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2004年のアメリカ国勢調査によれば、ニューオリンズはこのような数値で表される。
(全米人口:約2億9千万人、そのうち黒人人口は約12%)
1.人口約44万人
2.黒人の占める割合は67.9%
3.28%のニューオーリンズ市民が貧困層に属するが、その内黒人が占める率は84%
4.貧困者のなかで、車を所有していない家庭に住むもののは,黒人が2万1千人、白人が2千人
5.ルイジアナ州兵の3分の1が、イラク戦争関連の軍事行動に従事している
阿修羅の方々は、かなりお年を召した方々もいらっしゃるようで(笑)、私などが書かなくても、ロックやジャズについては、私よりも数段詳しい方々が多いとは思うが、一応あまり知らないという方々の為に。
ニューオリンズが「ジャズの町」ということは、よく知られているが、ジャズだけではなくロックやヒップ・ホップのルーツが実はここにあるといっても過言ではない。
アメリカの黒人奴隷は、主に西アフリカから運ばれてきたが、西アフリカ最大の文化は音楽文化である。アフリカ人たちは、これをアメリカに持ち込み、アメリカ音楽文化の土台を築いた。その大元の場所が、このニューオリンズである。
黒人奴隷達の歌っていた黒人霊歌、労働歌、ゴスペル・ソング、カントリー・ブルース、シティー・ブルースなどを経て、コックン・ロールが誕生するが、南部生まれの白人、エルビス・プレスリーは、黒人ロックン・ローラー、チャック・ベリーの物まねから出発し、そのプレスリーを真似ようとしたのがビートルズであり、そこから更に多くの白人ロックが誕生して、今日に至っている。
南部は音楽だけの町ではない。「アメリカ料理」というのは、あまり聞いたことがないと思うが、実はアメリカ料理の代表として「南部料理(Southern Cooking)」というものがある。これの本場が、ニューオリンズである。
これを作り出したのも、「家内奴隷」と呼ばれる黒人料理人であった。彼らはマスターの料理係として、レストランやホテル、また大陸横断鉄道の料理人として、食文化を作っていった。
ニューオリンズは、最初はフランス領であったが、後にスペイン領となった。特に南部料理の中でも「クりオール料理(Creol)」は、一般的に信じられているようにアフリカ、フランス、ネイティブ・アメリカンの3種類の料理方法が混ぜ合わさってできただけではなく、スペイン料理も混じっていることを強調しておきたい。
19世紀になると、一部の裕福な白人家庭の間では、フランス料理が流行し、黒人料理人をパリへ修行に送るということが流行した。
初代大統領、ジョージ・ワシントンもホワイト・ハウスで白人料理人が作った料理が気に入らず、彼の故郷で使っていた黒人料理人をホワイトハウスに呼び寄せたという話がある。
1827年には、アメリカで最初の料理本「The House Servant's Directory」が出版されたが、著者は自由黒人のロバート・ロバーツ(Robert Roberts)であった。彼は南部のある上流家庭の料理人として主人と共にイギリス、フランスなどに同行し、後にマサチューセッツ州知事、クリストファー・ゴア(Christopher Gore・・・アル・ゴアの先祖)の料理人となった人物である。
彼はこの中で、当時上流社会の人たちの間で最新流行であった料理を紹介しただけではなく、食事マナーについても書き、評判となった。
このように音楽と食文化を中心とした豊かな南部文化の中心地がニューオリンズであった。今回のハリケーン・カトリーナによる災害は、4,5年前のハリケーン・フロイドの時のようにFEMAの対応が早ければ、免れえたものだったのではないかといわれている。それだけに、アメリカ文化のルーツが根こそぎにされてしまったこの惨状を,ブッシュ、チェイニー、ラムズフェルドよ、どうしてくれる! と言いたい。
http://pubdb3.census.gov/macro/032005/pov/new46_100125_01.htm
http://pubdb3.census.gov/macro/032005/pov/new46_100125_09.htm
http://pubdb3.census.gov/macro/032005/pov/new46_185200_09.htm
The State of Black America 2001 , National Urban League
Paige, Howard; Aspects of Afro-American Cookery, Aspects Publishing Co.
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