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豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、これを迎え撃った義勇軍の戦功を記念して建立され、旧日本軍が日露戦争当時、朝鮮半島から持ち去った「北関大捷碑(ほくかんたいしょうひ)」が保管先の靖国神社(東京都千代田区)から、1世紀ぶりに故郷に返還されることになった。朝鮮の李王家の末裔(まつえい)で先月、73歳で死去した李玖(イグ)氏らが橋渡し役となって返還の道筋をつけた。【明珍美紀】
李玖氏の日本側の身元引受人を務めた僧侶、柿沼洗心さん(73)=日韓仏教福祉協会会長=に韓国側から入った連絡によると、石碑はもともと朝鮮半島北部の咸鏡北道にあったことから、まず韓国政府にいったん引き渡して韓国内で一定期間展示した後、北朝鮮に返還されるという。
李玖氏は李王朝最後の皇太子だった李垠(イウン)氏と梨本宮家から嫁いだ方子さんの二男。終戦時は日本におり、韓国に帰国しようとしたが、当時の李承晩(イスンマン)政権に反対され、いったん米国に留学。63年に韓国への帰国を果たした。その後、韓国で経営していた会社が倒産したため、79年に活路を求めて再び来日。それから17年後の96年、韓国に「永住帰国」した。
石碑の返還は永住帰国にあたって「祖国のために何かできることを」と柿沼さんの助言を受け、李玖氏が靖国神社側に陳情した。「どちらに返還するか南北で調整がつき、韓国政府から要請があれば返還に応じる」との返答だったため、南北で協議をするよう韓国政府や政財界に要望したが、交渉はなかなか進まなかった。「祖国の英雄たちをたたえる石碑は貴重な文化財だっただけに調整に時間がかかったようだ」(柿沼さん)という。
拉致や核、竹島問題などで、ここ数年は日本と韓国、北朝鮮の関係は激しく揺れ動いたが、今年6月の日韓首脳会談で石碑の返還が議題に上り、同月23日の韓国と北朝鮮の南北閣僚級会談で返還に向けた協力が合意文書に盛り込まれた。石碑は「建立の地に戻す」ことで落ち着いた。「今後は靖国神社での所定の手続きを経たうえで返還の日が決まる」(外務省)といい、9月末か10月に返還される見通しだ。
この朗報が耳に届いた直後、李玖氏は7月16日、滞在していた日本のホテルで心臓まひを起こして急死した。柿沼さんは「歴史にほんろうされた李玖氏が『祖国へのお土産に』と取り組んだ事業だった。いい供養になります」と話している。
▽姜尚中(カン・サンジュン)東京大教授(政治学)の話 日朝の国交のない状態で歴史的な文化財が戦後60年の節目に韓国を通して北朝鮮に返還されるのは画期的だ。拉致問題や靖国参拝問題などで政治的には閉塞(へいそく)状態だが、こうした文化財の交流で糸をつないでいくことが重要だ。
◇ことば…北関大捷碑
16世紀末の豊臣秀吉の朝鮮出兵で朝鮮半島北部に進軍した加藤清正の軍勢を地元の義勇軍が撃退した様子が漢文でつづられ、咸鏡北道(現在の北朝鮮)に建立された。高さ約2メートル、幅約65センチ。諸説あるが日露戦争(1904〜05年)で旧日本軍が持ち帰り、現在は靖国神社に保管されている。
毎日新聞 2005年8月13日 15時00分
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