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(回答先: ジャーナリスト吴葆璋氏:朱成虎の発言はクーデターの前兆 [大紀元] 投稿者 ルルルン 日時 2005 年 7 月 25 日 20:28:30)
軍事評論家=佐藤守のブログ日記
2005-07-21
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20050721/1121996719
今朝の産経抄は「中国人民解放軍の朱成虎少将が『米国への核攻撃も辞せず』と欧米記者に発言して、おとがめなし,少将の威嚇発言は狂気のさたではない」と書いた.
私は退官直後に,ソウル,台北,北京を回って,現役や退官軍人達と意見交換したが,短期間であった事から3国の軍人を比較する事が出来て大変有益であった.
当時の韓国では、北朝鮮対処に熱心であったし、台湾は、国民党政権下(李登輝総統)であったから,些か複雑な様相を呈していた.しかし近代軍の要件はしっかり備えていたが,中国は違和感があった.直前になって会議を『呉儀キャン』し,愚にもつかないビデオ鑑賞を強要,昼食会でも日本からのゲストと会話する事よりも,自分の食事に熱心で,まるで八路軍将校?かと思うほどであった。その時以来,私は私個人の「物差し」を用意する事にした.彼ら高級将校たちの人的組成を分析しようと考えたのである.
承知のように中国では「失われた十年」といわれる「文化大革命」時代があった.その後に「天安門広場事件」があったが,現役将校たちは,これらを必ず経験してきているからその影響を考察し様と考えたのである.いわゆる『安保時代』を体験した,昭和14年生まれの私の世代には、加藤紘一氏や,西部邁氏のように色々なトラウマを引きずっている者がいるように,彼らもまた『文化大革命』のトラウマを引きずっているに違いない,と考えたのである.
今回の朱成虎少将の年齢は不詳だが,反日デモが渦巻いた4月中旬に「反日アピール」を発表した,中国空軍の戦略理論家で、訪日経験もある空軍副政治委員の劉亜州中将は52歳だと言うから,朱少将もこの前後であろう.
文化大革命は,1966年5月から,1976年10月まで中国全土に吹き荒れた.天安門広場事件は1989年であったから,この2人の理論家将軍は,14、5歳から24、5歳の,もっとも多感な青春時代の真っ只中に,恐るべき地獄を体験した事になる.まさか『紅衛兵』であったとは思いたくないが…。そして30代半ばの社会的に充実した時代に天安門広場で,軍隊が青年たちを虐殺する事件に遭遇したと言う事になる.
この体験が彼らの生き様にどのような影響を与えているかを分析する事は重要であろう.
私は,北京や上海での会議において,「戦争は政治家の無知と誤判断,それに軍人の思いあがりから生じる』と発言し,「このような率直で侃侃諤諤の口喧嘩こそが双方の理解を促進し,戦争を回避できるのだ.その意味で,貴国の文化大革命を経験した将軍達の誤判断が気になる.江沢民主席に『今なら台湾を1日で征服出来る』などと,威勢の良い発言で主席の歓心を買おうとする将軍の出現を危惧する』といった事がある.勿論文書でも提出した.
その後ある研究員が『将軍,今中国では老将軍達をどんどん若手に入れ替えています』と囁いたことがあったから,彼らも気づいていたのだろう.胡錦涛主席は,このような『心地よい?進言』にどう反応するのだろうか?
6月26日の産経新聞は、中国の江沢民主席が夏級原子力潜水艦を『参観した』とされる写真がインターネット上に投稿され,掲載されている』と写真入で報道した.潜水艦部隊は,我が南西諸島の領海を侵犯して,国際的な問題になったが,その『犯行部隊』を江前主席が『参観し,記念写真に収まった』というのが象徴的であろう.記事には『江前主席に近いとされる空軍幹部等が,対日強硬論を推進するよう求めた直後にもあたっている』とあるが,これが劉中将であるから,一連の動きは意味深長である.
ナチスドイツは,真っ当な軍人を『素人のナチス親衛隊』で監視し,軍事判断をいくつも誤った.
中国でも政治将校や生粋の軍人達と同席したが,政治将校には軍事常識は全く欠落していて『司令部勤務だけで部隊は知りません』といったがそのとうりだと思ったものである.
かってのソ連軍もそうであった.ジュネーブの軍縮委員会で会った,由緒正しき砲兵少将は,温厚で寡黙であったが,常に少将の傍に同席する政治委員は饒舌で,当時の東欧諸国の武官達から『軽蔑』されていた.
中国国内の軍事組織と政治家の間に,何かが起きている.多分権力闘争だと思われるが,高級軍人達の『提灯発言』は,今後とも注目しておく必要があろう.