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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu97.htm
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1689年のネルチンスク条約以降、清帝国の版図は
侵食される一方であり、ロシアの南下を止めた日本。
2005年6月20日 月曜日
1858年アイグン条約締結
◆ロシアの南下政策 ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/蜊嶺ク区帆遲
ヨーロッパにおける南下の限界を知ったロシアはアジアにおける南下進出を図る。アジアに対する南下政策は、すでに17世紀末からあった。不凍港問題を解決するために、シベリア遠征を行ない、1697年には太平洋にまで達した。これは直接的には、南下政策とは関係がなかったが、シベリア遠征が完了するとロシアの目は中国に注がれた。しかし当時東アジア最大の超大国、大清帝国に阻まれている(ネルチンスク条約)。しかしアジアが弱体化した18世紀末以降、ロシアはインド、ペルシアに目を付け、当時海上覇権を確立しつつあった大英帝国と衝突する様になる。19世紀末には中国北東部を拠点として朝鮮半島・中国中央地域支配をもくろむも、当時列強に名を連ねていた大日本帝国の干渉により難航。1903年大英帝国は、ロシアの世界戦略を阻止するため、日英同盟を締結する。1904年日露戦争が勃発し、ポーツマス条約によって朝鮮進出が絶望的になると、中央アジア進出を積極的に行うようになった。
◆「対中カード」としてのロシア 6月14日 雪斎の随想録
http://sessai.cocolog-nifty.com/blog/2005/06/post_8bfc.html#more
世の中には、当初は誠に地味な動きであるけれども、後々に「大きな波」となって時代を動かすものがある。
たとえば、次のニュースは、どうであろうか。
自民党の森喜朗前首相は13日、ロシア訪問に出発。同日深夜サンクトペテルブルクに到着し、14日にプーチン大統領と会談する。森氏と大統領の会談は今回で計10回目。個人的信頼関係を生かし、懸案の大統領の早期訪日を促す。森氏は会談で、北方領土問題や、東シベリアのパイプライン建設計画についても意見交換する。
また、小泉総理も、嫌らしいことをやっているなと思う。中国の影響力をそぎ落とすためなら「鬼」にでもなるという雰囲気である。
ロシアの東方拡大の経緯を高校の世界史教科書を開く感じで確認しようとするならば、こちらのサイトが判りやすいと思われる。
http://gakuen.gifu-net.ed.jp/~contents/kou_chirekikouminn/sekaishichizu/Russia/russia1s.html
要するに、1689年のネルチンスク条約以降、キャフタ条約、アイグン条約、北京条約に至るまで、清帝国の版図は侵食される一方であった。中国にとっては、「北方からの脅威」は、昔から変わらない。方や、ロシアには、「タタールのくびき」から脱して自らの国を作ったという民族的な記憶がある。中露両国には、表面上は「平静が演出された場合でも、その裏には拭い去ることのできない「不信」と「恐怖」の感情がある。
このように考えると、対露外交の展開は、今後の対中関係を切り回す上でも大事な仕掛になるであろう。ロシアは、一応は「自由と民主主義」を共通価値観とする「G8」の構成国なのであるから、こうした現下の事情は、適切に考慮に入れるべきである。韓国が東アジアでバランサーとして振る舞うという「韓国バランサー論」は、夜郎自大の極みであるけれども、日本ならば「経済力」を梃子にして中露両国の間を立ち回ることができるはずである。そして、今は、ロシアに軸足が置かれるべき時期なのである。
雪斎は、北海道大学OBなので対露関係には以前から深い関心を抱いていた。北海道大学には、法学部の建物の隣に「スラブ研究センター」というロシア・東欧圏研究の拠点が置かれていて、学部生時代の雪斎は、そこの資料室でロシア研究関連の雑誌を熱心に読んでいたのである。ジョージ・F・ケナンが米国のロシア専門家であるのは周知の事実であるし、エドワード・ハレット・カーのライフ・ワークは、「ロシア革命史」の研究であった。そして、当代では、コンドリーザ・ライスは、ロシア専門家として高名な人物であった。
こうした事情は、国際政治を語る上での「ロシア・ファクター」が、いかに重要なものであるかを示唆している。北方四島返還という懸案はあるけれども、どのように安定した対露関係を紡いでいくかという「大きな話」は、日本においても用意されるべきであろう。
(私のコメント)
中国や韓国という国は自分の都合の悪い事は覆い隠して、自身の主観的な歴史観を押し付けてくる。今日も小泉首相が韓国に行ってノ・ムヒョン大統領と会談しますが、歴史認識問題が主題になるようだ。韓国の歴史教科書がかなり独善的であることは、小学校の歴史教科書を紹介した事がありましたが、韓国や中国では日露戦争の事にほとんど触れていないらしい。
しかし歴史を見れば1858年のアイグン条約や北京条約で清国の領土はごっそりと持ってゆかれ、現在の満州も実質的にロシア軍に支配された状況となり、次は朝鮮半島が丸ごとロシアの支配下に入る寸前にまでなった。おそらく日露戦争で日本が勝利していなければ現在の満州も朝鮮半島もロシアの領土になっていたかもしれない。
当時の大韓帝国は帝政ロシアにほとんど抵抗できずにいた。日清戦争で朝鮮半島は清国の属国から独立する事が出来るようになりましたが、自力で得た独立では無いから国家とは名ばかりのものであった。これらの事を韓国ではどのように教えているのだろうか。大韓帝国が日本の明治維新を見習って近代化していれば、日本とロシアのバランサーになっていただろう。
ところが韓国の教科書は日本が一方的に植民地支配したことしか教えていない。大韓帝国が国家としての形を成さず、長年にわたって染み付いた属国根性が自主独立の精神を持たせなかった。このようなロシアの南下政策に不安を抱いた米英は日本を梃入れしてロシアに対抗させた。清国もかつての勢いはなくロシアに領土をなすすべもなくもぎ取られ続けていた。
本来ならば中国は反日教育に力を入れるよりも、帝政ロシアが奪った領土を取り返すべく反ロシア教育に力を入れたらどうかと思うのですが、ロシアに対しては中国人は全くだらしがない。中国の歴史教科書でも日露戦争についてはほとんど書かれてはいないらしい。
かつては清国の領土だった沿海州やアムール川以北の地域も返せとは言うつもりはないのだろうか。その意味においては中国の江沢民は裏切り者であり売国奴だ。蒋介石も毛沢東もケ小平もロシアとの不平等条約は撤廃を主張していたが江沢民はロシアとの不平等条約を認めてしまった。
◆中露国境確定交渉の謎:何故強者中国が譲歩したのか? 小牧勇次郎
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k7/170128.htm
江沢民が最高指導者になって以後、中国はロシアとふたつの条約 を結んでいる。ひとつは1999年末に当時のエリツィン大統領との間 で結んだ中ロ国境に関する議定書である。これはロシアが中国にた いして強要した不平等条約に一切触れることなく、新条約の形をと って、ロシアが過去に奪い取った144万平方キロメートルの中国領土 をロシア領土として法的に承認し確定するものに等しかった。
ふたつ目は2001年7月にプーチン大統領と結んだ中ロ友好条約で ある。この条約で1999年の議定書の内容が確認された。 海外の華人はこの江沢民の挙を“売国行為”と呼んだ。このふた つによって、過去ロシアが中国に押しつけた不平等条約がすべて法律的に正当なものとして認められてしまったからで、ロシアに奪い 取られた144万平方キロメートルの領土を今後中国政府が権利を主張する法的根拠が無くなってしまったからである。
客観的に見れば、ロシアが清朝に不平等条約を押しつけてすでに 長い年月(150年近い)が経過しているし、世界の国境の多くは第二次世界大戦の終結とともに確定しているから、今になって中国がロ シアに奪われた土地を取り返そうと思っても、可能性は極めて低い。ロシア人がそう簡単に返還するはずはないからだ。しかし、江沢 民政府がこの二つに署名したということは、それまでの不平等条約をすべて承認したということであり、将来の中国人がロシアと領土 返還交渉を行う法的な根拠がまったく失われたということなのである。
たとえ将来江沢民政府が退陣して中国に民主主義政府が出現し たとしても、国際的な慣例に従って、その新政府はこの二条約(江 沢民が署名したところの)を継承しなければならないのである。
蒋介石が拒絶し、毛沢東が承認せず棚上げとし、ケ小平が異議を 唱えたしたにもかかわらず、江沢民がこれらの前例に反して不平等条約を承認したのは何故か。ソ連の解体後、ロシアは国力が後退し た反面、中国のそれは上昇した。この状況において、江沢民は国境問題を棚上げのままにしておくことはできただろう。
それだけでは なく、ケ小平のように積極的に反論し、ロシア側に過去の中国との条約がすべて不平等だったと認めるよう要求することもできたはず である。条約を受け入れる代わりにロシアに何らかの形で補償させることもできたであろう。
ロシアは現在、中国と友好条約を結んで中国から割譲された144万 平方キロメートルについて法的な承認を得ようとしている。ロシア は中国に補償すべきである。しかし江沢民の署名した二条約を見れ ば、中国人はいかなる種類の補償も得られない。ロシア人は黒竜江 に浮かぶ二つの小島さえ返還しないのである(これが中ロの国境紛 争で解決していない唯一の場所だった)。ロシア人はタイを返すど ころかエビも渡さない。彼らはロシアに行くと「我が家に返ったよ うな気がする」元ソ連留学生の江沢民エンジニアの心性を知り抜い ているのである。
江沢民は『人民中国』にロシアとの条約の条文を掲載させなかっ た。『中国通史』を編纂した歴史学者や中ロ国境問題の専門家に公開討論を許すこともしなかった。ロシアとの領土交渉や条約の締結 は、すべて秘密裏に行われたのだった。この行動が、江沢民の後ろめたさを表している。江は、問題を公にして13億の中国人に自由に 議論させれば、自分の評価が決定的になると恐れているのである。江がロシアと結んだ条約は、本質において売国的だからである。
(私のコメント)
このように中国人も韓国朝鮮人も日本に対しては言いたい放題のことを言ってくるくせに、ロシアに対しては全くだらしがなく、ネルチンスク条約以降は中国は一方的にロシアの言いなりになり続けて中国はロシアの属国根性が染み付いているようだ。もともと中国共産党はロシアによって作られたものだから当然といえば当然だ。
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