虎吉がのちに、大室寅之祐=明治天皇と成る。
○と言うのである。
○なお、地家作蔵に引き取られた三男地家朝平の子孫は、山口県田布施町に現存し
て居る、と。
○この説を「是」と仮定すると、どう言うことに成るか。
○大室弥兵衛以前については保留するとして、
○大室虎吉=大室寅之祐は、地家作蔵の血統である。
○つまり、南朝云々、とは関係がない。
○と言うことに成るであろう。
○更に、「地家作蔵」。
○この人物は、苗字も無い海賊某の息子。
○そしてこの作蔵が、地家吉佐衛門の養子と成り、「地家」姓を賜る。
○との説である。
○この説については、今後、検証して行く。
(了)
http://www.pavc.ne.jp/~ryu/cgi-bin/jiji.cgi
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