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志に燃える青年時代の生き様
藤原 今日は池口さんとの対談を利用して、謎に満ちた若き日の弘法大師について論じたいと思います。空海は真言宗の開祖として敬われており、神格化されて信仰の対象になっているために、個人としての生き方を論じることは、宗教的に差しさわりがあるかもしれません。だが、日本の歴史における偉大な人物であるだけに、人間としての掘りさげをするためには、宗教的なタブーに挑戦することも必要になります。私がかねて疑問に思って来たことが、定説に逆らった非常識な見解であるにしても、素人のあて推量だと大目に見ていただき、プロの視点で直してもらいたいと思います。ところで、空海の青春時代について論じる前に、お互いが十代末から二十代前半にかけて、どんな青春を送ってきたかを簡単に語ることで、生きざまの一端を披露したらどうでしょうか。
池口 それはよい考えです。先ず私の人生について紹介しますと、五百年以上も続いた修験者の家に生まれて、若い頃はパイロットになりたいと思いました。だが、母親が高野山大学しかダメだと言って、寺を継ぐ生き方しか認めなかったので、高野山大学の密教学科に入学したが、相撲と宗教舞踏に熱中して青春を過ごしました。また、真言宗の僧侶として経典を学んだのに、大学を卒業した私は社会改革に強い関心を抱き、代議士の秘書に潜り込んで国会の情報を集め、クーデタ未遂事件の「三無事件」に連座して、二十日間をブタ箱で過ごす苦い経験をしています。若い情熱に駆られて国家革命を目指し、宗教家に不似合いな人生を踏み出したのです。だが、拘置所の中にいたときに深く反省して、その後は弘法大師の導きに従って生き、宗教活動を通じてよりよい社会を実現するために、貢献したいと念じながらこれまで生きてきました。
藤原 そうでしたか。私は文学少年だったこともありまして、中学時代から独学でフランス語を始めたせいで、高校では英語を取らなかったために、総合成績では点がつかずビリで卒業でした。大学は文学ではなくて地質学専攻でしたが、必須だったのに物理概論を取らなくて、天文学では単位を認めないと教授会で問題になり、級友たちは三月二十五日に卒業したのに、私は三月三十一日に卒業だったことを考えれば、これもビリで卒業したことになります。フランス留学のグルノーブル大学での修士課程は、アメリカ人、ドイツ人、イギリス人の失格学生の仲間には入らず、9人いた学生のうち6人が試験を通ったが、6番目の成績だったのでこれもビリであり、徹底的にビリの記録を守り通しました。青春時代の話は「山岳誌」[東明社]の補説に書いておいたが、学生時代はダム工事や鉱山開発に関係したし、学位をとって社会人になってからの仕事は、水を掘る計画のためにサウジアラビアで働いてから、石油を探査する仕事を世界各地においてやり、最後にアメリカで石油会社を経営しました。
池口 ビリの成績で卒業し続けたという記録は、誰でもやれるという快挙ではないから、ある意味で痛快な記録ホルダーですね。一番になるのは努力することで可能だが、ビリを維持するのはそう簡単ではない…[笑い]。
藤原 でも、留置所や刑務所の体験がありませんから、池口さんのような特別の経歴がなくて迫力に欠けています。昔から「刑務所は人生の最高の大学であり、そこで鍛えられた者は鋼鉄の精神を持ち、革命的な指導者に育つ日が来る」と言います。ただし、それは国事犯として収監された人の場合だけで、破廉恥罪を犯したような低級な連中には適用できない、条件付の箴言に属す言葉だとは思いますが…。榎本武楊や陸奥宗光は監獄に入ったが、彼らは志を持った国事犯だったから、出獄しても胸を張って国事に専心しています。だが、今の日本の政治家や官僚たちの多くは、破廉恥罪を逃れた税金泥棒が圧倒的だから、池口さんの国事犯の過去は立派な経歴です。
池口 それでも、法治国家の日本で私は法を犯しており、違法行為は若気の至りであるとは弁解できないのだし、クーデタが手段としても許されないのは、それが非民主的な暴力と結びつくからです。しかし、ガンジー流の非協力の抵抗なら未だ良いでしょう。
藤原 抵抗には積極的なのと消極的なのがあるが、積極的なものは必ず理念と結びついていて、それなりの理由がはっきりしているが、若い時代には理想や志が必要だから、単なる諦めや脱落[ドロップアウト]ではいけません。
池口 脱落は能力がないことを意味しているし、意志の喪失と結びついていることからして、若者としては恥ずべき状態だと言えます。「志を立てて成功するには、恥を知ることが欠かせない条件だ」という点で、頑張りぬく意欲を失った自己放棄はいけません。
大学を中退した空海の価値判断
藤原 空海が大学を中退したことは国事犯と一緒には出来ないが、中退は大学の出方としては悪くなくて逆に立派です。仮に学ぶに値する先生がいないと見定めたとか、授業の内容が期待はずれだと考えて、これ以上いるのは時間の無駄だと判断すれば、退学か転校をするしかありませんからね…[笑い]。
池口 賛成です。空海は役人を養成する明経科に入ったが、官僚の教養である儒学を学ばざるを得ないので、それにうんざりしたのだと思います。また、仲間の学生が出世のことばかり考えており、人間としてスケールが小さいと痛感した空海は、このままでは立身出世主義に巻き込まれてしまい、真の学問が出来ないという危機感に支配されているところに、一人の沙門に出会い、求聞持法を教えてもらいそれをひっさげて四国の山々で修行に入り、大学を中退しました。
藤原 終点まで乗って仕方なく降りるのに較べたら、目的地での降り方を知っている人の証明が中退であり、空海は非線形思考が出来る人間でした。非線形は複雑系における中心概念であり、世界のあり方を原因から結果に繋げないで、色んなものが相互に関係すると考えます。彼は因果を縁起として捉える仏教を超越して、総てを包み込む形で見据えていたから、密教の全体性に強く惹かれたのだと思います。官吏になって一族を代表して出世する人生を退けて、独自に生ようとしての退学なら見上げた判断です。
池口 現状だと衆生を救う目的は達し得ないし、一族の名誉や繁栄のために自分が奉仕する人生では、小さな人間で終わってしまうだろう。民衆の苦しみや痛みを自分のものにせず、個人や春属の栄華のために生きるよりは、釈尊が恵まれた王族の生活を捨てたように、自分も仏教の原点に立ち戻って山の中に入り、修行をしようと考えたのだと思います。
藤原 恐らくそうでしょう。私の体験では教室で学んだものは少なく、本当の学問は大自然を観察することによって、自然が教えてくれるものから教わっています。本に書いてあることは単なる知識に過ぎなくて、宋の学者の陸象山が「学いやしくも本を知れば、六経は皆これ脚注なり」と喝破した通りで、天地という自然が真の教科書で本はカス同然です。
池口 その陸象山の言葉に「宇宙すなわちわが心、わが心はすなわちこれ宇宙」というのがあり、これは弘法大師が説いた宇宙の理が人間の心と通底し、自然が教えてくれるものは実に素晴らしいという考えです。だから、本は人間が分かるように解説したものに過ぎず、真理ではないと考えて空海は修行の場を移したが、修行を通じて身につける体験に較べたら、本で得る知識など高が知れていると言える。それは後になって「理趣経」を借りたいと頼んだ最澄に空海が「秘蔵の奥旨は文を得ることを貴しとせず心を以って心に伝えるにあり。文はこれ槽粕[残りかす]文はこれ瓦礫「ガラクタ]なり」と言って本を貸すのを拒絶した話がそれを、示しています。
藤原 本当に酒が好きな人は液体のエッセンスを飲み、味の分からない下戸が酒糟を焼いて食べるのは、縄文時代から続く日本列島の住人の知恵です。だから、空海は「文はこれ糟粕」と断言したのであり、自然から学ぶために山に入り教科書を代えて、大自然を手本にしたのだから大学中退は正解でした。大地が教える自然現象の色んな相を観察して、この石を粉砕して熱を加えれば金属を得るとかこの草は下痢したときに食べればよいと学び、自然の持つ偉大な効能に精通したことで宇宙と人間が一体であると理解したのです。
池口 道端に生える草に薬効を持つものがあり、路傍の石にも宝石を含むものがあって、山の中でそれが価値を持つことを認めたお大師さまは、自然が秘める魅力の凄さに気づいたのだし、高野山には金属を含む岩が埋もれているのです。
藤原 そうですね。紀ノ川と吉野川は東西に走る断層で結ばれ、その大断層を地質学では「中央構造線」と呼ぶが、この線の周辺には銅や水銀の鉱床が発達し、空海が生まれた地域も高野山周辺と似た自然環境です。
池口 空海は四国の善通寺の町で生まれており父親の佐伯善通は讃岐の国の郡司でして豪族の大伴氏と親戚関係だと言われています。
藤原 佐伯氏はメソポタミアから来た海部族に属し、白山の山岳信仰を持つ渡来民の子孫として、越前や越中を中心に住み着いていたが、石や冶金と関係が深い技術を持っていた関係から、常陸や讃岐にも眷属が分散したらしいです。
池口 母方の家系は阿刀氏でシナ系統らしいが、叔父の阿刀大足は文章に詳しい教養人で、若い空海に「論語」や史伝の教育を授けたし、皇太子の家庭教師までやった人です。
社会の階層構造と古代巨石文明の伝統
藤原 阿刀大足は藤原鎌足と同じ足を名前に持つが、足という文字を名前にする人は山人の系統であり、海人の海部が陸に上がった渡来人です。この種の山人を明治以来サンカと呼び習わして、定住する常民と差別して来た背景には、穢多や非人が起源だという俗説が関係しており、作家の三角寛が流行させた眉唾説の影響が、非常に強い誤解を定着させたのです。歴史的に見ると、定住しない山人は律令制の戸籍に入らないで、漂白を生活様式にする集団を始め、権力争いに敗れて流刑や追放された者とか、奴隷の身分に甘んじた人たちがいて、納税しないために非良民を構成したのです。日本の歴史は未だ学問ではなくて、国内文献を適当に解釈した「論」とか、「一次仮説」のレベルに留まっています。次には世界の資料との比較考証をした上で、遺跡や時代背景まで検証して二次仮説を作り、その正しさを証明する手続きを踏むことで、歴史を貫く法則性を明らかにしなければ、学問の体系としては未熟であると思います。日本の歴史は歴史物語のレベルであり歴史とフィクションが揮然一体としているままである意味で神話の延長の共同幻想に過ぎません。
池口 歴史と物語が違うことはよく分かります。しかし、歴史学がそんなに複雑で堅苦しいものであるならば、少しも人間味が感じられないものになって、誰も歴史に関心を持たなくなると心配になるな…。
藤原 問題は学問としての歴史学の構築です。日本人は縄文とか弥生の土器文化が好きで、最近は縄文人が日本中で大流行しているが、実はそれは石器文明のサブシステムであり、石器文明の中に金属文明と土器文明を含むし、旧石器と新石器の区分もあるのです。そして、われわれが住む現代は珪石器文明時代であり、シリコンチップやセラミックが大活躍をしていて、それが文明を動かす大きな役割を演じているのです。
池口 珪石器文明という考え方は面白いですね。
藤原 そうでしょう。これは古代の巨石文明の尻尾みたいなものですが、歴史の基盤にある、石の文明を知ることによって、形に残っていない歴史を復元することが出来ます。古代の山人が支配した仕事の最上層には、巨石文明の伝統と結ぶ石や金属が位置して、エジプトやメソポタミア伝来のノウハウを背景に、世界各地で資源を捜し求める集団がいた。そして、石を使って祭壇や井戸を構築するとか、冶金で武器や道具などを作って支配したのが、古代史の骨格を作ったとエリアーデは論じています。日本の場合は石よりも木材に恵まれていたので、その次に位置していたのは、大きな建造物の寺院や船を作るのに必要なために、質のよい木材を探す木地師の集団であり、それには宮大工や船大工も含まれていて、中東やヨーロッパの石工に似た立場の人たちです。その次に来るのが獲物を追う猟師や魚師の集団であり、後の武上階級もこの辺に起源を持つのです。
池口 それは非定住の生活をしていた人たちですね。だが、歴史で教わるのはむしろ定住民を中心にしたものであり、支配階級に属す王や貴族を始めとして、神官や官僚が権力の周辺にいた社会体制とか、生産を担当した職人や農民による歴史です。実際問題として、大きな文明を発達させたのは定住民たちであり、彼らは形の大きな文明は作っていないが、日本人の原点は縄文人の遺伝子の中に生き、それが自然崇拝の山岳信仰になったりして、自然と一体感を持つという日本人の心情は、縄文文化以来のものだろうと思います。この山人の縄文人と平地に定着する弥生人が接触し、そこに古代の日本文化の源流が誕生したのなら、日本人が密教に感じるのは古里の郷愁です。
藤原 異質のものが接触して相乗効果が生まれ、陰陽の原理で混じり合うことによって相転換が起こり、文明が飛躍して拡大するのではないですか。しかも、地球レベルで農耕民と遊牧民の関係は、特定地域での定住民と漂白民の組み合わせになり、それは原子の陽子と電子に相似しているし、このモデルを作業仮説に利用することで、古代社会の骨格が浮かび上がると思います。興味深いのは大学中退した空海の立場であり、役人や官許の僧侶になれば彼も良民だが、沙門として山中に入って修行すれば山人と同じで、税も払わないし賦役にも出ないことから、浮浪の徒の仲間と同じに扱われたのではないですか。
池口 そうかもしれません。だから、若き日の空海は自分の行跡を明らかにしないで、そのために伝記において大きな空白期間が生まれています。「三教指帰」を二十四歳の時に書いたとあるが、後は大滝岳や室戸崎の名前が出るだけで、具体的な地名はあえて伏せた感じです。また、私度僧が税金や奉仕作業から逃れれば、ある点でヒッピーと同じだから記録はないし、記録は抹殺しないまでも公表しないのは当然です。
藤原 空海の家族は突然の失踪という知らせに驚いて、多いに慌てたのではないかという気がするし、空海が足跡を伏せたのは自然の心情です。記録がないから謎だということで終わらずに、なぜ記録を抹殺したかを明らかにするのが、歴史の謎を解く上での正攻法だと気づいて、鍵になる山岳地帯について調べるべきです。
霊場めぐりと空海の足跡
池口 四国や熊野の山の中で修行したらしいことは、空海が書いた本の記録から推定できるし、長安から持ち帰った仏典のリストを調べたら、ほとんど重なりがないことからしても、彼が奈良の寺院で万巻の仏典を読んでいたことが、状況証拠として明らかになっています。それに、四国にはお遍路さんが歩く八十八ヵ所の霊場があり、それぞれがお大師様の業績と結びつきを持ちますから、信仰と修行の地として足跡が読み取れます。
藤原 四国の霊場めぐりの路に沿って鉱山があって、特に銅と水銀の鉱床が分布していることが、空海の足跡との関連でとても重要です。地質の専門家として山や谷を歩き回った体験を通じて、鉱物資源や土木工事に関係した私には、空海の山岳遍歴と共振する感覚が働くので、鉱床の存在がとても重要だと思えるのです。
池口 高野山の下には水銀の鉱脈がありまして、それを譲る丹生明神は別名を狩場明神といい、狩場は鉱山を指すものだと言われています。
藤原 そのようですね。四国の八十八ヵ所の霊場も鉱山が関係するが、西国三十三ヵ所の霊場めぐりもそれ以上に富鉱帯に沿っていて、古代の山人が鉱物を探した路線と関係するが、それが空海と結びつく記録が何かありますか。
池口 四国の場合は空海が修行した場所と密着するが、西国の霊所はもっと古い時代からあった寺が関係するし、奈良の長谷寺とか石山寺や清水寺のように、人に知られた寺をその中に多く含んでいます。だから、空海も関係していたかも知れないと思うが、ことによると縄文人の頃からの聖なる土地として、熊野街道や若狭街道などに関係しているから、修験道とか山人の往来する場所に結びつき、霊気のある土地に建った寺院かも知れません。
藤原 琵琶湖のある近江は昔から東北と畿内の接点に位置し、北陸や飛騨から来た山人が平地に降りる場所だったし、丹波は昔から山人の本拠地として有名であり、鉱産資源にも恵まれている所です。百人一首の和泉式部の作だったか「大江山いくのの道の遠ければ未だ踏みもみず天橋立」という歌は、掛け言葉だらけだが鉱床地帯を織り込んでいます。大江山はモリブデン鉱床で特殊鋼を作る素材であり、生野は銀山として古くから知られていたし、天橋立は製鉄の炉を作る珪石の産地です。
池口 そう解釈すると意味深長です。それが言霊というか音の響きに関係していたら、丹が水銀のことを意味していることからして、真言との関連で興味深いという気がします。また、西国三十三ヵ所の霊場の道が通っているのが、京都の北では丹波とか丹後や但馬という丹に関係するのは、丹砂や練炭術で水銀に関係しているのでしょうか。
藤原 本当かどうかはよく分かりませんが、アフガニスタンとかタジクスタンやトルクメニスタンというように、カスピ海からパキスタンにかけての地域にはタン国が沢山あり、母なる土地という意味だとペルシア人から聞きました。古代の朝鮮半島に出現した檀君神話の檀国も、そのタンに由来したと何かで読んだことがあり、中東から来たシュメール人の子孫が通過してきた地点に、クメール、久米島、久留米などの地名があるそうです。
池口 ちょっと眉唾の感じもするが、歴史の空想として楽しいからそうして置きます。
錫杖の共鳴作用と炎に向かった加持祈祷
藤原 私にとっても半分しか信じられない話です。ただ、これからの話は私の実体験からの結論ですが、修験道の山伏たちが手に持っている錫杖は、金環がついたあの杖で大地を叩くと手に反響が伝わり、われわれ地質の専門家や鉱山師のハンマーと同じで、手ごたえで鉱脈の存在や石の種類が分かるのです。
池口 あの錫杖はハンマーと同じ役目をしているのですか。それは初耳でした。
藤原 私の体験からこれは断言できるのですが、目で見ても岩や鉱脈が有望かどうか分かるが、そこに生えている植物が何かを調べることで、土の中に混じっているミネラルの見当がつき、その下にある岩の中の鉱床が判別できます。たとえば、青松白砂というように石英が豊富な砂地を松は好むし、玉葱がよく生える土地には金や銀が見つかり、硫黄分に富む土地にはある種の蘇苔類[こけ]が繁殖して、人間より植物のほうが鉱物に敏感なのです。だから、植生を知ることは採鉱上とても有効であり、古代人はそうやって有用鉱物を見つけたのだし、空海もそれに似たノウハウを持ったはずです。
池口 そうなると、若き日の空海が山の中で修行した時には、修験を通じて鉱物を見つけることも関係していて、そこで水銀の出る高野山に着眼したということでしょうか。
藤原 恐らくそれも大きく関係していたから、先ほど言われた狩場明神に水銀の権利をもらって、高野山の周辺を結界したのではないでしょうか。錫杖を結界の周辺に立てて胎蔵界の中に鉱物を囲みこみ、結界の内部を宇宙との共鳴の場にしたのです。たとえば、肉眼では同じに見える石灰岩と苦灰岩[ドロマイト]の違いは、岩をハンマーや鉄杖で叩けば手に伝わる響きが異なるので、ああこれはドロマイトだなと識別できます。それは石灰岩[CaCO3]と苦灰岩[MgCO3]は似ていても、カルシウムの方がマグネシウムより原子が小さいので、結晶の内部において空隙の差が出来るために、共鳴する響きに微妙な違いが感じ取れるのです。
池口 それを感じ取れる人間の感覚は素晴らしいが、そうなると高野山は宇宙シンフォニーの会場です。そういえば、昔は鉄道の車輪をハンマーで叩く駅員がいて、車輪の亀裂が入ってないかどうかを調べたし、私が加持祈祷しているときの太鼓の響きを聞いて、気合の入り方が読み取れるのと同じです。
藤原 そうでしょう。手ごたえで金属が含まれていると分かり、次にその岩の上で火を焚けば一種の天然の溶鉱炉になり、溶け出して注出した金属を精錬すれば良い。それが鞍馬の火祭りという修験者の儀式になり、そうやって大地の恵みを火を使って回収します。修験道は火と水を使って採鉱と冶金を行い、火と水の間に土が入った儀式だからヒミツとされ、これが日本の山伏が伝えて来た錬金術であり、東洋的な神仙道の言葉では練丹術の実践です。鞍馬山で牛若丸がカラス天狗を相手に修行し、天狗や鬼が冶金をする山人の別名であり、その実態が冶金術にあった真相はこれで、炎の行者である池口さんの加持祈祷の、原点というのは、練丹術を毎日やっている行の中にあるのです。
池口 私のご先祖は火を焚いて加持祈祷をして来たし、その末裔として火を焚いて百万枚の護摩供を行っていますが、それが生きた練丹術だとは興味深いことです。
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