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トマス・P.M.バ−ネット 著 『戦争はなぜ必要か』 米軍とグローバリズムに乗った国と取り残された国の断絶
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投稿者 TORA 日時 2005 年 9 月 26 日 17:32:48: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu103.htm
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トマス・P.M.バ−ネット 著 『戦争はなぜ必要か』
米軍とグローバリズムに乗った国と取り残された国の断絶

2005年9月26日 月曜日

◆THE PENTAGON'S NEW MAP 〈Barnett, Thomas P.M.〉
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/477002794X.html

◆非対称戦争

私が偶然かつ不本意ながら"非対称戦争"という概念を知ったのは、ウィスコンシン州のボスコベルで過ごしていた少年時代のことだった。私の父は市の代理人で、市の命令を市民に実行させなければならないときもあった。しかし、たとえば裏庭で豚を飼うことが近所迷惑になる理由はないと考える住民もいる。時には私も、自分の父親が家畜を失ったことへの仕返しに来た、かなり大きないじめっ子に立ち向かわなければならなかった。

小さい子が自分より大きな者に立ち向かう時の常で、私は自分の身、を守るため”非対称の戦い”に手を染めた。考えられるる限りの卑怯な手を使い、もっばら相手の弱みを突いた。たまに痛めっけられることはあっても完膚なきまでに叩きのめされることはなかったのは、自分を守るためにできることは何でもしたからである。

真正面から戦っても勝ち目がないことはわかっていたので、足の遅い相手には全速力で走り、自分より背の高い相手のときは下半身を攻撃した。ジョークで切り抜けたこともある。しかし殴り倒そうとしたことは一度もない。殴るのは相手の得意技で、それで戦うのは私にとって意味がなかった。

一九九〇年代にソビエト軍が消滅すると、我が国は戦わずして世界の軍隊のガキ大将になってしまった。あるいはニューヨーク・ヤンキースの名監督ケージー・ステンゲル、グリーン・ベイ・パツカーズのヴィンス・ロンバルディのように、尊敬されると同時に恐れられる存在に。

米軍は、特に正面切っての戦いでは自分たちを倒せる相手はいないことを知っていたので、九〇年代は小さな敵がどれほど巧妙かっ卑怯な手でアメリカの軍事力を無効化しようとするかという問題に、多くの時間と精神的エネルギーを費やしてきた。ペンタゴンはどこかの国と直接戦闘が始まることを恐れていたわけではなく、Aという国がBという国を攻撃し、Bを守るためにアメリカが駆けつけAを追い払わなくてはならないという事態を恐れていたのである。

このシナリオは一九九〇年のイラクのクウェート侵攻とそっくりなので、軍は次の戦争ではなく、前に起こった戦争の計画を立てるという昔ながらの批判の声があがった。しかしこの内容に当てはまる手頃な例は他にもある。たとえば北朝鮮の韓国侵攻、台湾を標的とする中国などがそうだ。この三つのシナリオは、九〇年代、ペンタゴンが非対称戦争という新しい概念に基づいて計画を立てるのに好都合なものだった。

議会で軍の装備(艦隊、航空機、戦車など)として何が必要と思うか説明するとき、ただソビエトが所有する装備のグラフを示し、「これは陸軍に、こっちは海軍に必要です」と言えれば簡単である。しかし、イラクや中国が相手だとそのようなアプローチはできない。九〇年代、ペンタゴンの将校たちは防衡予算を削られないよう議会を説得するのにかなりこじつけめいた理由を繰り返し、その結果、非対称戦争という言葉をすべてのアナリストが暗記するに至った。

けれども九〇年代にアナリストたちがおこなったのは、非対称戦争というコンセプトをさらに押し進めることだった。敵は正面からの戦いを避けるだけでなく、我が国が自らの"国益"に関わる紛争に"接近〃することさえ"拒む〃だろうと、ペンタゴンは主張するようになった。

たとえば国家Aが国家Bを攻撃したとすると、Aはアメリカが介入する前にできるだけ早くBを征服しようとする。Aは、彼らの"接近を拒む〃手腕を克服しなければ米軍といえども戦況をひっくり返せないという既成事実をつくって、世界に示そうとするのである。Aの望みは、アメリカにもう打つ手はないと思わせ、反撃によって生じる犠牲を考えれば現状を受け入れるのが得策であると判断させることだ。

ペンタゴンのスタッフがこのことを説明するとき、この結果がどれほどアメリカの誇りを傷っけるものかを強調した。こんなくだらない独裁者が、アメリカに無礼を働くのを許しておいていいものでしょうか。しかし一歩下がって考えてみると、こうした事態にまで対処しなければならないとしたら、アメリカが世界秩序に対して負うべき責任のレベルは驚くほど高いことになる。事実、我々の国益リストに限りはなかった。

冷戦時代、我々には心配すべき友人がいて、ソビエトにもやはり友人がいた。そして時に第三世界で主導権争いの代理戦争が起こった。それだけでも十分に思われるかも知れないが、世界に対する責任はそれほど大きくなかった。ヨーロッハとアジアにおけるソピエトの進出を阻止し,もしソビエト.が他の国と接近したら、アメリカはその隣の国ともっと接近する。世界中のどこでも、攻撃的な行動には反撃するという規則があったわけではなかった。少なくとも東南アジアで"ドミノ理論"を捨て、ベトナムやカンボジアでの敗北が即、西欧文明の衰退のしるしということにはならないと気づいてからは。

しかし東側の崩壊という事実にはなかなか慣れにくく、ペンタゴンは世界の安全保障になぜか大きな責任を感じていて、どこであっても重大な攻撃的行動があれば対処できるよう備えたいと恩っていた。それ自体は悪いことではないが、どのような選択をしたのかアメリカ国民に説明するのが筋である。ここで指針となるヴィジョンの欠落が響いてくる。

もちろんペンタゴンは、世界の警察になろうなどという望みは持っていなかった。ただ、できるだけ大きく、威力のある戦力を保持するために、考えられうる限り困難な仕事をリストアップしていたに過ぎない。簡単に言ってしまえぱ、それは予算獲得のゲームだった。そのゲームで好成績を収めるために"接近拒否"や"非対称戦争"といった多くの戦略概念を強調し、混乱と不安が渦巻く中、世界のどこであろうと一筋縄でいかない敵を見つけたら、ひねり潰せるだけの備えが必要だと議員に訴えたわけである。

今にして思えば、この非対称戦争という概念を当てはめるべきなのは、ならず者国家ではなく、アルカイダのような国境のないテロリストたちのネットワークだった。国家安全保障計画に関わった誰もが、ここで理解を誤った。大きな紛争とシステムヘの脅威として国家ばかりに目を向けていたため、国際テロの高まりを軽視してしまった。言い換えれば我々は、アメリカが世界的な戦争や国家間の戦争を阻止するという点で大きな成功を収めていたことに気づかないふりをした。

そうしているうちに、もっと重大な、そして率直に言って、予算獲得という意味でもっと説得力のある、ことが起こってしまったのである。それが九・一一であり、以来防衛予算ばかりでなく、連邦予算全体を見ても分配の優先順位がとんどん変わっている。

しかし本当は、防衛関係者は九・一一のはるか以前からこうした変化に気づくべきだった。時代が進むにつれて、そのことは明らかになっていた。アメリカの危機対応策について過去三十年の歴史を見ると、アメリカの重視するポイントが、システム・レベルの脅威から国家レベルヘ、そして最終的に、崩壊しつつある国家(他の世界から断絶している国家)へと下方に移動している。そこから考えれば、国家(あるいは国家グループ)同士の戦いから個人との戦いという新しい時代へ向かっていることに気づいたはずだった。

九・一一の事件で、二十一世紀の非対称戦争がどのようなものになるかアメリカは思い知らされた。それはアメリカとほぽ対等で、グローバル経済に急速に統合されつつある中国のような国から起こるのではない。また決まった場所にあって、我々がいつでも包囲、攻撃できる、ならず者国家から起こるのでもない。我々が直面する非対称戦争は、グローバリゼーションの恩恵を奪われた、あるいはグローバリゼーションの進歩から切り離された国の奥にいる敗者たちの間から生じる。

その中心となるのはオサマ・ビンラディンのような教育のあるエリートたちで、グローバリゼーションの支配から(ひいてはアメリカ"帝国"から)の断絶を理想に掲げる。一世紀前の、知識階級だったレーニンと配下のボルシェビキと同じように、こうしたテロリストたちはありとあらゆる卑怯な手を使うし、時間が経つにつれてさらに意固地になっていくだろう。彼らは心の奥底で、時間が自分たちの味方でないことを知っている。いずれグローバリゼーションの進展によって、社会を支配し、時計の針を戻す機会が奪われてしまうことを。

アルカイダのテロの犠牲者は、兵士ではなく市民だった。九・一一の攻撃では、南北戦争以来、一日の死者としては最高の数のアメリカ人が命を落とした。そしてそれは、すべて彼らの計画どおりだった。ビンラディンはグローバリゼーションと米軍の覇権が自らの民に及ぶことを恐れ、暴カを直接アメリカ市民へと向け、非対称ではない戦いをしていると信じた。たとえアメリカがそうは思わなかったとしても。

こう考えると、ビンラディンとアルカイダがめざす非対称の戦いという戦略について、はるかに論理的に理解できると思われる。アメリカを国家レベルで倒すことはできないが、個人レベルでそれなりの数の国民を殺すことで、アメリカの鼻をへし折ってやることができる。そしてそれがペルシア湾から軍を撤退させる要因になれば、システム・レベルの勝利まで可能だ。

九・一一に対するアメリカの反応は、予想どおりと言ってよい。世界中に散らばっている個々のテロリストを追うのは容易ではないため、アメリカは自分たちの得意な行動に出た。つまり国家を侵攻したのである。もちろん、アルカイダの中心的リーダーとトレーニング・キャンプはアフガニスタンに集中していたが、主要な隠れ家を潰せば世界に広がる個々のメンバーも壊滅できると考えるのは、ハンバーガー大学をなくせぱ世界中のマクドナルドを潰せると考えるようなものかも知れない。

アメリカのアフガニスタン侵攻は、我々の目の前にいる究極の敵について多くを語っている。それは"断絶"である。レーニンが世界の資本主義システムに逆らって初の社会主義国家をつくろうとしたとき、行き着いたのは経済が深刻に遅れていた(資本主義以前の状態の)ロシアだった。

それと同じように、ビンラディンとアルカイダがアメリカ主導のグローバリゼーションのプロセスに世界的な低抗を始めようとするときに行き着いたのは、他の国々との経済的な結びつきが深刻に阻害されている(グローバリゼーション以前の状態の)国々だった。

[著者紹介] トマス・バーネット Thomas P. M. Barnett
アメリカ海軍大学教授、上級戦略研究者。2001年10月から2003年6月まで、米国防総省内部部局の軍変革室で戦略計画補佐官を務めた。それ以前には、「ニュー・ルール・セット・プロジェクト」(ウォール・ストリートの証券会社、カンター・フィッツジェラルドとの共同研究)、「西暦2000年国際安全保障問題プロジェクト」などにディレクターとして参加している。2002年12月号の『エスクァイア』誌は、バーネットを「最も有能で聡明な」戦略家として紹介。翌年3月号の同誌に掲載された、本書の基盤となる論文「ペンタゴンの新しい地図」は、各方面で賛否両論の激しい反響を巻き起こした。ハーバード大学Ph.D.(政治科学)。ロードアイランド州ポーツマスに住む。


(私のコメント)
トマス・バーネットの「戦争ななぜ必要か」と言う本の題名を見ると好戦的なアメリカ軍人が書いた本のように見えますが、経歴を見ればわかるように軍事官僚が書いた戦略書である。90年に冷戦が終結してソビエトへの封じ込め政策がひとまず終わって、アメリカは新しい戦略の構築を迫られましたが、9・11が起きるまでそれは出来なかった。一応は「非対称戦争」という言葉が流行語になりましたが、それは予算を獲得するための口実であった。

それに対してトマス・バーネットは「ペンタゴンの新しい地図」と言うレポートを発表して、グローバリズムに乗っている国と乗り遅れた国とに分けた地図を発表した。そして9・11が本当の非対称戦争の実態を知らしめる結果となりましたが、「戦争がなぜ必要か」と言うと、イラクのようにグローバリズムに乗り遅れた国を引き込むために必要だと論じている。たしかにサダム・フセインのイラクを放置していたら、いつまでたってもイラクは取り残された国になってしまうだろう。

しかし非対称戦争の概念からすればアメリカ軍のイラク侵攻は、イラクをテロリストの巣窟にして実戦訓練の場にもなってしまっている。それに対してアメリカ軍は戦車やヘリコプターでテロリスト殲滅作戦を実行しているが効果は上がらず、アメリカ軍がもっとも恐れるベトナム戦争以来の泥沼戦争になってしまっている。13万人もの陸軍兵士がイラクに釘付けにされて、戦うも地獄引くも地獄のジレンマに立たされている。

なぜアメリカはイラクに侵攻したのだろうか。トマス・バーネットはこれを、「ハンバーガー大学をなくせば世界中のマクドナルドを潰せる」と考えるのと同じと言うように馬鹿げている。つまりはテロリストは組織ではなくて文化宗教を絆にして乗り込んできたグローバリストに対して抵抗運動をしているのだ。これこそが本当の非対称戦争の正体であり戦車やヘリコプターで殲滅できる敵ではない。

しかしこのような戦争が非対称戦争の正体なら従来の軍隊が手におえるものではなく、CIAやFBIが対応すべき戦争なのだろう。しかしそれではペンタゴンも予算は縮小されるばかりなので軍需産業は強引にイラク攻撃を仕掛けた。これは非対称戦争がわかっていなかったというよりも産軍複合体のご都合なのだ。

昨日の日記でアメリカは北朝鮮を攻撃しない事を六カ国協議で声明書に表しましたが、これがアメリカ軍部の本音なのだろう。イラク攻撃も軍部は反対したがイラクは油があると言う事で強引に軍事攻撃を仕掛けた。そしてバグダッドには3000人規模のアメリカ大使館を作り恒久的にイラクを占領し続けるつもりのようだ。これは明らかに非対称戦争とは関係がない。

トマス・バーネットは北朝鮮の韓国侵攻や中国の台湾攻撃を例にあげて、「AがBを攻撃した場合、アメリカが駆けつけてAを追い払うというような事態を恐れていた」、と書いていますが、朝鮮半島や台湾海峡で戦争が起きてもアメリカはBを救うためにAを追い払うような事は出来ないと見ている。軍事予算を獲得するには好都合なのでしょうが、二度と朝鮮戦争やベトナム戦争のような従来の非対称戦争もしたくないと思っている。

さらにバーネットは北朝鮮の金正日のような独裁者がアメリカに無礼を働いても、それに対して過剰反応はしないほうがいいと考えているようだ。だからバーネットの考えはイラクのサダム・フセインに対しても軍事侵攻は反対だったのだろう。しかし不幸にもイラクには石油があった。そして北朝鮮には何もなかった。だから台湾も何かあっても台湾には石油が無いから手を出さないだろう。

この著書の「戦争はなぜ必要か」という題名には違和感を持ちますが、反グローバリズムに対する戦争は必要だと言う意味なのでしょう。しかしイラクに対するやり方ではイラクはグローバリズムに乗れないしテロリストの巣窟になりつつある。トマス・バーネットはこれに対してはグローバリズムに乗れない国に対しては小規模な軍事基地を点在させてテロとの戦いに備えることを推奨している。

昨日も書いたように日米安保体制は日本にとってどれだけ信用できるものなのか、私は不安を持っている。バーネット氏が書いているように台湾がA国で中国がB国である場合に、B国を追い払うためにアメリカは動いてくれるのだろうか。反撃による犠牲が大きい場合はアメリカは動かないだろう。中国は核付き大陸間弾道弾を持っていて中国軍幹部もアメリカ本土に核攻撃をすると公言しているからだ。

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