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Re: 百済最後の王・余豊章は???⇒随所にミステリーを配備したコメント、多謝
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投稿者 ODA ウォッチャーズ 日時 2005 年 8 月 06 日 01:21:01: ilU7eLmFtsv5I
 

(回答先: 百済最後の王・余豊章は、武王の子か?百済滅亡時の義慈王の子か? 投稿者 あっしら 日時 2005 年 8 月 06 日 00:22:30)

あっしらさん
望外の詳しいコメント、感謝します。
実は、全羅道でも、北道と南道では、ムードが異なります。全羅北道は、ある意味、「扶余」風ですが、南道は、まさに、「中国に残る倭人の図画」のムードです。
全羅道は、また、「熊」の文字の残る所で、これは、そのまま、九州の「熊」の残る所に、連続しています。因みに、「羅」は、東側です。

金海、つまり、任那とされる地域は、丁度、全羅南道と慶州南道の、間にあって、慶州南道に、取り込まれるような配置です。現在の、ノムヒョン氏は、ここの出身であり、大統領になって、直に、この慶州南道の金海に在る「寺」に、報告しています。
金海は、ここに数ヶ月暮らしたこともあり、親しい地域です。

>現在の韓国や北朝鮮の価値観に照らせば、そのような新羅は、外国勢力を引き入れて同族を滅亡させた“民族の敵”であり“民族の恥”ということになります

この部分、事情に当たっている、と思います。今日の「親日批判」も、慶州閥憎しであり、その底流には、「歴史に許しがたい『外国』との癒着」を、新羅が持っている、ことも在る、と思います。この点、百済と倭の連携は、そのようには、受け止められていないので、やはり、「同根」なのでしょう。

>倭の大王である「舒明」は、日本書紀の登場人物としては蘇我蝦夷で、
>1941年以降も生きていて1945年頃に死んだ可能性が高いと思っています。

 勿論、この部分、「641」、「645」と考えて、了解しています。
 ただ、この部分の書き間違え(?)に、何か、潜むものがあるように、空耳的に思いました。「倭の大王」の何かが、1945年に死んだように思います。

『空耳の丘』的なクロージングにしてみました。

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