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(回答先: 皇室典範有識者会議に学者らが反発 緊急声明を発表 [朝日新聞]【男系男子による皇位継承が「有史以来の不動の伝統」だと】 投稿者 あっしら 日時 2005 年 10 月 07 日 01:51:08)
【制度が存在しなければ、このような問題は生じないはずなのに】
五十嵐仁の転成仁語 10月6日(木)
http://sp.mt.tama.hosei.ac.jp/users/igajin/home2.htm
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皇室関係の記事が2つ、目につきました。いずれも、天皇制の存在そのものに深く関わるような記事です。
一つは、女性・女系天皇を認めるかどうかという問題です。「皇室典範に関する有識者会議」が「女性・女系天皇」を認め、天皇直系を優先する2案を軸に意見集約に入ることになったそうです。
皇室に40年にわたって男子が誕生せず、将来、天皇制が維持できなくなる可能性があります。それにそなえて、愛子さんなど女性でも皇位を継承できるようにしようというわけです。
男性だけでなく女性も、というのは男女平等の観点からすれば当然のように見えます。しかし、愛子さんなど、まだいたいけな女の子の一生を決めてしまう可能性について、問題だと感ずる気持ちはないのでしょうか。
それは、男性であっても同じことです。現在の天皇は、生まれたときから天皇になることを運命づけられてきました。それは今の皇太子も同様です。
お2人とも、その運命を甘受しているように見えますが、しかし、そのようなあらかじめ定められた人生を歩むことに迷いはなかったのでしょうか。別の人生を選択するチャンスも権利も与えられていないことに、いささかも不満を感ずることはなかったのでしょうか。
将来の進路に迷わずに済むということは、幸せなことなのでしょうか。自分の人生を選ぶことができるという、誰でも持っているはずの権利を行使できないということは、人間として不幸なことなのではないでしょうか。
もう一つは、11月に結婚して皇室を離れる紀宮さんに関わることです。皇室離脱にともなって支給される一時金を決める皇室経済会議が開かれ、満額の1億5250万円とすることになりました。
この額が多いのか、それとも少ないのか。色々な議論があり得るでしょう。都内で立派な一軒家を買うには少ないのでは、という意見もあるでしょうし、結婚への「ご祝儀」としては多すぎるのでは、という意見もあるでしょう。
いずれにしても、これは法律に基づく支出ですから違法ではありません。しかし、もし敗戦に際して天皇制がなくなっていれば、支払う必要のなかったお金です。
紀宮さんには、これまでも毎月1500万円ほどの金額が支出されてきました。いわゆる、皇族の一員としての「月給」です。
これについても、多いか少ないかという議論はあり得るでしょう。少なくとも、天皇制という制度がなく、皇族の一員でなければ、支出されるはずのない金額です。そしてそれは、いうまでもなく国民から集めた税金です。
このような形での支出に値する「仕事」をしているのかが、改めて問われる必要があるのではないでしょうか。皇位継承の問題にしても、皇室離脱に伴う経費の支出についても、天皇制という制度が存在していないければ問題になるはずがありません。その制度の存続自体について、必要かどうかをこの機会に考えてみたらどうでしょうか。
このようなことを書くと、不快に思う人がいます。流石に「不敬だ」などと言う人はおられないと思いますが……。
このような人にとっては、天皇制は必要だということが前提されています。しかし、考えてみてください。誰にとって必要なのかと。
私たちの日常は、このような制度とは無関係に営まれています。天皇制や天皇一家に親しみを感ずる人もいればそうでない人もいますが、だからといって、そのような人それぞれの生活に変化があるわけではありません。
天皇一家にとってはどうでしょうか。このHPで何度も書いてきたように、このような制度を維持するために天皇はじめ関係者の人生を犠牲にすることに、私は反対です。
皇族として生きることには、数々の特典とともに膨大な犠牲を強いられます。居住の自由、職業選択の自由、信教の自由、思想信条の自由など、憲法で保障された基本的人権の多くが剥奪され、行動の自由をもちません。国籍離脱の自由もなく、皇室会議の決定がなければ、結婚することさえできません。大変、不自由で気の毒である、と私には思われます。
これほどの犠牲と不自由を求められるにもかかわらず、それを甘受して皇室の一員となるかどうかについて、本人の意思は全く問われていません。将来の「女帝」として想定されている愛子さんは、その典型的な例です。
天皇制については、あることが当たり前のように受け取られ、その存続の是非について問題にされることは全くありません。「女帝」論議にしても、男性だけにするか、女性も認めるかという2つの選択肢だけで、両方ともなくするという選択肢は無視されています。
19世紀から20世紀にかけて王政や君主制を廃止した国は数多くあります。21世紀の今日、そのような選択肢について、この日本でも検討してみることに何の不都合もないはずです。
王政や君主制がなくなったために滅びた国はあるのでしょうか。共和制に移行することによって、より多くの民主主義が保障されてきたというのが歴史の示すところではないでしょうか。
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