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小泉の宣伝工作に乗せられて提灯記事が氾濫していたが、やっと新聞がまともなことを書き始めた。テレビは宣伝の道具だからどうしようもないが、新聞は考えてから書く記事もあるので、東京新聞の九月十九日の社説はまともだから、以下に引用する。
社説
(2005/9/19)
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週のはじめに考える
おごらず、恐れず
驚きのあとに、心配も広がり始めたこの秋です。圧勝をすなわち圧倒的支持、と錯覚する向きが多くはないか。で、おごり、畏怖(いふ)萎縮(いしゅく)しては世が危うくなります。
総選挙はだれも予想しなかったほどの、自民党の地滑り的、歴史的大勝でした。議席数のうえではです。
自民二九六、民主一一三。党得票率で決まる比例代表では、両党七七対六一なのに、各区一議席を争奪する小選挙区はじつに二一九対五二。
やや優勢の党が軒並みに勝ってこの大差になる小選挙区制の猛威は、周知のことながら、これほど顕著になったのは今回が初めてでした。
■圧勝は圧倒的支持でない
忘れてならないのは、やや優勢が圧勝につながってしまう偏りです。
小選挙区で自民全候補の得票率は47・8%。民主36・4%の一・三倍にすぎなかったのに、議席は四・二倍も得たのでした。
党の支持率を問うなら、それは議席数じゃない。得票率に表れます。自民が全議席の61・7%を占め、公明と足して三分の二超の巨大与党になったとはいえ、得票率はといえば自民が五割に満たないこと、自公合わせても小選挙区で五割を切り、比例ですら五割そこそこ。この事実を勝者も敗者も銘記すべしです。
争点を「郵政民営化」一本に絞り「改革」連呼に徹した首相演説は、難題を棚上げした分、単純で分かりやすい。敵味方を峻別(しゅんべつ)し「刺客」も揃(そろ)えた選挙劇場へ、かねて永田町不信の募る国民を「国会より国民が頼り」と巧みに誘う。「死んでもいい」「ぶっ壊す」…そんな過激な言葉も“ネット語”に似て今ふうか。小泉流は大成功でした。自民圧勝、いや「小泉圧勝」。
自民の議席占有率は一九六〇年十一月総選挙での63・4%に次ぐと聞いて思い出します。六〇年総選挙も自民勝利に驚いたものです。安保闘争、岸首相退陣後の池田政権下、社会党浅沼委員長暗殺の翌月選挙で自民苦戦のはずでしたから。
でも、池田首相の「十年で所得倍増へ」「どの家にもテレビと電気冷蔵庫を」「うそは申しません」のフレーズが支持され、自民は57・6%もの得票率を上げたのでした(社会も小勝、民社惨敗)。
中選挙区制の当時、議席数は党得票率にほぼ比例した点、今回とは違います。厚い支持を得た池田首相ですが「低姿勢」「寛容と忍耐」を旨としておごらず。所得倍増を七年で達成することになる高度成長路線のレールを敷き、東京五輪を見届けて病気辞任したのでした。
耳心地いい言葉で勝った。小泉首相は池田首相に似てます。ただしあれほどの支持が実はない。圧勝を圧倒的支持と思ったら大間違いです。
■異論許さぬ政治の気配
もっと違うのは、勝利前後の首相の姿勢でしょう。
異論を許さず反対派を駆逐し、戦時ほうふつの翼賛候補らで勝った小泉首相に、自民党内は今や恐れおののいて「ひれ伏す」図のようです。
「あと一年やって辞任」は首相の公約。ならば、と支持した人が世論調査では断然多数でした。平伏組が小泉賛歌を「どうぞ任期延長を」の合唱で盛り上げるのは、媚(こ)びか、私利党利の思惑からか。
首相は「研さんして小泉方針を進める人」を見極め、後継者にするとか。首相の顔色をうかがう「ポスト小泉」の面々が揃いそうです。
首相の高姿勢と党内の対首相低姿勢。他党も気おされ、腰が引けて、自民、首相の思うがままの政治になる気配濃厚です。
政府与党は対米配慮のテロ対策特措法再延長の方針を決めました。与党と民主は衆院憲法調査会を特別委員会に衣替えし、改憲のための国民投票法案審議へ進もうと早々に合意です。参院で否決された郵政民営化法案も、今度はまず原案通りで成立するのでしょう。逆らえず、逆らわず、審議もろくにせずに進められる政治の、行方が気掛かりです。
国民の支持率よりもはるかに水ぶくれした三分の二勢力と強腰の首相が、国民支持を錯覚して独裁に陥らないことを願わずにいられません。
強い、非情の指導者が求められたとの時代分析があります。異論を嫌い封じる気分も世に広がった感。飛び交う言葉は短く、どぎつく。いろいろ、どうもファッショ的です。
一例が本欄への反発メールでしょうか。首相、自民党に注文、批判を述べると、しばしばこんな言葉がきます。「何様と思っているんだ」
■ファシズムを懸念する
わが憲政史上、最多当選の党は一九三二(昭和七)年の政友会。時の犬養首相はしかしその年、五・一五事件で襲撃軍人に「話せばわかる」の語を残して「問答無用」と射殺されました。以後、言論弾圧、ファシズムが吹き荒れていったのです。
言論報道に携わる者は「何様」でもありません。どちらかといえば、心配性の小心者かしらん。ただ、こうは肝に銘じているのです。自分たちが沈黙し、政治権力に迎合するだけになったら、この国は疑いもなくあのかつてたどった道に戻る、と。そりゃ、まずいな、と。
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