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(回答先: 電通作成の「小泉ラッキー伝説」の宣伝ご苦労さん。惨憺たる終末を迎える事になる「小泉神話」も書いておいてね(本文なし) 投稿者 良心党・愚考 日時 2005 年 9 月 25 日 20:08:48)
幸運な人に学びたい
「本当にあった嘘のような話―『偶然の一致』のミステリーを探る」より(95-97p)
ハートフォードシャー大学の心理学者リチャード・ワイズマン博士は、成功を手にして幸せな人生を送る人と、失敗ばかりくり返す不幸な人がいるのはなぜか、また、不幸な人がなんらかの方法で運をよくすることができるのかどうかを、10年かけて研究した。博士の意見では、運がいいか悪いかは単なる偶然の問題ではないという。
「心理学者たちは百年以上もの間、人の知能や性格、遺伝子、外見、育った環境が人生にどう影響するかを研究してきたが、運の良し悪しについて考察した研究はこれまでほとんどなかった」と、博士は言う。その研究の成果をまとめたのが、著書「運のいい人、悪い人―運を鍛える四つの法則」(邦訳、角川書店)である。
ワイズマン博士は、自分は生まれつき運がいい、または運が悪いと思っている人たちのものの考え方や体験を調べることで、なんとも定義しにくい「運の要因」を探すことにした。何百人というボランティアの被験者に徹底的なインタビューを行い、その多くをビデオに撮影して、答えの内容だけでなく、答えるときのようす、つまり全体的な顔つきや態度もくわしく観察した。
その結果、運のいい人は、笑ったり相手と目を合わせたりする頻度が多いことがわかった。また、運の悪い人と比べると、はっきりした身ぶり手ぶりを使うことが三倍も多かった。運のいい人は非常に難解なパズルにも最後まであきらめずに取り組むが、運の悪い人はこんなもの絶対に解けるはずがないとすぐにあきらめてしまう。新聞をわたして、写真の数を数えるように指示すると、運のいい人は、三面に載っているページ半分の大きさのメッセージに目をとめる。そこには、こう書いてある。
これ以上見る必要はありません。この新聞にある写真の数は42枚です。
ところが、運の悪い人は、作業を短縮できるこのチャンスに気づかないまま、最後の面まで数えつづけてしまうのである。
これとは別に、二人のボランティアを使った実験も行った。自分は運がいいと思っているロバートと、運が悪いと思っているブレンダで、二人ともビジネスの世界で仕事をしている。ワイズマン博士は二人のそれぞれに、指定したカフェに行って、実験の関係者からの連絡を待つように指示した。
カフェでは、三つのテーブルにさくらをすわらせておき、四つ目のテーブルに、ロバートやブレンダにとって役に立つコネになりそうな本物のビジネスマンにすわっていてもらう。このまたとないチャンスをものにすることができるのは、二人のどちらなのか。それを確かめようというのだ。
ロバートは店に入ると、コーヒーを注文して、ビジネスマンの隣にすわった。数分もしないうちに、ロバートは初対面のその人に自己紹介し、コーヒーを一杯ごちそうさせてほしいと言った。ビジネスマンはこれを快く受け、しばらくすると二人はすっかり打ちとけて話をしていた。
次はブレンダの番だ。彼女も、店に入るとコーヒーを注文して、ビジネスマンの隣にすわった。ところが、ロバートとちがい、ブレンダはひと言も話さなかった。
結果は博士の予想どおりだった。「同じチャンスがあっても、対処のしかたがちがう」というわけなのだ。
運はチャンスや偶然とはほとんど関係ない、というのがワイズマン博士の結論だ。運のいい人は、人生のチャンスを作り出し、そのチャンスに気づいて行動を起こす。直感と本能的な感覚を利用するのである。
「運とは自分で作るものだ」と、ワイズマン博士は言う。「あなたの未来は不変ではない。経験する幸運の数が初めから決まっているとは限らない。自分で変えることができるのだ。たくさんのチャンスを自分で作り出し、いいときにいい場所にいられる機会をケタちがいに増やすことができる。未来の運は、あなた自身の手の中にあるのだ」
なんだか自己啓発セミナーみたいでアレですが。
小泉首相の「第二次世界大戦終了60周年記念式典出席」を報じる写真や動画を見ていて、「なるほどこの人が幸運(ときには豪運)と呼ばれるわけだ」と思わされた。
表情が明るい。フレンドリーである。動作が派手。屈託がなさそう。元気がいい。
特にこの写真では、小泉の満面の笑みに釣られるようにブッシュもシュレーダーも、そしていつも強面のプーチンまで(!)笑顔を浮かべている。「人蕩し」小泉の面目躍如というところ。
小泉さんの真似はとてもできないが、せめてできるだけ明るく笑顔で人と接したいものだ。
今の自分はあからさまにその逆なので、これでは幸運の女神に好かれないのも当然。
「幸運の女神」を思うとなぜか乙葉の姿が目に浮かぶのだが羨ましいぞ藤井隆コノヤロウ。どうかお幸せに。
http://blog.goo.ne.jp/kurokuragawa/e/37dc40d8ea09aff5ef038bb34c536fd7
悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです
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