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(回答先: 加羅、その2.鉄の国、金官加羅 【KBS WORLD】 投稿者 愚民党 日時 2005 年 8 月 03 日 02:57:49)
加羅,その3、大加羅
2005-06-20
高句麗、百済、新羅が競い合った三国時代に、韓半島南部には加羅(加倻)という連合国家あり、そのリーダーだった金官加羅が没落してからは、大加羅が新しい連合体の中心勢力になりました。金官加羅が滅びてから、大加羅がそれに代わって鉄鉱山の開発を始めました。金官加羅に属していた今の慶尚南道陜川郡は韓半島の3大鉄鉱山の一つと言われるほどの豊富な鉄の産地でしだ。この地域を大加羅が領有することによって経済力が大きく成長し、加羅連合国のリーダーになり得たのでした。
こうした大加羅の状況を物語っているのが、現在近くの慶尚北道高霊郡に残っている古墳群です。1976年の調査から大きな古墳だけに番号をつけたのですが、現在番号がつけられているのが72基、全部の古墳の数は1000基にも達すると言われています。一番先に発掘されたのが池山洞44古墳でした。この古墳からは土器と甲冑、鎧、剣をはじめとする鉄製の武器や金属製品が大量に出土しています。鉄製品の他にも暗い所でも光る夜光のお玉が出土していますが、その材料である夜光貝は沖縄の近辺でしか取れないものです。すでに5世紀頃に日本との間に交易が行われていた証拠といえるでしょう。
ここで一つ確認して置きたいことがあります。日本の一部の歴史家が主張している説で、4世紀から6世紀までの約200年間、韓半島の加羅地方の一部に任那と呼ぶ地域があって、日本の支配機関である日本府を置いて支配したと主張する「任那日本府説」があります。しかし、この任那日本府説の史料は朝鮮や中国の文献にはにないのです。それを立証できる考古学的な証拠も出土していません。
むしろ日本の古墳から加羅の鉄製品の影響とみられる鉄製の甲冑や土器などがたくさん出土しています。たとえば、奈良県樫原博物館にある鉄の甲冑や兜がそれです。薄い小さな鉄の板をつないて作ったこのような甲冑は,加羅の出土品と非常に似ています。鉄器文化の流入は、今の奈良、大阪、飛鳥地方を中心とする中央集権国家の形成に結びつきます。4、5世紀に日本が韓半島の南部を支配したのではなく、むしろ加羅から鉄などをはじめ、先進文物を入れていたことがわかります。そして加羅の先進文物は日本の古代国家形成に大きな貢献をしたのでした。
6世紀初め、百済の武寧王が強い国力を背景に南下政策を始めました。いまの全羅南道と慶尚南道の境界地域まで南下した百済は、加羅の小国らを抱きこむ政策を取り始めたのでした。これは加羅全域に深刻な危機状況をもたらしました。結局、552年に大加羅はその危機状況を新羅と同盟を結ぶことで解決しようとしたのです。しかしこの同盟政策がかえって加羅連合体の内紛と滅亡を招く原因になってしまいました。
大加羅が加羅連合体を新羅を渡すつもりだと疑った加羅の小国は大加羅に反発しました。加羅連合体の分裂を目の前にした新羅と百済は、東西の両方面から加羅連合体をそれぞれ併合してしまいました。553年の管山城の戦いを境目に加羅は次々と新羅に併合されましたが、562年大加羅が新羅に反発して、大加羅と新羅の間に戦争が起き、最終的に大加羅は戦争に負けて、新羅によって滅ぼされてしまいました。
http://rki.kbs.co.kr/japanese/korea/korea_click_detail.htm?No=339
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