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(回答先: 日本人は仏教徒なのになぜ先祖を拝むのか? 日本人が信じている宗教は原初的祖霊信仰の「神道」なのである 投稿者 TORA 日時 2005 年 7 月 04 日 16:45:36)
仏教徒であるか?
と訊かれて、
そうだ。
という人間に、
イコール世俗を捨てた人間か?
と訊く。
違う
と答えたものに対しては、
じゃ、あなたははたして仏教徒ではないのか?
と問い返せばまた、
違う
という。
仏教とは何か
確かに釈迦の勤めた小乗仏教であればそうした認識もとれる。
殆どの宗派では釈迦を宗祖として置く。
が、
空海の持ち運んだ不空伝来の密教以降、日本に置ける仏教の性質を大きく変えている。
空海はそれまでの仏教を悉く否定している。
神道は儒教が元になった、と何食わぬ顔で放言している者が数多いるが、その儒教すらも空海は否定している。完全なる現世肯定。それが空海の教えである。その空海は神道と密教は深く結びつくものとみなしている。密教は完全に他の現世否定仏教を否定する。それは神道が儒教から発展したものなどではありえない事をも意味している。
空海の持ち帰った現世肯定仏教の観点では、あの世もこの世もひとつの世界であるとする。密教は全肯定。現世に於いても不可思議な事は存在するのであり、人の法性(仏性)のままに精進(かんながらのみち)し、一切の欲なく邪念なき想念を無限に解放すればこそ大欲は叶う、そうした面において欲も肯定される。この世において自在に極楽をもたらす。すべては世の人の想念によるもの。
十住心論の段階に於いてみればすなわち華厳や台蜜などの仏教も密教の下のランクにちゃんと位置してある。仏教徒として日々正しく心体を動かし精進すれば、必ずや密教の精神にたどりつくものであるとしている。
神道と密教はほぼ同質のものと見ていい。また言い及べば密教は神道の一である。不空と空海の関係性を紐解けばそれは自ずとわかるのである。
故に純粋に仏教徒が先祖崇拝するのは間違いでもなんでもない。が、しかし小さい考え方に固執し、頑にそこで立ち止まるものにはその道は開かれない。つまり仏教徒が何故先祖を拝むのか、という質問に対してうやむやにしか答えられない。日本人をそうしてしまったのも当時の支配体制が日本に持ち運んだ仏教の所為であったと考える。
ただ純心に学べばそれでいい。とらわれるな。こだわるな。本心がそうしたいからそうする。それもものの考え方の本質である。
心即理、熊沢蕃山に学ぶところの純真なエネルギー。そうした心が真の人の世を生み出していけるのだ
「憂きことの なおこの上に つもれかし 限りある身の ちからためさん」
憂きことよ なおもこの身に ふりつもれ ワシはけっして それに負けない)
熊沢蕃山