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参政権は選挙権と被選挙権よりなる。これはともに、なん人に対しても平等でなければならない(法の定める要件に拘束されるが)。ところが、この国では被選挙権を行使する者に対して、信じられないような高額な供託金制度を設けている。狂気の沙汰である。
国政選挙での供託金は、選挙区選挙で300万円、比例区選挙で600万円である。これにより、いわゆる普通選挙というものではなくなっている。この高額な供託金は明らかな資産差別被選挙権といえる。このような高額供託金を設けている国は世界にない。フランスのように、一切の供託金を撤廃せよ。
定数不均衡や死票問題はテクニカルな問題である。それに比べ、この差別は、悪法以前の民主主義の根幹に係わる問題である。なん人も生まれながらにして平等である、という大原則をないがしろにしたものだ。このような制度は資産なき者を被選挙権から排除する。よって、この制度を維持するこの国を民主主義国とは呼べない。
しかしながら、この国の人々はマスコミが問題として提起しないものに関心を持とうとしない。そのマスコミが選挙に関しては(有権者に対し)ひたすら優秀な選挙マシンとして機能するよう洗脳して来た。哀しいかな、殆どの有権者がこの洗脳に馴染み、選挙マシンが完璧に機能すれば、良い政治が得られるものと想いこんでいる。
残念ながら、選挙マシンが完璧に機能したとしても、材料が粗末、粗雑、粗悪であれば、「良い政治」という製品は得られない。といえば、一度では無理でも何度かの選挙で克服出来るもの、だと信じている者がいるかもしれない。しかし、考えてみるがいい、一度の選挙で当選した者達に、どれほどの時間を与え、どれほどの法案を作らせているかを。又、何度も遣り直せば良くなるというのであれば、なぜ現実にその兆しすら見えて来ないのか。
「議賊」という世襲身分を作り出したのは「良品選択」ではなく、「土産物に美味い物なし」といわれる、名の売れた名物を選択して来たからの結果に他ならない。万民が被選挙権を行使出来る基盤の上に「無印良品」を並べてこそ、「良い政治」という製品も選べる。
民主主義は権利の平等だけで完結するわけではない。その権利の平等を実現する「手段の平等」を確保しなければならないのだ。供託金というものは「手段の不平等」である。資産なき者の排除を放置しておくことは、名ばかりの民主主義に浸かって、いつの日か「茹で蛙になる」のを待っているようなものである。
高額な供託金撤廃は市民達に、「真剣の風が吹き、政治の炎は燃え広がり、嵐となるだろう」。そうなれば、低投票率が粗末な政治を齎している、などというマスコミの洗脳に乗せられる愚かな有権者は消える。
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