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カエサルとバレンボイム そして芭蕉
http://ameblo.jp/skoro/entry-10004754471.html
ブログなるものを始めてみることにした。目下、塩野七生と、昔からアルゼンチンタンゴにはまっている63歳の日記。そして、3年目の俳句と。
-----------以下は、その引用です(ブログでの、ご提供ありがとうございます)-----
2005-10-01 19:02:34
下流意識
テーマ:多様性を追求する
三菱証券のアナリスト、北野一氏が、三浦展氏の「下流意識―新たな
階層集団の出現」(光文社新書)という本を紹介して、興味深い解説を
していたので要約して紹介しよう。
まずこの表を見ていただきたい。
中の%は、「自分らしさ、個性を大切にしたい」と思う人の比率である。
上流意識の人
下流意識の人
団塊の世代ジュニア
25%
42%
団塊の世代(親)
64%
30%
団塊の世代(親)では、上流意識の人に『自分らしさ』を大切に思う人が
多いのに対して、ジュニア達は、『自分らしさ』を大切に思っている人は
下流意識の人に多いという指摘である。
この層を、「新たな階層集団の出現」とみている。
団塊の世代ジュニア:1971〜75年に生まれた層、30〜34才をいう。
そして、自分らしさを大切に思う人たちの「未婚率」を、更に分析している。
男
女
自分らしさが大切
64%
38%
非自分らしさ
46%
15%
つまり、自分らしさを大切に思う人たちは、男女共に、そうでない人より
圧倒的に未婚率が高いということである。
そして、同じ傾向は非正規雇用の比率でも見られるそうである。
これらの傾向は、自分らしき生き、自己実現をしたい=好きなことは
したいが、嫌いなことはしたくないということであって、当然収入も減り、
生活水準も下がり所得格差が拡大、ニートの増、晩婚化、少子化に
直結している由々しい社会傾向である。
なぜ下流意識の若者に『自分らしさ』傾向が強いのかは説明が難しいが、
別の調査で類推が出来るといっている。
即ち、1979年頃には、自分は人よりすぐれたところがあるとの感覚
(自己能力感)を持っている人は、高学歴志向であったが、18年後の
1997年の同じ調査では、自己能力感のある人ほど高学歴を求めない
という結果であるそうだ。
自己能力感=自己実現感と考えれば説明できるとしている。
困ったことになっているものだ。
この論文で、『バカの壁』にも同様の行があることを紹介している. (下線 skoro)
「このところとみに、『個性』とか『自己』とか『独創性』とかを重宝する物言いが増えてきた。文部科学省も、ことあるごとに『個性』的な教育とか、『子供の 個性を尊重する』とか、『独創性豊かな子供を作る』とか言っています。しかし、これは前述した『共通了解』を追求することが文明の自然な流れだとすれば、 おかしな話です。明らかに矛盾していると言ってもよい。多くの人にとって共通の了解事項を広げていく。これによって文明が発展してきた筈なのに、ところが もう片方では急に『個性』が大切だとか何とか言ってくるのは話がおかしい」
だが、北野一氏も三浦展氏も養老猛司氏も明確な処方箋は出していない。
私もそう簡単に考えは出てこないが、
まずは、戦後民主主義の付けが回ってきていることに、社会や親や子供が
気づく事であると思う。
その上で、個性化、多様化する価値観を『不易流行』に仕分けして価値観を定め、
二世代ほどかけて、いや、戦後既に三世代になろうから、それ以上の時間が
かかろうとも、教育し直さなければならない。
問題は、不易なる価値観とは何かだ。
私の意見は明確である。
孔子以下の説いた『五倫五常』の道徳を、そのままではなくて、これからの日本に
置きなおすことである。
即ち、
仁(人を思いやる)、義(正義を貫く)、礼(礼を尽くす)、知(知恵を磨く)、
心(人を信じる) (五常)
父子親あり、君臣義あり、夫婦別あり、長幼序あり、朋友信あり(五倫)
という、人にとって普遍的な哲学というか道徳というか倫理を正しく理解し、
親の代から実践教育をし直すことである。
戦前の教育勅語や戦陣訓にもどれと言うのではない。
しかし、半端な民主主義、宗教教義的確執、政治的イデオロギーから決別する
『中庸』で言う、勇(義を見てせざるは勇なきなり)がなくてはならない。
あああ、今日も大論陣を張ってしまった。
乞う御批判。
世は民主主義であるから・・・・。
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