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(回答先: Re: まったく同感ですが、懸念があります。⇒議院内閣制で、まだ、良かったと思います 投稿者 ODA ウォッチャーズ 日時 2005 年 8 月 13 日 23:18:00)
現代における民主主義国家の本質を考えると、次のような二つの矛盾した性質(A、B)が見えて来るはずです。これはアンドロジナス(Angrogynous/雌雄同体)かローマ神話のヤヌス神(Janus/頭の前後に反対向きの顔を持つ姿がイメージされる門の守護神、または物事の始まりの神)に喩えることができるという意味での相矛盾した性質です。しかも、生身で生きる無数の国民(人間)を統治する国家は、逆説的に言えば、このように特異な性質があるからこそ生き長らえることが可能だと言えるのです。それが活力ある民主主義国家の生存条件でさえあるのです。
A 多数決原理に従う民主主義国家には、ある階級の他の階級に対する支配の手段と化す性質が絶えずつき纏っている(この性質は、立場が変われば逆に作用する)。そして、この性質が一方的に強く出過ぎるとある階級の利益だけが追求されるガバナンス・システムが出来上がり、「少数の強者」対「多数の弱者」という具合に国家内の「生命維持バランス」が崩壊する。
B 多数決原理に従う民主主義国家には、ある理想に基づく社会秩序を確立して、すべての国民にとって公平な公共の福祉(人間の生存権の確保)を目指すという役割が求められている。
必然的に、国家がこのように相反する二つの性質を伴はざるを得ないことは、恰も“絶えざる生と死の葛藤”の中から新しい生命と新たな活力が次々ともたらされる「生命誕生・生命維持の原理」に似た性質だと見なすことができるかも知れません。
従って、そのように相反する矛盾した性質の存在が問題なのではなく、この(A)と(B)の二つの矛盾した性質が国民一般の視野(または意識)から消え去ること、つまり国民一般が、これらの性質の並存の意味を自覚しなくなる(自覚できなくなる)ことが国家にとっての「真の危機」です。
それこそが、まさに国民一般の批判精神の欠如(異議申し立てをする権利の放棄)ということです。また、それに中立・公正なジャーナリズム精神の不在という状況が加われば最悪の事態となります。つまり、そのような時こそ国民一般の「自由」が完璧に失われたことになるのです。
然るに、今や「小泉オレオレ解散」で小泉が発した言葉の呪縛(マインドコントロールの毒)が、一般国民の意識から“A、Bが並存すべきだという自覚”をすっかり抜き去りつつあります。ドハデな張りぼてオペラが好きな小泉の“稀代の名演技”(国家的オレオレ詐欺)に目を眩まされた多くの善良な国民は、この最も肝心な民主主義国家の根幹が意識できないほど全身に毒が回り、激しい痙攣に襲われチアノーゼ状態です。
しかも、「記者クラブ制度」にしがみつくマスゴミ(マスコミの敬称!)は、これぞビッグ・ビジネスチャンスとばかりに、有ろう事かその毒をチビチビと点滴治療の振りをして増量しつつあります。やはり、日本のマスゴミは重罪です。
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