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162 洪門会
投稿者:- 投稿日時 2004/11/6 06:52:59 更新日時 2004/11/6 18:56:18
(前略)
漢民族の明王朝は、「南京」を根拠地に洪武帝が1368年に建国しますが、満州族の清に敗れ、1636年に清王朝が成立し、1644年に首都は北京に遷されます。
ご存知の通り、清王朝は、イギリスをはじめとするヨーロッパ諸国に、残虐な殺戮やアヘン漬けにされたのみならず、何かと因縁をつけられ、アヘン戦争後の南京条約、天津条約などで関税権や裁判権を全て奪われ、文字通りの奴隷国家と呼ぶにふさわしい植民地になってしまいます。
ここで、忘れてならないのは、清に敗れた漢民族である明の残党であります。彼らは『洪門会』といって、この残党に、各地の敗残兵や貧民街の労働者達が集まってできたもので、現在の華僑の中核をなすグループであります。
彼らは、清を倒すためにイギリスと手を組み、アヘンを取り締まりを邪魔し続け、同胞である中国人を虐殺・アヘン漬けにし、麻薬貿易で莫大な資金を手に入れた人達であります。
この資金で、今日の世界中の華僑資本のネットワークがある訳です。
まさか、「生活に追われて外国に行った極貧の中国人がまじめに働いて、莫大な資金を得た」と思っている人はいない事を願います・・・。
清がイギリスやフランスと戦っている最中に、天下太平の内乱が起こりますが、キリスト教を信仰する洪秀全をリーダーとする漢民族が、「南京」に本部を置き「太平天国」という国をつくり、清を困らせます。
バックでは、イギリス及び欧米の悪どい資本家が操作していた事はいうまでもありません。
すなわち、アヘンに苦しんでいた清は、東インド会社(イギリス)のみならず、国内の『洪門会』華僑やマフィア達と戦っており、ヘトヘトになっていた訳であります。
満州進出に関して、一方的に悪くプロパガンダされる日本でありますが、イギリスと『洪門会』たちのやってきた悪さは、その比ではありません。
また、清は日本にすがる思いすらあったのでは、と私個人は思うわけであります。
さて、「南京」という地名がよく出てきますが、そうです『南京大虐殺』の話と無縁ではありません。
「南京」以外にも日本は占領していたわけであり、何故、「南京」ばかりがクローズアップされるのでしょうか?
この、清に特別な恨みを持ち、イギリス及びイギリス資本のメディアと繋がっている『洪門会』、華僑などの漢民族(明の首都は「南京」、「太平天国」の乱の拠点も「南京」)である市民の強い反発が、当時占領日本軍に対してあり、余計に日本軍も残虐の限りを尽くしたのではないかと推測します。
清と満州国は、アヘンを撲滅し、中国をイギリスの手から取り戻すためには、「南京」に拠点を置くこの『洪門会』を叩いておく必要があったことも、我々は頭のスミにおいて置く必要があると思います。
現地で戦争する限り、市民もまき沿えになるのは仕方の無いことで、日本の土地で戦争が起こっていたら同じように大量の市民も被害を受けていたでしょう。
しかしながら、私は何人を殺したのか?というのは、あまり重要ではなく、やはり日本軍が行ってきたであろう醜さは、日本人として反省すべきであるとします。
また、あまりに特別な「南京」という土地を意識したプロパガンダも、上記理由から説明はつきます。
この『洪門会』ですが、今日の香港地下組織である三合会の別称でもあり、他にも匕首会、剣仔会などのマフィアの名前も持っています。
おおよそ、全ての犯罪名を列挙できるような、イギリスがアジアや南アフリカで行ってきた残虐な犯罪の限りですが、彼らは国家ぐるみで、オックスフォード、ケンブリッジ、ロンドン大学などで、こういった事実を全てかき消して行き、日本を悪者に仕立て上げていきます。
まさか、虐殺や略奪で国家財政が潤っていたとは、国内外に言えませんよね。
何故イギリスはメディア操作ができるのか? これについては、別途説明したいと思います。