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http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1430620/detail?rd
インドネシア・バリ島同時爆弾テロ事件(10月1日発生)は、3回の爆発・閃光とともに、南国の旅を満喫していた外国人観光客、それに爆発現場で働いていた地元従業員たちを吹き飛ばし、国際観光地バリを一瞬にして地獄に変えた。自爆犯3人を含め少なくとも死者22人、負傷者約120人を出した惨劇の中には、様々な人生ドラマがあった。(ベリタ通信=都葉郁夫)
「もう駄目かと思ったわ。何にも見えなかったの」。米国への移住から22年、生まれ故郷インドネシアで念願の帰国旅行を楽しんでいたソフィアナ・スプラトさん(38)は、負傷して運び込まれたサンラ病院のベッドに横たわりながら、AP通信記者の取材にこう切り出した。
スプラトさんは1983年、両親、弟と共に「より良い生活」を求め、カリフォルニア州サンフランシスコに移住した。懸命に働き続け、今ではサンフランシスコの繁華街にある有名な食料品店の店長をまかされるまでになった。
そのスプラトさんが忙しい仕事の合間を縫って、約3年ぶりに1カ月の長期休暇をとった。目的は、ベトナムからのボートピープルだった夫のデューク・リさん(47)、16歳と5歳の息子2人、彼女の父親(70)、そして弟(37)に、彼女の生まれ育ったインドネシアをこころ行くまで楽しんでもらうためだった。
スプラトさん一家は9月にインドネシアに到着、ジャカルタと中部ジャワ・ジョクジャカルタを訪れ、名所観光を楽しむとともに、両市に住む親類たちとも懐かしい再会を果たした。
「それは楽しい時間だったわ。米国と違い、この国では人があくせくせず、ゆっくりと歩き、時間も静かに流れるの。通りで怒鳴り合う声も耳にしません。夕方になると、人々が外に出てきて、おしゃべりを楽しむ。息子たちに私が生まれたインドネシアとその伝統文化に触れてもらいたかった」と振り返るスプラトさん。
その脇でリさんも「(世界遺産の)ボロブドゥール寺院はゴールデン・ゲート・ブリッジ(金門橋)に劣らず美しかった」とうなずいた。
そして、一家が思い出のインドネシア旅行を締めくくる地として選んだのが「バリ島」だった。死者202人を出した3年前のバリ島連続爆弾テロは知っていたが、リさんは「テロが同じ島で2度起こることはない」と信じていた。
バリ島入りした一家が晩餐を楽しもうと足を運んだのが、バリ島の繁華街クタ地区にあるレストランだった。リさんがみんなの好みを聞き、注文しようとした瞬間、閃光と大音響が店内で起きた。「倒れていた下の息子を抱き上げ、急いで店外へ出た」とリさん。「ベトナムから小さなボートで大海へ乗り出した時以上に、今回は恐怖を感じた。爆弾テロは予想もできないからだ」
スプラトさんは爆発直後、一瞬、目が見えなくなった。「ようやく見えるようになったら、父がテーブルの下敷きになって床に倒れているのが見えました。助けに来てくれた夫に、『お父さんを助けて』と叫びました」
一家は全員が、爆弾に詰められていたボールベアリングなどを受け、手足や背中などを負傷したが、幸い、命には別条はなかった。また、一家は今回のテロ事件に巻き込まれた、「唯一の米国人」でもあった。
一家が収容された同病院の211号室には、地元バリ人らから贈られたたくさんの果物や花束が置かれている。3年前のテロ事件で腕を負傷したバリ人女性が病室を訪れ、「みなさん、早くよくなってください」と励ましの声を掛けてくれたともいう。
最後にリさんがしみじみと言った。「楽しい旅行になるはずだった。でも、(負傷したものの)家族全員がこうして一緒にいられるのが、何よりもうれしい。家族を取り戻した気分だ」