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※ 上の画像は熊本の江田船山古墳から出土した金銅冠です。韓国の忠清南道・公州の水村里にある古墳から出土した金銅冠とその復元物の画像は朝鮮日報の記事ページにジャンプしてご確認ください。( http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/10/07/20051007000023.html )
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西暦5世紀半ば、漢江(ハンガン)流域に首都を置いていた漢城(ハンソン)百済(ペクチェ)が、忠清南道・公州の最高首長に下賜(かし)したものと推定される、百済の金銅冠が約1500年ぶりに本来の姿を取り戻した。
考古学会は製作方式や模様などから見て、この金銅冠が日本の福岡で発掘された江田船山金銅冠(西暦6世紀初め)の製作にも大きな影響を及ぼしたことがわかり、日本への百済の影響力を再確認させるものと評価している。
忠清歴史文化院のイ・フン文化財研究部長は6日、「2003年公州・水村(スチョン)里の第4号古墳(史跡460号)で発掘された百済の金銅冠の保存処理を経て、複製を完了した」と述べた。
保存処理した結果、金銅冠は高さ18センチメートルで、金銅版を透彫(材料の面を切り取って図案を表現する方式)し、竜模様などを形象化していた。金銅冠の前後に草花模様や花のつぼみの装飾などをつけてある。
イ・ハンサン東洋大学教授(考古学)は「水村里の金銅冠は、異論の余地のない漢城百済期(西暦前18年〜西暦475年)唯一の金銅冠だ」とし、「原型を保っているという点から、今後百済の冠研究の貴重な資料になる」と評した。
考古学界は水村里と江田船山の金銅冠が、形が三角錐様で、透彫で製作され、竜模様や雲模様など細部の模様が類似し、つぼみ装飾の端に目盛りを彫り込んでいるなど、製作技法が一致していると指摘している。
計5つの塚からなる公州水村里古墳群(西暦4世紀末〜5世紀半ば)からは、金銅冠2点、金銅製靴3点、中国製の最高級磁器など、塚に埋められた者の権威を象徴する「威勢品」が多数出土した。
これまで考古学界では、漢城百済期に天安や清州より北の地域のみ百済が掌握していたという説が主流だった。しかし公州水村里遺跡の発掘により、百済が西暦4〜5世紀頃、この地域の最高レベルの土着勢力に宝物を下賜することで、錦江(クムガン)流域まで国家の影響力を拡大していったと考えられるようになった。
朝鮮日報
★ 画像はサイトでご確認ください。
記事中の「日本の福岡で発掘された江田船山金銅冠(西暦6世紀初め)」という部分は、福岡ではなく熊本の誤りです。
「百済が西暦4〜5世紀頃、この地域の最高レベルの土着勢力に宝物を下賜することで、錦江(クムガン)流域まで国家の影響力を拡大していった」という説明は、高句麗の南下(420年代に平壌に遷都、475年に高句麗の侵攻で百済が実質滅亡)に押されるかたちでの百済の南下と解釈したほうが理に適っていると考えています。
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