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近頃の若い人は 2005.6.27
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発作的コラム
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「近頃の若い人は」という言葉がピラミッドにも刻まれていた、という話を聞いたことがある。そんなことを思い出す出来事が最近あった。
毎月、子供たちに会いに大阪に立ち寄るようにしているのだが、つい先日立ち寄ったとき、ちょうど長女の授業参観があったので彼女の通う小学校に顔を出した。大阪の家で朝から原稿を書いていて、はっと気づくともう参観の時間から十分も遅れていて、慌てて家を出た。授業にはなんとか間に合い、それからはぼうっと授業を見ていた。母親たちが圧倒的に多い。二十人くらいは来ているだろうか。
わたしは、久しぶりの学校教育に興味津々だった。五、六年前にはわたしも、中学で保健体育を教えていた時期があったのだが、そんなことはすっかり忘れて授業を興味深く眺めていた。しかし、どうも先生の声が小さくて聞き取りにくい。わたしは鼻で蓄膿をやったことがあって耳が少し遠いこともあり、そのせいかしらんと思って主に黒板を見つめていた。その日の授業は算数であった。
しかし、なにか、教室内がざわざわとうるさいことに気がついた。何の音だろうかと思い、ふと教室内にいる母親たちを見て驚いた。うるさかったのは、その母親たちの雑談だったのだ。
わたしはぎょっとしながら、その光景を見ていた。半分くらいの母親たちは、わが子の授業風景よりも、お喋りの方に夢中である。教室の後ろにいたわたしは、相変わらず、まったく担任の話が聞こえない。長女の席は教室の真ん中だった。真ん中だったら聞こえるのだろうかと思い、参観後に「あれで先生の声、聞こえてるの?」と訊ねると、「ううん、聞こえない」と言う。母親たちはいったい、このような授業妨害を自分たちでしておいて、何も気にならないのだろうか。どこの子供≠ェ、授業中にお喋りをしていいというのだろうか。
教師がその場で注意できないのは、奥ゆかしい日本人気質、親への遠慮、無用なトラブルの回避という側面から百歩譲って理解できるが、それでも事前に紙面で注意くらいしておくべきだ。わたしは「何が学級崩壊だろう。早い話、親の方が崩壊してるんじゃないか」と思った。
ここで古代エジプトの言葉を思い出したのだが、以前からわたしは「少年より大人の方に分別がない」ということを思っていた。「オバタリアン」という言葉があったが、本当におばさんはマナーが悪い。おじさんも同様だが、彼らはの自覚があるのかないのか、公衆に出てこないで居酒屋など自分のテリトリーでしか動かないから目立たないだけで、要は同じだ。子供はこれから覚えるのだから、多少マナーが悪くても、その場で注意すれば良いが、大人はそう簡単にはいかない。自立しているからである。
しかし、あのような親には、さらにあのような親がいたのかもしれない。だから、こうしたあたかも今生の輪廻≠ニもいうべき現象を鑑みて、「近頃の母親は」と、わたしは言うまい。「マナーが悪い」と日本全国で不評をかっている大阪でのことだから、余計だったかもしれないが、これはその土地や親だけでない構造的な問題であろう。部下の責任は上司がとるのが社会的道義であるとするなら、子供の責任は親にある。これからは子供の躾が悪いときは、親を叱るほうが効果的なのかもしれない。学級崩壊とは、つまり「親崩壊」だとも思った。
「それにしても、あんなに授業中にお喋りして、子供の勉強の邪魔する大人に怒られたりするんだから、子供も大変だね。大人っていうのはいい加減で傲慢だから、気をつけたほうがいいよ」
そんな愚痴をこぼすと、長女は「そうね、うふふ」と笑った。
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感想
最後の3行がとても素敵なお父さんである。
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