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(回答先: 朝銀問題のフラッシュ 投稿者 ルルルン 日時 2005 年 7 月 21 日 23:48:04)
http://mytown.asahi.com/kanagawa/news01.asp?kiji=7048
在日韓国・朝鮮人集落 歴史に幕
多摩川河川敷にある在日韓国・朝鮮人らの集落。老朽化が進んでいる=川崎市幸区戸手4丁目で
川崎市幸区の多摩川の河川敷に、戦後60年近く残り続けた在日韓国・朝鮮人たちの集落が近く姿を消す。もとは朝鮮半島から強制連行された人らが戦後住むところに困り、住み着いたとされる。半分ほど公有地のため、市や国が長年立ち退きを求め、ようやく補償交渉が合意に達した。跡地は3棟の高層マンションに生まれ変わる。
(石塚広志)
JR川崎駅から1・5キロほど離れた多摩川の堤防の外側に沿うように集落はある。バラックなどが隣り合わせに並び、高齢者を中心に約130世帯が住む。人数は200人前後とみられるが、住民登録していない人も多く、市も住民自身も正確な数はまったく把握できていない。
補償交渉の中心役となった青森出身の高橋不二男さん(69)が部屋代も払うのが苦しい生活から、妻とともに住み始めたのは59年。当時は十数人が住み、半分は在日韓国・朝鮮人で残りは日本人だったという。
「時期は分からないが、強制連行された朝鮮人を含む2、3人が野原一面だったここに住み出したのが最初と聞いた。ただ、彼らは戦時中の苦労をあまり語りたがらなかったし、こちらも詮索(せんさく)はしなかった。みんないきなり家を建てて住み出し、周りも誰も拒みはしなかった」
灯油のラhttp://mytown.asahi.com/kanagawa/news01.asp?kiji=7048ンプや井戸が頼りの生活だったが、東京オリンピックの64年に電気や水道がひかれ、人数は一気に膨らんだ。教会や焼き肉屋もでき、子どもたちはここから学校に通った。一方で、「増築もできない場所では嫁も迎えられない」と2世、3世たちは次第に堤防の外に出ていった。
強制連行された人は2世も含め集落にもう誰も残っていないと高橋さんは思っていたところ、自分より後に移ってきた88歳の男性から「強制連行で山口県内の炭坑に1年ほど働いたことがある。耐えられずに脱走したんだ」と最近聞いた。男性は高齢のため、入退院を繰り返しているという。
国有地や市有地を「不法占拠」した場所も多く、洪水による危険もあるとして、市や国が約40年間住民に求めてきた立ち退きに、住民側がこの5月に応じることが決まった。
公有地の住民への直接補償ができないことが支障になってきたが、集落内に点在する民有地を公有地と交換後、開発業者に転売することで「補償費」を工面することにした。1世帯当たり平均で2700万円程度の「補償」が見込まれるという。
9月から立ち退きが始まり、住民たちは市内各地の市営住宅などに移り住むという。跡地は06年5月までにかさ上げ整備されたうえで、土地開発業者が20階前後のマンション3棟を建てる計画だ。
「みんな自分の暮らしが大変で、集落の歴史などに関心も少なかった。ただ、在日韓国・朝鮮人や日本人が暮らした町があったという記録だけは残したい」。高橋さんは資料集めを始めている。
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補償額
130×2700万円=35億1000万円!
おまけに「市営住宅」入居って・・・・・。