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スペインは軍事的な日本の占領は諦めたが、キリシタン大名を使って神社を破壊したが秀吉は明征伐で反撃した
http://www.asyura2.com/0505/bd40/msg/295.html
投稿者 TORA 日時 2005 年 7 月 16 日 19:48:17: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu99.htm
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スペインは軍事的な日本の占領は諦めたが、キリシタン
大名を使って神社を破壊したが秀吉は明征伐で反撃した

2005年7月16日 土曜日

◆地球史探訪:悲しいメキシコ人  国際派日本人養成講座
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h9/jog003.htm

■1.メキシコ人とアメリカ人の反目■  

テキサスからカリフォルニアにかけて、アメリカとメキシコとの 国境沿いに、マキラドーラと呼ばれる保税地域が点在している。 アメリカ側から部品を無税で持ち込んで、メキシコの安い労働力で 組み立てし、またアメリカ国内に出荷するという形で、多くの企業 が集まっている。  

テキサス州のエルパソもその一つで、メキシコ側のファーレス市 とリオ・グランデという川一つ挟んで、隣接している。エルパソから、ファーレスに入ると、道路は穴だらけ、住居は小さく貧しく、 高層建築も全然ない、というように貧富の差は歴然としている。 

ここにある日系企業で聞いた話を紹介しよう。メキシコ人とアメ リカ人との対立の深刻さに、日本人はみなびっくりするという。アメリカ人はメキシコ人を馬鹿にし、メキシコ人は、もともとメキシ コのものだったテキサス、ニューメキシコからカリフォルニアに至る広大な領土をアメリカに戦争や詐欺まがいの手段で取られたこと をうらんでいる。(エル・パソ、ロサンゼルス、サンフランシスコ等、皆スペイン語の地名である。) したがってアメリカ人がメキ シコ人を使うと、なかなかうまく行かないという。 

ところが、間に日本人が入るとスムーズに行くそうだ。アメリカ 人から見れば、日本人は雇い主なので当然一目置くし、メキシコ人から見ると、日本人は差別をしないので安心だという。さらに同じ 非白人が、アメリカ人を使っているのは、メキシコ人としてもうれしいという感情もあるようだ。

■2.自らの文化を失ったメキシコ人■  

メキシコ人はアメリカに土地を奪われ、今は経済的に従属してい るが、さらにかわいそうなのは、固有の文化・文明そのものをスペ イン人に破壊されてしまったという点である。彼らの話すスペイン 語は、その文化・文明を滅ぼした侵略者の言葉である。彼らの固有 の神話、文学、宗教もすべて失われ、文化的には二流のスペイン人 となってしまっている。  

1521年まで、メキシコにはアステカ文明が栄えていたのだが、 スペイン人コルテスの侵略に屈した後は、鉱山開発で過酷な労働を強いられ、天然痘などの流行もあって人口が激減した。さらにキリ スト教宣教師が固有の宗教を破壊し、経済的にも教会が国の資産と土地の3分の1を占有した。人種の混合政策がとられ、スペイン人 の血の濃さに従って、複雑な階層に分化した。こうした過程で、アステカ文明は根絶やしにされたのである。

■3.日本も同じ運命をたどる危機があった■  

実はこれは日本人にとっても他人事ではない。戦国時代にスペイ ンやポルトガルからキリスト教の宣教師がやってきたときに、日本が信長や秀吉のようなすぐれた人物に恵まれず、また民族的なエネ ルギーも不足してゐたら、メキシコ人と同じ運命をたどった可能性があった。現実にアジアでもフィリピンがそうなっている。  

イエズス会の宣教師たちは、日本を占領するつもりで来たのだが、 その少し前に伝わった鉄砲が日本全土で10万丁も普及しているのに驚き、本国に「日本占領をあきらめるべし」という手紙を書いた。 そのかわりに狙ったのが、西国の大名を改宗させ、それを手下に使って、九州の神社仏閣を破壊し、さらに明の侵略に使おうとしての である。  

秀吉は、明がスペイン人に征服されては、元寇と同じ事が起こる と考え、外国人バテレン追放令を出し、さらに先手をとろうと明征伐に向かったのである。(歴史の教科書では、こうしたスペイン人 の侵略を伏せているので、キリシタン弾圧も、明征伐も、秀吉の狂気の沙汰としか描けない)[1]

■4.もし日本がメキシコと同じ運命をたどっていたら■  

もし日本がアステカやフィリピンのように脆弱で、キリスト教宣 教師の野望が実現していたら、どうなっていたであろう。今日のメ キシコと同様、日本語は忘れさられ、現在の我々は、ホセだとか、 カルロスなどというスペイン風の名前になっていたことであろう。 白人との混血の度合いで、様々な階級差別が作られたに違いない。 全国の神社仏閣は破壊され、カトリックの教会があちこちに建って いるであろう。  

日本語や日本文学は、もの好きな考古学者が研究するだけの存在 になっていたであろう。また植民地として徹底的に収奪されていれば、江戸時代の文化的物質的蓄積もありえず、明治維新のエネルギ ーもありえなかったに違いない。おそらく没落したスペインのかわりに、台頭してきたアメリカか、ロシアの植民地となっていたであ ろう。

■5.誇りと使命感と、思いやりを■  

今日の日本が数千年の固有の文化・文明を保ちつつ、かつ経済・ 技術大国として世界に伍しているのは、まさに我々の先祖の並外れた能力と志の結果であると言える。国際派日本人としては、祖先へ の誇りと感謝、それを受け継ぎ発展させていこうとする子孫に対する使命感、そしてメキシコ人のような虐げられた民族への思いやり をもって、国際社会に臨んで欲しい。


(私のコメント)
大航海時代の先駆けした国はスペイン・ポルトガルですが、南北アメリカ大陸とインド洋からフィリピンまでのアジアの海を支配しましたが、日本まで来て日本の軍事的な支配は断念した。まず宣教師をスパイとして送り込んで国内の内乱に乗じてその国を占領してしまうのが彼らの占領手段ですが、信長・秀吉の時代となっていてスペインの軍事力では武力占領は不可能だった。

秀吉も宣教師達の正体を見抜いてキリシタン弾圧に乗り出してスペインを追い返しましたが、本格的な侵略が始める前に秀吉は朝鮮征伐に乗り出して反撃した。学校の教科書やNHKの大河ドラマなどは秀吉の征服欲であるとか大名への報償のためと教え込まれていますが、スペインによって日本が征服される事に対する恐れからの反撃と見るべきだろう。

当時のスペインの戦略としては、まず日本を占領して日本人を使って明に攻め込む事を考えていたようだ。当時は倭寇が明の沿岸地域を荒らしまわっていて、明が滅んだのも倭寇が原因の一つとされている。さらにはスペイン・ポルトガルの艦隊に太平洋沿岸を支配されたのも衰退の原因の一つだろう。さらにはイギリス・オランダの艦隊がやってきてイギリスは香港を租借しオランダは台湾を植民地にした。

当時の日本は海洋国家とは言えなかったが、倭寇の登場はその先駆けになった。イギリス・オランダも家康などの存在で軍事的な占領は諦めたが、スペイン・ポルトガル勢力の排除には成功して、オランダが貿易の独占に成功した。日本がフィリピンや南北アメリカのように占領されずに済んだのは地理的なものではなく、国内に強力な武力組織を持っていたためだ。

大東亜戦争の時も本土決戦を米英が避けたのも沖縄や硫黄島などの戦闘経験から、本土決戦をしては被害も多いと判断したためであり、戦国末期と状況は似ている。だから日本が強力な武士団や軍隊がなければ完全占領されてフィリピンやメキシコなどのように文化は根絶やしにされてスペイン語か英語が公用語になっていただろう。

昨日の記事でも秀吉の朝鮮征伐を、西欧の十字軍遠征に例えましたが、当時は陸伝いに攻め上るしかなかったから失敗しましたが、船の進歩と蒸気機関の発明で海洋を支配するものが世界を支配する事が決定的となった。イスラムも中国もなぜ陸地に封殺されて文明が衰退したか詳しくは述べられませんでしたが、中国にしても長江文明から明帝国までは海が開けていた。

◆陸封された東アジア−奪われた海の地平
http://www2.ocn.ne.jp/~bunmei54/likufunoasiakindai.htm

黄河流域の馬の文化と長江流域の舟の文化を基盤にして成立した中国文明は、唐帝国の展開したキヤラバンと帆船の道をつうじて流れこんできたイラン・イラニカの風を受けて、中国文明を紫に染め上げたが、それ以後に中国は絶えず江南を豊かな基盤にして発展してきた。

 ことに宋元以来の中国は環シナ海圏の中核になり、西欧に先駆けて展開された商業革命は、国境を越えたジャンク交易とともに都市化と産業の発展を促進し、中国文明は黄と緑と青のコントラストのみごとで豊穣な文明に成熟した。

 この海の青さを色濃くしてきた中国文明が輝きを失ったのは、七つの海を支配したイギリスを筆頭にした欧米諸列強の手によって、中国を中核に発展してきた環シナ海圏が植民地市場に分断され、資本主義世界経済の周辺部に組み込まれたたことに起因している。

 中国を中核にした東アジア世界が植民地化されたのは、もちろん、帝国主義の侵出だけではない。それを許した要因は、日本を除いて、東アジアの商業革命が未完成で内旋化したことによっている。そこにアジアの悲劇の発端があった。

 その結果、歴史的に形成されてきた東アジア世界=経済は海のフロンティアを奪われ、中国は内陸に閉じ込められ、外からの収奪と内からの差別と疎外に晒されることになった。東アジア世界に階級対立と民族問題が激しく生起して、中国文明は周辺諸民族の融合を促進してきた海の青さを失って衰退し、黄土の上を戦争と革命の嵐が吹き荒れていった。(中略)

海を舞台にした商業革命をつうじて離陸に成功した日本は、当初においては中国の「中体西用」や「東道西器論」に共鳴し、日本に亡命していた中国の梁啓超や孫文を支援し、福沢諭吉のもとに留学していた兪吉濬などの開化派の試みを支持していたが、それも挫折していった。

 日本ではその後に、アジアの民族解放闘争に共鳴する大陸志向の「大東亜共栄論」が台頭したが、それによって日本はますます奥深く大陸内部にのめりこみ、アジア侵略を拡大しながらついには自滅していった。

 中国を中核に発展してきた東アジア世界=経済は、欧米および日本の植民地市場に転落し、海のアジアのフロンティアは失われ、戦前・戦後をつうじて東アジア世界はまさに内陸に閉じ込められて、豊穣だった中国文明は黄ばみ、戦争と革命の嵐が黄土を吹きぬけていったのである。


(私のコメント)
このような文明史観から見れば、海洋を支配する国と日本は手を組まねばならない。中国やロシアと組んでも日本には何の利益ももたらさない。たとえば日独伊三国同盟はどうだっただろう。ドイツもイタリアも海洋国家とは言えなかったから何のメリットももたらさなかった。軍事的な協力関係は出来なかったし、ドイツ海軍やイタリアの海軍はアメリカ・イギリスの海軍に手も脚も出なかった。大日本帝国陸海軍のエリート達は文明史観的視野が全くなかったのだ。だから中国などの大陸国と組んでも日本には何のメリットもない。


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