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一九六二年十月のキューバ危機は、米ソ間の核戦争になり得た事件である。同事件は、諜報関係者の話では、ソ連のGRU(参謀本部情報総局)の幹部であったオレグ・ペンコフスキー大佐が西側に流した情報のおかげで、核戦争を回避できたといわれている。
ペンコフスキーは、非常に高度な機密にたずさわる立場にあったが、一九六〇年に自ら西側に情報提供を申し出た。まず、アメリカ、そしてそれが不調に終わると、MI6に接触した。そしてMI6のエージェントとなり、英米に情報を提供することになる。ペンコフスキーは、多くの貴重な情報を西側に洩らしたが、その中でも、ソ連の軍事戦略の基本が、戦術的地対地ミサイルを使った大規模な先制攻撃と、化学兵器の大量使用だという情報を西側に流した。その結果、NATO(北大西洋条約機構)は、その万一の場合の戦争計画を大きく変えることになったといわれる。
キューバ危機では、ペンコフスキーのもたらした資料と二万メートル以上の高高度を飛ぶU2型偵察機でアメリカが撮った写真により、ソ連が中距離弾道ミサイルをキューバに既に配置していることがわかった。その結果、さらなるソ連のキューバの武装増強を防ぐため、アメリカは、キューバの海上封鎖に踏み切った。当時、アメリカのタカ派は、ソ連のほうが数多くのミサイルを持っていると考えていた。そのため、もし、ソ連のリーダー、フルシチョフが引き下がらなければ、アメリカは核の先制攻撃をするしか方法がないと強く主張していた。しかし、ペンコフスキーのもたらした情報で、アメリカのほうが二倍ほど多くのミサイルを持っていることが既にわかっていたのである。
キューバ危機が最高潮に達した一九六二年十月二十二日にアメリカのケネディ大統領は、テレビとラジオで演説をし、ソ連がすでにキューバにミサイルを持っていること、キューバの海上封鎖をすることを発表し、ソ連に既存のミサイルの撤去を求めた。
一方、偶然にも、この日、ペンコフスキーは、GRUの本部の外で逮捕された。フルシチョフは、ソ連の大陸間弾道ミサイルの数やその攻撃能力などを吹聴していたが、ペンコフスキーの自白によって、それが実は、単なるはったりであることをアメリカ側が知っていることに気づき、一週間後にソ連の船は向きを変えてキューバ近海を離れた。
英米が、ペンコフスキーが逮捕されたのを知ったのは十一月二日だといわれている。ペンコフスキーは、裁判で死刑を宣告され、銃殺された。
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