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2005年8月20日発行
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JMM [Japan Mail Media] No.336 Saturday Edition
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http://ryumurakami.jmm.co.jp/
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▼INDEX▼
■ 『from 911/USAレポート』 第212回
「ポスト8・15の安全保障」
■ 冷泉彰彦 :作家(米国ニュージャージー州在住)
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■ 『from 911/USAレポート』 第212回
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「ポスト8・15の安全保障」
子供たちに日本文化を体験させるために奈良に来ています。それにしても、この夏
の日本はなんと平和なのでしょう。いわゆる「テロ警戒」は続いていますが、警察力
による監視体制が強化されている以外は、新幹線の車内のゴミ箱が使用停止になって
いるぐらいです。アメリカのように、武装した兵士がウロウロしているようなことは
全くありません。
改めて感じるのですが、町のあちこちに国旗が乱立することもありません。国旗と
いえば、アメリカの場合は橋や工事現場などの目立つ場所には、今でも相当数が掲げ
てあるのですが、日本の場合はそれも皆無ですから本当に気持ちがリラックスするの
を感じます。
ですが、この8月の中旬という季節の日本はどこか死の影に覆われている、そんな
印象が消えません。京都の五山を中心に全国では、お盆の迎え火や送り火が焚かれ、
死者との静かなコミュニケーションが図られます。ここ奈良の町では、有名な寺社を
「ライトアップ」しているのですが、観光目的ではあるのでしょうが、この季節、夜
の闇に灯す明かりは、どこかで幽冥の世界に結びついているかのようです。
ナチス崩壊後、連合国による占領下のベルリン郊外にあるポツダム離宮で行われた
首脳会談の結果、日本への最終的な降伏勧告が行われました。これが1945年の7
月26日で、この日以降8月15日に至る一日一日は、いわゆる終戦工作として歴史
の表舞台には出てこない暗闘や知謀が錯綜していったのだと思います。
トルーマンに原爆使用の時間と口実を与えてしまったことを含めて、宣言の受諾が
遅れたことは非としなくてはなりませんが、その結果として奇しくも8月15日「盂
蘭盆会」の日が敗戦の日となった、このことは60年間動かしがたい事実となりまし
た。昔から死者へと思いを寄せる日に、戦争の膨大な死者への思いが重なってゆくこ
とになったのです。
その8月15日には戦没者追悼式の生中継をTVで見ましたが、1分間の黙祷を含
めて60年を経ても追悼式のムードは厳粛そのものでした。911以来アメリカでは
何かにつけて黙祷の機会がありましたが、その感覚に慣れている私にとっては、日本
の8・15は60年を経てもなお重みを感じさせるものだったと思われました。
日本の「平和」は、こうした膨大な死の記憶に守られていると言っても良いので
しょう。膨大な死を思うとき、少なくとも「ああいうことは二度と起きてはならない」
という一種の共通認識ができていたのだと思います。それが、ある意味でこの60年
間の平和を支えてきたのだと思います。
さらに言えば、戦後の日本というのは死者への思いを内包した「コンスティテュー
ション(国体)」を維持し続けたと言っても良いのでしょう。終戦工作の結果、天皇
制度の存続がされ、終身雇用の官僚制は生き残りました。旧憲法は一度も停止される
ことはなく、その改正という正規の手続きを経て現行の憲法に改められています。そ
の結果として、中央官庁も内閣総理大臣も明治の官制という正統性を維持してしまい
ました。
明治官制が生き残ったということは、敗戦国としての国体が生き残ったということ
に他なりません。それも他でもない第二次大戦の敗戦国であり、その第二次大戦は国
際連合の設立により理念上は人類の最終戦争、少なくとも最後の世界大戦として位置
づけられています。つまり、日本の国体に何らかの変更が起きるか、あるいは第二次
大戦を上回るような世界戦争が起きない限りは、日本は「敗戦国の国体」という汚名
から自由にはなれないということになります。
考えてみれば、第一次大戦の敗戦国という汚名に耐えられなかったドイツの世論が、
ナチスという怪物を止められなかったように、敗戦国に汚名を背負わせるのは危険な
ことです。ですが、戦後の日本は見事にその汚名を背負い続けました。外向きには敗
戦国ゆえに軽武装国家という自重の姿勢を見せながら、内向きには吉田茂のように
「アメリカを傭兵に傭う」という知謀を秘め、いわば汚名を利用しつつ、限りのある
資源を民生品の大量生産という産業に投入し、戦後の復興を遂げたのです。
もちろん、軽武装国家という選択は、功利的なだけではありませんでした。世論の
半分は、敗戦を契機に非戦国家という理想を達成する夢を描き、本気でそれを信じて
行ったのです。軽武装の一方でアメリカとの軍事同盟を積極的に選択して冷戦の盾と
いう役割を演じきろうとする勢力と、非戦国家の理想を描きつつ社会主義の明るい面
への憧れを隠さない勢力が、「本気で」論戦を続けて社会の均衡を保ってきたのです。
ですが、社会の均衡はイデオロギー上の左右両派のバランスだけで成立していたの
ではないのです。今回、60年目の8・15に向かい合う中で私が感じたのは、死者
への思いを内包したコンスティテューションということでした。イデオロギーの対立
やバランスが、政治家や思想家、学生など世論の一部の、いわばコップの中の嵐で
あったのに対し、死者への思いは万人のものであったのでしょう。
その死者への思いこそ、敗戦国という汚名を背負い続けた世論の力の源だったので
す。その思いが、60年という年月を経て細ってきました。8・15という日付の重
みも、今年こそ60という区切りの年であったものの、来年は61周年、そして62
周年、63周年と思いが細くなってゆくのは避けられないと思います。
かけがえのない人を奪われた無念を中心に、とにかく「あのような大量の死は二度
とあってはならない」という思いが細ってゆくというのは、大変なことです。では、
これから先、60周年を通過してしまった私たちは、何を頼りに安全保障を維持して
ゆけば良いのでしょうか。
国家の安全というものは、近隣諸国との良好な関係を維持し、GNPや雇用の面で
軍需産業に依存しないようにし、内政面の問題を一つ一つ解決することで社会不安を
回避すること、そうした努力を通じて戦争が発生する可能性を下げてゆく努力を通じ
て得られるのだと思います。
戦後60年、これまではイデオロギーや死者への思いという暗黙の前提で、こうし
た努力は自然に行われてきたのでしょう。ですが、これからは具体的な政策として、
意識的に、そして現実的に選択をし直さなくてはならないのではないでしょうか。
逆に、近隣諸国との紛争の可能性を前提に、抑止力と称して軍備を拡大し、世論を
排外的なムードへと誘導するのが安全保障だという考え方がありますが、こうした政
策が安全ではなく危険を増大するものだということも、現実的な政策評価として論戦
の対象とすべきなのでしょう。
同盟関係に関して言えば、二国間関係としての日米、共通の文化基盤と地政学に
立った東アジアの同盟、世界市場を相手とせざるを得ない日本としての全方位外交、
この三つは選択の対象ではなく、常に重層的に追及すべきものなのでしょう。「アメ
リカかアジアか」などという選択肢、「アメリカか国連か」などという選択肢は、日
本にはそもそもないのだということではないでしょうか。
もう一つ残る問題は、死者への思いが細っていく中で、どうやって敗戦国という汚
名に耐えていくことができるのか、という問題です。ここ奈良でも、みやげ物店の中
には新撰組(奈良とは関係ないはずですが)グッズと同じコーナーに「特攻」や「神
風」といったハチマキが並べて、何とも言えない暗い雰囲気を感じさせる店がありま
す。
TVのワイドショーでも、特攻隊を美化するレポートや、戦艦大和を描いた映画に
出演する若い俳優に「家族を守るためなら戦争に行く」などと言わせる記者会見など、
思わず目を背けたくなるようなシーンがありました。
特攻隊や戦艦大和が美化される背景には、「名誉なき敗北よりは名誉ある死を」と
いう心情があるのでしょう。そして、それは「敗戦国の汚名には耐えられない」とい
う弱さの告白に他なりません。リベラルな教師に「落伍者」のレッテルを貼られた生
徒が国家主義的な心情に傾く、それは世界共通の病理です。ですが、そこに「名誉あ
る死を」というようなさらに不健康な心情が加わるのは、日本特有の現象なのでしょ
う。
この問題に関しては、歴史の継承に工夫が必要です。例えば、戦艦大和については、
建造当時から海軍内部でも激論があり、特に海軍航空本部長だった山本五十六は(連
合艦隊司令長官に転出するよりも、海軍次官として日独伊三国同盟に反対するよりも
前ですが)「これからは空母と飛行機の時代で、巨大な戦艦は無用の長物になる」と
反対の急先鋒だったと言います。そして、最後の沖縄方面への「特攻出撃」も、石油
備蓄がゼロに近づく一方、終戦工作が進む中での、海軍部内の政治的な暗闘の結果行
われたものだとも言えるのでしょう。
特攻隊に関しても、実際の命中率は低下してゆく中で「桜花隊」とか「敷島隊」な
どとセンチメンタルな名前をつけながら、残された戦闘機は「全機特攻」だなどとい
う、制空権の完全放棄としか言いようのない破滅的な作戦にのめりこんでいった軍部
の判断には、弁護の余地はないと思います。
そのような無謀な作戦でありながら、そこに死んでいった兵士たちには罪はないの
ですし、自身の死を覚悟しつつ過ごした彼等の「生」も記憶されるべきだと思います。
ですが、作戦全体としては非合理的で感情的、いわば「死を強いる不名誉、不面目」
だとするのが正当なのではないでしょうか。
60年という年月は、死者への記憶を薄れさせると共に、左右両派が「本気」でイ
デオロギー上がっぷり四つに組むということも弱くなっています。ですが、いまこそ
過去の事実に関して継承してゆく情報の量を増やすべきなのです。そして、20世紀
の前半に日本に起きたことを様々な角度から検証できるような歴史教育がされるべき
なのでしょう。
戦後60年を越えた今、死者への思いに支えられた平和から積極的な選択肢として
の安全保障へと、踏み出す時期なのではないでしょうか。私は、この週末にはアメリ
カに戻ります。そのアメリカでは、第二次大戦の終結は9月2日の「ミズーリ艦上で
の降伏文書調印」をもって公式とすることが多いようです。その60周年をみつめる
ことから、改めて今後の日米関係を考えてみたいと思っています。
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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家。米ラトガース大学講師。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア
大学大学院(修士)卒。著書に『9・11(セプテンバー・イレブンス) あの日か
らアメリカ人の心はどう変わったか』、訳書に『プレイグラウンド』(共に小学館)
などがある。最新刊『メジャーリーグの愛され方』(NHK出版生活人新書)。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140881496/jmm05-22
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