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(回答先: 周遊で茶店に入った気分です。もう少し、興が乗ってしまいました。 投稿者 ODA ウォッチャーズ 日時 2005 年 7 月 26 日 15:37:43)
じゃ、コーヒーでも一杯。ついでに社会科の比較も・・・。
「茶店に入った気分」ですか。じゃあ、私もコーヒーを一杯。
社会科教育の比較も面白いテーマでしょう。2001年の9・11が起こった後のことでした。バルセロナのある中学校の、日本で言えば3年生に当たる学年で(私の友人の子供が通っているのですが)、その年の1学期(スペインでは9月から12月が1学期)の期末試験の社会の試験でこんな質問が出されました。
『ビン・ラディンはなぜ米国を攻撃するのか。その理由を述べよ。』
このような出題があるとは全く予告されていませんでした。質問の下には10行ほどのスペースがありそこに記述しなければなりません。日本の学校でこんな試験問題が出されたら、どうなるでしょうね。おそらく「そんな『難しいこと』を中学生に答えさせるとは何たることか」「入試と何の関係があるのか」「不穏当な問題をつくるな」とか果ては「子供に変な思想を植え付ける気か」などなどの非難が轟々と巻き起こって、出題した先生は学校に居れなくなるでしょうね。
しかし別に保護者が騒いだとか市の教育委員会からクレームがついた、とかいうニュースもありませんし、この程度の質問はどうやらこちらではさして問題にもされないようです。そして友人の息子に聞くと『イスラム原理主義の立場からビン・ラディンが、米国の世界戦略と資本主義を悪魔の仕業であって許すことができない、と考えているから』といったような記述に高得点が与えられていたようです。彼の話では、内容はともかく、ほとんどの生徒がビッシリと解答欄を埋めていたそうで、彼自身は「パレスチナでイスラエルがアラブ人をいじめていてそれを米国が応援しているから」といった内容を書いて低い得点しかもらえずに悔しがっていました。
この先生の視点が「対テロ世界戦争」路線に完全に乗っておりシオニズムに影響されている可能性があるのは問題ですが、しかし中学校の期末テストにこんな「過激な時事問題」を出す、というのも面白いし、それにみんな抵抗も無しにさっさと文章を作るのもすごいし、さらにまた、その子にしてもちゃんと新聞やテレビのニュースで中東情勢を知って自分なりに考えているのですね。これは私にとっては三重の驚きでした。
もし現在の日本の学校で同種の質問ができたとして、一体何人の中学3年生が10行の解答欄を埋めることができるか、極めて疑問に思います。たぶん大半の者が白紙でしょう。
スペイン人に限らず欧州の子供は何に対しても自分の意見をはっきりと言います。それが当たっているかどうかはともかく、自分の知っている限りで自分の言いたいことを必死で組み立てます。これは大人でもそうで、結構デタラメを言うことが多いのですが、それでもよくしゃべるし書きます。
中学生が政治デモに参加することもよくある話で、2001年にEUサミットがバルセロナで開かれ、欧州各地からアンチ・グローバリゼーション団体が押し寄せてデモ隊と警官隊が衝突しました。その少し前にイタリアのジェノバで警官がデモ隊の若者を撃ち殺していたので双方で殺気立ち騒然としていたのですが、地元の中学生も結構デモに参加したようです。そして警察は次のような手でしょっ引いていくわけです。私服がこっそりと近づいて小型ナイフや小石などを持っているカバンに放り込み、次に制服が来て「ちょっとカバンの中を見せろ」。で、凶器準備集合罪か何かでとっ捕まえて警察署に連れて行くわけです。
中学生ですからすぐに親が呼び出されます。しかし親も慣れたもので、自分も若い頃フランコ体制に反発してデモに参加したクチで警察が何をするものなのかよく知っているからでしょう。気にする様子でもなく平然と子供を引き取っていきます。政治デモでなくても、例えば学費の値上げなどに反対する中学生や高校生のデモはよく見られます。日本に住み慣れた眼から見ると目が回るようなことばかりです。
どうやらこの国の社会科の先生は、現在の世界を見つめることが社会の勉強だ、と心得ているのでしょう。先ほどの友人の息子も2年ほど前の冬休みの宿題に、ある一つのテーマに沿って毎日の新聞の切抜きを行いそれを並べて貼ったうえに自分で文字を書き加えて持論を展開する、というものを出されてフウフウ言っていました。彼は今年統一試験で優秀な成績を収めてバルセロナ大学の工学部に進学を決めました。
ところで社会科の教科書で、最も日本とかけ離れているのが英国でしょうね。歴史では小学校と中学の最初のころに欧州古代〜中世をざっとやって、16歳で受験する統一試験GCSEに出されるのはほぼフランス革命以来の近代史のみです。
そして特にさまざまな資料の読解と分析が中心で、すべて記述式。先ほどのバルセロナでの例と同様に、とにかく自分の分析と思考の過程をすべて文章で書かされます。しかし考えてみるとやはりこれが歴史の勉強の本筋でしょうね。そして面白いことに教科書ではけっこう英国がインドなどでやらかした悪事についても資料を上げて詳しく説明しています。
最も異なるのが地理で、日本のように、日本と世界の場所と産業を覚えるようなことはあまりありません。日本の場合、地理というよりも地誌でしょね。Geographyじゃないです。英国の教科書やGCSEの出題では、自然地理(地形などの成り立ち)がかなり重要な様子で、地図と写真を見せられて「この地形はどのようなプロセスで作られたか」という質問がよく出されます。また都市の成り立ちと自然地理との関係、居住地区の形態と交通や産業との関係、統計資料からある地域の産業や歴史について何がわかるのか、といった、要するに『ある地域を観察して分析し総合してそれを表現する能力』を伸ばすことがGeographyの勉強だ、ということでしょう。さすがに世界を制覇した大英帝国だけあります。
英国の教科書を見ますと、この『観察して分析し総合してそれを表現する能力』というのは理科や社会のどの科目でも強く貫かれているようです。どこの国にも出来る者と出来ない者は居るのですが、一部のよく出来る者は上記の能力が徹底されています。日本の丸暗記中心の社会科の勉強を考えると、コリャ、当分アングロサクソンにはかなわないな、と少々悔しい思いもします。
歴史の勉強が近代中心であることはスペインでも一緒で、たとえばスペインの大学入試統一試験であるSelectividadの歴史では、とにかくフランス革命以降しか出されず、その中から、例えば「19世紀の労働運動とマルクス主義の誕生について述べよ」とか「第1次世界大戦の原因となる諸事件を明らかにして大戦までの過程を説明せよ」などの問題が、すべて記述式で出されます。
米国では、欧州人移住から400年ほどしかない米国史はともかく、歴史でも地理でも比較的日本の方法に近いようです。しかし高学年の歴史ではやはり近代史が中心であり、教科書は電話帳くらいの厚さでとにかくものすごく詳しいですね。それもやたらと細かいことが書かれている、というのではなく、読んでみると「story」として結構面白く読めます。日本の歴史教科書は「年表の延長」ですね。
スペイン語では「歴史」は la historia で「物語」が una historia です。冠詞の違いだけなのですね。やはり欧州言語ではhistory=storyという感覚が根本的にあるようです。
少々しゃべり疲れました。ではこの辺で。
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