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さまざまの心理機制を働かせて、この現実を受容してきたに違いない。
自分たちが不幸であると感じてきた男も、不幸の原因が女に比べて貧弱なオーガズムにあるとは認めず、
別の原因にすり替えてきた。たとえば子供を産めないことが男の不幸の根源だと認める論客は多いが、
オーガズムの性差が不幸の根源だと認める論客は滅多にいない。
これなどはフロイトの言う<合理化>の一種であろう。
11 :名無しさん 〜君の性差〜:2005/03/29(火) 01:24:09 ID:HQ5crIFP
性のことは、真剣に勉強すればするほど、男にとって苦痛な話題が多い。
もっとも、勉強熱心なくらいの男ならば、その苦痛に耐えることもできるわけだ。
逆に、勉強しない男は苦痛に耐える力がないが、勉強しないから苦痛もない。バランスが取れている(取れていた)のだ。
ところが最近では、コンビニの店頭に並んでいるヤング向け、女性向けの雑誌にさえ、
オーガズムの性差の話題は紹介されている。「男の人には悪いけど…」だとか、
「1回いくと、あとはいきっぱなしみたいになるんです。終わった時にはもう腰が立たなくなっている。」
といった女の声が紹介してあったりする。新聞広告の見出しは、記事そのものよりも過激だったりするから、
なおたちが悪い。
女の方がオーガズムが強いことを、いまの中高生は嫌というほど聞かされているということだ。
辛い現実を受容するにはそれなりに時間がかかるものだ。それまで気づかなかった、
人生の価値を新たに発見していくことで、辛い気持ちを抱えながらも生きる力が湧いてくるようになるのだから、
時間がかかるに決まっている。これは思春期の発達課題と言っていいかもしれない。
しかしいまの中高生はあまりにも強い刺激にさらされている。
辛い現実に立ち向かうにも時々は逃避したくなるものだが、そのための手っ取り早い方法として、
アルコールやシンナー、ドラッグ類に手を出す者が増えている。
アルコール初飲年齢は低下の一途をたどっているし、シンナーはすでに過去のものとなりつつあり、
覚醒剤が中高生に広がりつつあるという現状がある。しかしそれでも、彼らは気が利いている方だ。
気が利かない者は「切れる」。切れるという比喩は言い得て妙だ。
何かを堪忍袋にしまい込んで、つまり我慢を強制され続けてきたあげく、
我慢の限界を超えて堪忍袋の緒が切れて、破壊的な
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