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(回答先: どの辺が断定的なのでしょう? 投稿者 考察者K 日時 2005 年 7 月 27 日 09:56:37)
「断定的」と言ったのはタイトルの影響もあると思います。普段のあなたの投稿と違う感じ。私としてはあなたの投稿やリポート以外の愚民党さんの随筆的投稿が、この世の深さとか思想の霧の深さを感じさせる投稿なので好みなのです。今回は板が違うからか明らかに違いますよね。
この件については手短に行きます。
あなたは、戦後混乱時の親切な行動(=これ自体は現象として「事実」です)をとらえてその理由を「中国人は親切だ」と設定しています。これはいいでしょう。(もちろん、「人類は本来みな親切だ」、とか「親切なのは満族だけで漢族はそうではない」とか「中国人は本来は政府の命令に面従するのが伝統で、乱の時代だからこそ偶然人間としての心が出た」とか「中国の農村では人の労働力をいつも欲しがっているのが通例だ」果ては「あの子供たちも小銭と交換に買っただけに違いない」とか他にいろいろな理由を持ち出すことも可能でしょうが、この場合は「親切」説は考察の結果なのだから受け入れます)
しかし「人が親切だ」を「国家も親切だから感謝しろ」に結び付けているのはおかしいでしょう。とくに、「中国」という呼称が地理的歴史的科学的というより極めて政治的な言説であることを考えると、不注意な結びつけは違うと思います。それが日本政府の現在の支配的思想でもあり中華政府の対日要求である場合はなおさらあなたの考察としては物足りなく思います。(ここで忘れてならないことは、中華政府の昨今の過剰な対日要求は、アメリカとかの「外圧」には屈してきたという日本の過去の歴史に学んだ結果にすぎず、悪いのは中華政府ではなく日本政府だということですが)
日本の支配的思想では、中華民国政府が自己を「中国」と呼べと主張しても、すまして「台湾」と呼んでいますが、中華人民共和国は言いなりに「中国」と呼んでいますね。これではとても「中国と呼ぶのは相手の心を慮るという伝統の成果だ」と言うこともできないでしょう。(また、少し話は飛びますが、「相手の心を慮る」「相手の立場になる」という日本の心は、他者に対する想像力の欠如で、他者も自分と同様と思い込んで型にはめるという傲慢な姿勢の表明なので、これにも大いなる批判の余地があると思いますが)
とにかく、ふだんの考察の先に論理的でない飛躍があり、それが日本とか中国とかいった国の権力にとって都合の良い説またはステレオタイプに安住している感じが何となく気になったということでご了承ください。