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(回答先: 扶桑社「新しい歴史教科書」(改訂版)のひどすぎる内容 投稿者 駱駝 日時 2005 年 7 月 15 日 11:22:48)
いち早く内容を紹介していただき有り難うございます。内容を読みましたところ非常に教科書として良いように思います。ただ少し中学校の物としては難しすぎるのではないかという印象を受けました。この新しい教科書は戦後60経った今日書いている物で、当然、昭和の戦後20年代に受けた敗戦国としての事実認識とは違ってくるのは当たり前のことです。戦後反天皇史観、反軍国史観、中国史観、朝鮮史観、米国史観、ソ連史観に偏りすぎた反省から生まれている物です。当然今までの物とは見方が違ってきます。それがどの程度の物かが問われています。
これは教科書の文です。
中国の排日運動
清朝滅亡後の中国では各地に私兵を抱えた軍閥が群雄割拠していた。孫文の後をついだ国民党の蒋介石は、各地の軍閥と戦い国内統一をめざした。1928年、蒋介石は北京を押さえて新政権を樹立した。中国統一の動きは、日本が権益をもつ満州にも到達した。こうした動きに対し、日本は居留民保護を名目に3度にわたり山東地方に出兵した。
中国の国内統一が進行する中で、不平等条約によって中国に権益をもつ外国勢力を排撃する動きが高まった。それは、列強の支配に対する中国人の民族的反発だったが、暴力によって革命を実現したソ連の共産主義思想の影響も受け、過激な性格を帯びるようになった。勢力を拡大している日本に対しても、日本商品をボイコットし、日本人を襲撃する排日運動が活発になった。
協調外交の行きづまり
政党内閣のもとで2期にわたって外務大臣を務めた幣原喜重郎は、米英と強調して条約を守りつつ、中国の関税自主権回復の要求を支持するなど、中国の民族感情に同情をもって対応する協調外交を推進した。
しかし、中国の排日運動はおさまらなかった。日本では軍部を中心に、中国に対する内政不干渉政策で対処するのはむずかしいと考える人もあらわれ、幣原外交を軟弱外交として批判する声が強くなった。
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この部分は、非常に日本側と相手国側が相手の状況に対してどのような反応したかを、短い文章で的確に表しているように思います。たぶんに送ってきた新聞などがどのような内容であったかが勘案できる内容になっています。歴史というのは反省するものではなく、事実がどうでありどのように反応し、結果どうなったかを明らかにする物です。例えば自分の方が悪いと思っていた場合、戦争など起こり得ません。お互いが自分が正しいと信ずるから戦争が起こるのです。この部分は、非常に良く踏み込んだ内容になっており、戦争への経緯が非常に良く書かれていると思います。又日本側のむき出しのエゴを載せることは教科書として恥ではなく、より鮮明に戦争への経緯を説明する上で非常に役立っていると思います。また樋口や杉原の文も教科書の本文にのセル必要を感じません。
徒に小説家のように戦争の残虐さなどを強調するより、このような淡々とした文の方がより戦争の実体がよく浮かび上がり、教科書的になっていると思います。ただ残念なのはこの部分だけですと、米国やロシアの覇権国家の実体に対して書いていないのは少し片手落ちかと思います。大東亜戦争を太平洋戦争と変えさせた、とだけでは、少し米国の覇権主義に対して手ぬるいという印象を受けました。
ここに文章を載せた方は、少し現在の立場に立って、物を見た方がよいと思います。戦朝鮮戦争に中国も参加し第二次朝鮮戦争が起こりました。第二次というのは日清戦争を第一としてです。その後ベトナム戦争やイラク戦争が起こっています。当時見えなかったことが見えてきています。新しい考え方が生ずるのは致し方のないことです。
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