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(回答先: Re:部落民野中を筆頭に裏社会の大半は在日 投稿者 かずや 日時 2005 年 9 月 17 日 09:13:18)
ヤクザと自民党政治の研究part5
リクルート・佐川急便
話は少し戻って1988年、リクルート事件が発生しました。リクルート事件とはリクルート社の川崎市進出に関する贈収賄事件を朝日新聞がスクープしたことを発端にして、同社長江副浩正が政界・官界・NTT高官に未公開株を譲渡したことが明らかになった事件です。
この事件はロッキード以来の大型汚職事件となり、政治家からは藤波孝生元官房長官、池田克哉元衆院議員の2名、官僚からは高石邦夫元文部事務次官、加藤孝元労働省事務次官、鹿野茂元労働省課長の3名、NTTからは4名、贈賄側のリクルート社から3名の逮捕者を出しました。
更に捜査の過程で竹下首相の秘書青木伊平が自殺するなど、現職閣僚を含む多くの政府高官が捜査線上に浮上。しかしそのほとんどが「灰色」のまま捜査が終了し、政治不信に拍車をかけました。最終的にこの事件により竹下内閣は総辞職に追い込まれました。
関与が取りざたされた議員は76名に及びましたが、有名どころとしては中曽根康弘・竹下登・安倍晋太郎・宮沢喜一・加藤紘一・小沢一郎・鈴木宗男・橋本龍太郎・堀内光雄・塩川正十郎・梶山静六などが挙げられます。
4年後の92年には経世会に追い打ちをかけるように東京佐川急便事件が発覚。皇民党事件以来の佐川急便→暴力団・右翼・政治家という資金循環が白日の下に晒されました。この事件により自民党副総裁金丸信は政治資金規正法違反で略式起訴、後に脱税の疑いで逮捕されました。
さらに国税局の調査で金丸の事務所の金庫から日債銀の発行するワリシン・現金・金の延べ棒などが28億円分発見され、自民党政治が腐敗していることは誰の目にも明らかになりました。
ここに至り国民の政治不信は頂点に達し、1993年7月18日の衆院選でついに自民党が下野しました。
暴対法・東京
こうして90年代初頭、経世会・稲川会の国政支配力は大きな打撃を受けました。金丸は失脚し、経世会自体も分裂。小沢一郎らは新党を結成し、非自民細川政権が成立しました。
金丸と並ぶ東京佐川急便事件のもう一人の主役、稲川会二代目の石井進会長も91年に死去し、一時的に稲川会の政治力に陰りが生じました。
一方で西の雄、山口組はこの時期組織が混乱し、試練の時を迎えていました。
山口組は1981年に三代目組長田岡一雄が死去し、翌年には四代目の本命だった山本健一若頭も大阪刑務所で死亡します。それ以降山口組内で後継者を巡り、山本広の率いる山本派と竹中正久の率いる竹中派の間での派閥抗争が激化しました。竹中正久が84年に四代目組長を襲名しましたが、山本派はこれに反発して一和会を結成。山口組は二つに分裂してしまいました。
両者の対立は次第に先鋭化し、山口組は一和会に加わった下部団体の切り崩しを進めます。そのため山口組は多額の資金を必要としていました。
山口組には元々前述の港湾役務利権と芸能興行だけでなく、様々な資金源が存在していましたが(※注4)、この時期に山口組が平和相銀問題に介入したのも資金調達という背景があったようです。山口組が金融システム等の表の経済活動に本格的に進出した時期といえるでしょう。
85年には、竹中は一和会のヒットマンにおそわれ暗殺され山口組と一和会は「山一抗争」に突入します。山一抗争はまさに全国各地で未曾有の規模で行われ、史上最大の抗争と言われました。
88年、激しい抗争の末に山一抗争は山口組勝利で終わりました。この事件では山口組と親密だった稲川会が山口組を側面的に支援したと言われ、山口組は稲川会に借りを作った形になりました。そのため、89年に就任した渡邉芳則五代目組長は稲川会に対して総じて融和的であり、東京進出の際の一定の歯止めになっていたとされています。
しかしながら、山健組や弘道会などの山口組下部団体が東京進出を強めてゆくと、必然的に関東地元ヤクザ、とりわけ住吉会系のヤクザとの衝突が増加して行きました。(※注5)
こうした抗争の頻発は社会問題化し、1992年沖縄のローカル暴力団同士の抗争による高校生誤殺、警察官2名射殺事件を契機として暴力団対策法が制定されました。これにより多くの暴力団は構成員を減らし、大きな打撃となりました。ところが、暴対法は暴力団淘汰の過程で結果的に山口組を含むヤクザの「マフィア化」と大規模・系列化をもたらしました。
このように80年代から90年代の初頭にかけて、山口組は大きく動揺しました。しかし、同時に80年代の山口組は経済活動に参入を深め、関東進出を果たすことができました。この時期はよくも悪くも日本ヤクザ史の中の転機だったと言えるでしょう。
※注4…有名なものでは同和利権がある。2002年に発覚したハンナン牛肉偽装事件では元会長の浅田満が、山健組をはじめとする山口組系暴力団に利益供与をしていた。
※注5…関東二十日会における協議を軸に、関東ヤクザは伝統的に協調を続けていたが、山口組の進出により混乱状態になった。現在もこの流れは変わっておらず、山口(稲川)対住吉・関東地場対中国人の三つ巴の争いが続いている(稲川の位置は微妙)。2003年の北関東抗争が有名。
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