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戦略理論第四章は、「戦略レベルと戦術レベル、および作戦レベルはそれぞれに限界がある」ということである。
戦略レベルと作戦レベルを混同する迷信の惨害は、すでにオペレーションズ・リサーチの誤訳で指摘したが、その間に≪戦術≫という概念を確立しなければならない。
戦術・タクティクスTacticsのタクトTactはオーケストラの指揮者の≪指揮棒≫と同じ意味で、タクティクスの原義を意訳すると、≪指揮命令手段≫ということになろうか。
戦略目的を達成するために何をどうするか。
これを決定するのが戦術レベルである。
具体的に解説しよう。
ある企業経営者が、
「不況の中でも発展する道を探してみよう」という大方針を決めたとする。
これだけでも選択枝はいくつもある。
「不況にあわせて、会社内部を引き締め、利益率を上げよう」というオプションもあるし、
「不況面ばかりを追わず、購買欲が旺盛な一部の消費者層だけにターゲットをしぼり込んでみよう」というオプションもある。
複数のオプションを組織全体の何割かの比率に振り分けて同時に行なう場合もある。
このオプションが一単位の戦略であり、キッシンジャーの術語では≪戦略オプション≫という。
逆にいえば、≪戦略≫とは、このようなエキスパートズ・ナレッジによる膨大な数の≪戦略オプション≫の集合体として構想される系列であり、戦略オプション自体の選択項目は
「不況脱出後には何から手をつけるか」とか
「不況が長引く場合は何を優先させるか」といった状況判断の変化によって、その内容が刻々と変容していくものである。
この≪戦略≫を、組織経営の普遍的な原則として確立したのは、初代ユネスコ事務総長のカール・マンハイムである。
彼は軍人でも政治家でもなく、キッシンジャーと同じようにナチスの迫害を逃れるために亡命したオーストリアの社会学者であった。
したがって軍隊の軍事戦略であれ、キッシンジャーの外交戦略であれ、今日の企業経営や国家経済の戦略においても、≪戦略≫の体系的な方法論は根本的に同一で、古今東西を問わず、あらゆる組織は最も合理的な戦略体系を適用すべきである。
企業だから、国家だからと、それぞれに≪戦略≫の方法論を独立させると、これは近視眼的な学者たちの独自の解説には都合がよく、また便利ではあっても、結果的には架空の理屈に閉じこもって空転したり、普遍的に共通するパラドックス、絶対矛盾や畏るべきタブー(禁忌)などを軽視することで、客観的に自滅崩壊の経路を突進してしまうことになりかねないのである。
さらに、断固として退けなければならないのは、合理的な戦略を不合理な過誤や現実の想定ミスに陥らせるような、さまざまの「迷信」である。
晴れの日はいいが、雨になると商売にならないという場合に、いつも晴れが続くと想定するのは楽観的な希望的観測ではなく、非現実かつ有害な「迷信」であると厳しく排除すべきである。
私が冒頭で、「戦略レベルと戦術レベル、および作戦レベルはそれぞれに限界がある」と前言したのは「戦略レベルの失敗を、戦術レベルで補うことはできない。
さらに戦術レベルの失敗を、作戦レベルでリカバリーすることはできない」という否定的な意味を含んでいる。
その戦慄すべき結末は、すでに前段の「マクナマラの失敗」で検証したところであろう。
さて、「不況でも発展しよう」という一つの戦略オプションは立てた。
その時に何をどうするか。
新商品を開発して、ヒットさせること。
これはマーケティング技法によって売れ筋をつかみ、ヒット商品を育てるという具体的な方法論になるが、これが戦術レベルの議論である。
あるいは、従来の商品価格を引き下げるとしたら、仕入れの原価を引き下げるとか、生産コスト・流通コストを圧縮することを考えなければならない。
大量発注の見返りにリベートを受け、それで期間限定の低価格攻勢に撃って出ればライバルを悩ませることもできよう。これも戦術の方法論である。
これまでは安売り店を主な相手に商売をしていたが、これからは一流店と取引ができる名門ブランドを取り入れ、他の関連商品の値崩れを防ぎ、利益を確保しようという戦術もあるだろう。
そこで作戦である。
例えば有名人を顧客に引き込む。
小さな料理店でも、グルメで知られた有名人の色紙がかざってあると、一般の人々は「ここは上等な店だ」と思うであろう。
その有名人が食べた料理が通常勤務しているアルバイトとは別のシェフによって作られていたとしても。
非常に人気のある芸能人をCMに起用するのは、もちろん同じ理由からであるが、無名の新人タレントをCMに使っても回数を増やすとか、人気番組で視聴率が高い時に連続させるとか効果的に露出を高める作戦は存在する。
「定まった戦術を実現可能ならしめて、具体的な行動計画Action Planアクション・プランに組み立てる」
これが作戦レベルである。
作戦には臨機応変の処置が必要である。
そして最も現場に近い歴戦の勇士の瞬時の直観と深い目利きが求められる。
また、作戦レベルが失敗しても、戦術レベルで正しい選択がなされていれば、犠牲や損害は最小限度に食い止められる。
失敗した作戦を早急に打ち切って、局面から撤退させ、別の作戦に新手の人員を投入すれば、ライバルの側面や背後に回わることも可能なのだ。
ところが、どんなに作戦レベルで苦闘しても、犠牲や損害が無限に拡大していくのは、戦術や戦略に重大な失敗と欠陥がある場合であり、直ちに戦略オプションを変更しなければならない。
キッシンジャー外交戦略の場合、北ベトナム政府の背後でマクナマラのドミノ理論では「敵対勢力」と分類されていた中国の毛沢東主席とニクソン大統領を握手させ、核兵器制限条約という課題を打ち上げてソ連のブレジネフも交渉の場に引き出した。
つまり、「連携した敵の一部を分断して味方にする」とか、あるいは「敵の勢力を離間分断して逆に連携の手をのばし、対立する敵の勢力を弱める」という、「何が敵か」という戦略全般の転換が必要になったのである。
これはドミノ倒しの逆転回であり、米ソ対立の代理戦争から始まったベトナム戦争終盤で、アメリカがみずから中国とソ連と握手を交わしたことは、結果的に北ベトナムを孤立させ、戦争終結を早めて和平交渉を促進する展開につながったのである。
このことは「当面の敵を最小にし、当面の味方を最大にする」というレーニンのボリシェビキ理論と共通しており、この点でも戦略理論が古今東西を問わない唯一の合理的体系であることを例示している。
つまり、戦略理論は純粋にテクニックであり、だからこそ戦略専門家は、生・死・毀・誉の大義と倫理の支柱を必ず要求されるのである。
戦略オプションが正しく、最終目的の達成に最も効果的であれば戦術は限定されてくる。
戦術の全面的な転換は容易なことではないが、この場合にも犠牲は最小限度にとどめることができる。
あるいは最終的な成功によって多数の犠牲をもやむをえないこととして、後で差し引きして考えることになる。
このように戦術の失敗は戦略変更によってリカバリーされることがある。
しかし、キッシンジャーの外交戦略の展開において、最も障害となったのは南ベトナムのグエンバンチュー政権であった。
彼らは腐敗した軍事政権で、アメリカの経済援助を民衆に効率よく分配せずに、手際よく親族などで独占し、民衆を敵に回してゲリラ勢力に勢いをつける役割しか果たしていなかった。
フィリピンの独裁者も、インドネシアの独裁者も、その親族は腐敗しており、パリやニューヨークで国民の膏血を散財浪費していたことはよく知られている。
しかし、キッシンジャーはグエンバンチューの軍閥を再度の軍事クーデターで権力の座から引きずりおろすことはできなかった。
彼はそうしたいと何度も思ったであろうが、北ベトナムが最大のライバルで前面に迫っている以上、アメリカが南ベトナムで体制内部の分裂や混乱の原因を、自分から創り出すことは危険が大き過ぎた。
それをわかっているグエンバンチューと側近たちも開き直って、キッシンジャーの足を引っ張るマネさえもした。
もともとグエンバンチューの政権は、マクナマラのドミノ理論で反共主義の砦として擁立されたので、アメリカに調子を合わせて反共主義さえ唱えていれば、民主主義を否定して人権を抑圧する全体主義国家でも許されるとアメリカ政府関係者も信じていた。
しかし、ベトナム戦争が拡大してアメリカ軍側の被害も大きくなると、マスコミが南ベトナムの実情をテレビを通じて暴露しはじめ、その非民主主義的な軍事独裁の実態が明らかになるにつれ、アメリカ市民からベトナム戦争そのものに対する強い疑問と激しい抗議が巻き起こった。
キッシンジャーは、こうしたアメリカ国内の世論にも板バサミになっていた。
これも最初のマクナマラ戦略の失敗の産物が後々まで尾を引いたのである。
この実例から判明することは、
「戦略オプションそれ自体の失敗は、グズグズして時機を過ぎると別な戦略オプションでリカバリーすることはできなくなる」ということである。
キッシンジャーが戦略オプションとして選択できたのは、グエンバンチュー政権を切り捨て、アメリカ軍を北ベトナムとの戦場から一方的に全面撤退させ、南北ベトナムの間に暫定的な休戦協定だけを置き土産にすることであった。
撤退の決断が早ければ、それだけ損害も少なくてすむが、前進すれば失敗することが明らかになっても撤退の決断がつかない時、戦略オプションの選択肢は少なくなり、全体の瓦解を待つことになる。
馬王堆前漢墓『帛書・黄帝四経』にいわく、「決断すべき時に決断しなければ、かえって後々の混乱の災いが身に及ぶことになる(當断不断、反受其乱)」
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