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新設される多摩美術大「芸術人類学研究所」の所長に
就任予定の中沢新一の、それに関する論文。
その中で語られる「家畜の生き方に人間はどんどん近づいている」
という表現が、大変面白いのでUP。
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読売新聞 2005/07/20 文化
多摩美大「研究所」創設に寄せて 中沢新一
■ 野生呼び覚ます芸術人類学
来春をまって、多摩美術大学では「芸術人類学研究所」
を創設する。今日の著しい管理化と理念なき改編の進行
する日本の大学においては、「芸術」も「人類学」も、
もはや片隅に追いやられようとしている、古い学問に
属していることばのようにも見られる。そのような
なかばアナクロな(とみなされている)ことばを二つ結び
あわせて、私たちはそこで何をつくりだそうとしている
のか。若者の心にふたたび野生を取り戻させる運動の拠点
づくりである。そのため早くも研究所の愛称はきまって
いる。「ソヴァージュ研究所」。もっとも古く、そして
もっとも新しい思考の領域を開こうとする野心が、そこに
はこめられている。
世の中には、ポストモダン化した現代では、人間は
どんどん動物化していくという意見がある。しかしそこで
言われているのは、じっさいには動物といっても
「飼い慣らされた動物」のことで、つまりは家畜の生き方
に、人間はどんどん近づいているのである。教育や
メディアや家庭環境をとおして、私たちの感覚や思考は
一定の管理水準に合うように、知らず知らずのうちに飼い
慣らされてしまっている。そのために、自分の感覚や思考
が「野生(ソヴァージュ)」の状態を生きていたことを、
忘れてしまっている。しかしそれはたんに忘れられている
だけで、その野生は生命と結びついた無意識の奥で、
しっかり生き残っているのである。
その無意識の奥に潜在している感覚と思考の野生を目覚
めさせ、立ち上がらせ、それに表現をあたえることのでき
る知性のかたちを、あらためて「芸術」と呼ぼうと思う。
いや、そういう知性のかたちだけが、芸術という名にあた
いする。そしてそのような芸術はファインアートの領域を
超えて、人間の生き方の全領域にみいだしていくことが
できる。
いまも私たちの無意識の奥に潜んでいる野生の感覚と
思考を呼び覚まし、活用することができないかぎり、
いきづまってしまっている今日の人間の世界に、未来の
風が吹き込んでくる窓を開くことなどはできないだろう。
だから「芸術人類学」なのである。人類学と考古学は、
現世人類の心の構造が、数万年のあいだ少しも変化してい
ないことを、あきらかにしてきた。人類の心の奥底には、
野生の花の咲く野がいまも息づいている。そのことを記憶
の奥からもういちど掘り起こし、そこで手に入れた
「野を開く鍵」を若者たちに手渡すことこそが、おそらく
私たちがいまいちばんやらなければならない仕事である。
[中略」
日本の多くの大学でおこなわれている学問は、いま明確
なヴィジョンも持たないまま、きわめて危険な方向への
滑落をはじめているように、私には思われてしかたがない。
そういう時代には権力の近くから去って、ロビンフッドの
ように森に入って、生き残りと再生をかけた拠点づくりを
はじめるのがいい。多摩の森の一角に生まれるこの新しい
研究所は、日本人の心に野生を目覚めさせるための、
二十一世紀の知的探求の拠点となることをめざしている。
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「世界人間牧場」のジョン・コールマンが「無意識の奥で」思い浮かぶ。
■ 釜井@オリジナルのコンスピラシー リンク集
http://www5e.biglobe.ne.jp/~conspire/
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