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□拷問で両足切断された女性 ついに脱北成功 [朝鮮日報]
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1402692/detail
拷問で両足切断された女性 ついに脱北成功
脱北、逮捕、拷問、両足切断、再脱北…。
脱北した罪で北朝鮮保衛部の拷問を受け、両足を失った女性が最近、長い道程を経てタイに到着し、韓国行きを待っていることが20日、確認された。
この女性は3月、脱北者支援組織の被拉脱北人権連帯に「歩いて行けなければ這ってでも韓国に行って、今日の惨状を告発する!」という内容の手紙を送ったパク某さん(41)だ。
中国、ミャンマー、ラオス、タイ…。 この数千里の道をパクさんは、切断した2本の足にぴったり合わない安物の義足を付けたまま、松葉杖を突き、足をひきずりながら、時には四つんばいになって這った。
同行者は、息子(19)と在日朝鮮人1人を含む脱北女性2人だ。在日朝鮮人の女性は、1970年代に北送船(帰国船)に乗り、北朝鮮に暮らし30数年ぶりに脱北したものと伝えられる。
パクさんが初めて脱北を図ったのは2000年秋だった。咸鏡(ハムギョン)南道の貿易関連事務所で働いていたパクさんは、息子と一緒に中国・吉林省の長春に渡り、生きていくためにどんな仕事でもした。
パクさんは2003年12月、パクさんが働いていた食堂に息子を預け、内モンゴル自治区の満州里に向かった。内モンゴル自治区満州里は、脱北者たちがモンゴル国境を越えるために主に利用するルートの1つだ。
しかし、パクさんは中国公安に捕まり、昨年1月に北朝鮮に連れ戻された。咸鏡北道の保衛部員たちは、凍傷で腫れあがったパクさんの足を錆付いた鉄串で刺し、足かせをはめた状態で、靴で容赦なく踏みつけた。パクさんの足からは、血の膿が流れた。保衛部員たちは「この××も、ふくらはぎまで腐り落ちたら、韓国に行けないだろう」とし、拷問を続けた。
しかし、ひどい拷問もパクさんの脱北の意思を崩すことはできなかった。1か月ぶりに釈放されたパクさんは2004年9月、北朝鮮に残っていた家族が止めるのを振り切って、再び脱北した。
「松葉杖をついて、飢えて倒れ、歩くこともできず、這って中国に来ました。そのとき再会した息子と友達は、私の足をつかんで泣きましたが、私は泣きませんでした。あの地獄から脱出して、大韓民国に行ける道が開かれたのですから…」 夢にまで見た息子さえも、初めはパクさんだと気づかなかったという。拷問により顔がひどく歪んでいたうえ、骨と皮だけになっていたからだ。
今年2月、パクさんは中国で、腐った両足を切断する手術を受けた。パクさん親子は6月、内モンゴル自治区満州里からモンゴル行き汽車に乗るために長春を出発した。
しかし、5月からの取り締まり強化で中国内の脱北支援団体が大量に摘発され、パクさん親子の脱北を支援することになっていた支援団体も中国公安に逮捕されたことで、脱出計画は頓挫した。
8月中旬、パクさん親子は再び北京を出発し、雲南省・昆明に到着、帰国船に乗った在日朝鮮人女性パク某さん、及び別の脱北者女性チャン某さんと合流した。
パクさん一行は6日、密林や山岳地域を通過し、ミャンマー国境まで車両で移動した。しかし、突然の暴雨で道路が流れ出し、国境を越えられずに国境地帯の隠れ家に戻るほかなかった。
パクさんたちは今月8日には、陸路を捨てメコン川支流を舟で渡り、ミャンマーを経てラオスに移動した。ラオスでも舟でメコン川を渡り、翌日9日にタイへの入国に成功した。
パクさん一行は現在、タイ警察に身柄を保護されている。被拉脱北人権連帯ド・ヒユン事務総長は、「パクさん親子はタイ移民局に移送された後、国際連合難民高等弁務官事務所 (UNHCR) の審査を受け、難民と認定されれば望む国に行くことができる」と話した。
ド総長は、「日本政府は、パクさん親子と共に脱北した在日朝鮮人パクさんについて、『必要なすべての措置を取る』という意向を日本の非政府組織(NGO)に伝えてきた」と話した。
パクさんは手紙で、「私が叫んだ悲鳴の声…私のうめき声…しかしこれは私の声ではなく、現在北朝鮮に住む私の両親、兄弟たちの悲鳴の声、うめき声だ」とし、「韓国に行けるように計らってほしい」と書いた。
朝鮮日報