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「われわれは一つだった」 生き残った兵士らが語る部隊生活
「われわれは警戒所勤務が終われば…ある言葉を叫びます…『われわれは一つだ!』です(涙)…。言葉通りわれわれは全く一つでした。先にあの世に行っている先任兵士は、悪口一つ言わない善良な人たちで…。」(チョン・ウォンボム一兵)
「GP(最前方の警戒所)は自分で志願して来る場所です。自分ができないと言えば、措置を講じてくれます。僕も軍生活で大変なことが多かったけど…我慢して…僕らの小隊が好きで…耐え抜いてここまできました。しかし、なぜ…(キム)ドンミンはそういう選択ができずに、僕らを殺そうとしたのか分かりません」(キム・ヨンジン上兵)
23日、京畿(キョンギ)道・盆唐(プンダン)にある国軍首都病院。京畿道・漣川(ヨンチョン)の非武装地帯のGPで発生した銃乱射事件についての軍の最終発表が行われた4階の大講堂では、事件現場で生き残った兵士らの生々しい証言が相次いだ。
兵士たちは、530GPが先任兵と後任兵が互いに信頼し合う和気靄靄とした部隊だったと一様に口をそろえた。
「本当に自負しているが、僕らの小隊の雰囲気は良く…古参兵や同期すべてが、ほかの部隊で生活したいと思ったことがないほどです。入隊前に想像していた暗うつでくすんだ雰囲気はありませんでした」(チ・サンノク一兵)
部隊の軍宗将校は、「そのGPでは、先任兵が食べ物を受け取っても自分で食べずに、後任兵に分け与えていた姿を何度か見た」と話した。
小隊員らは、キム一兵が生死をともにする戦友に銃口を向けたという事実が、いまだに信じられない様子だった。
チ・サンノク一兵は、「どうして、寝食をともにする小隊員にそんなことをしたのか、本当にに理解できない」と言葉を詰まらせた。
一部の兵士は、仲間が心の内を語り始めると、涙をこらえきれずにむせび泣いたり、首をがっくり垂らして涙を見せまいとしたりした。
生存者らは、キム一兵が転入当初から部隊生活にしっかり適応できず、先任兵や同期ともうまく溶け合えないほどに内気だったと話した。
チ・サンノク一兵は、「ドンミンは内気な性格で、自分が古参兵に近づくよりも、向こうが近づいてくることを望んだ。彼は二等兵の時から小隊に適応しようという様子はなく、僕らみんなが自分に適応することを望んでいた」と述べた。
チョン・ウォンボム一兵も「ドンミンは先任兵たちに逆らうことが多かった」とし「叱られるときも、先任兵の目の前で悪態をつくなど、反抗的な態度を取ることも多かった」と話した。
しかし、部隊員たちはキム一兵を部隊に適応させようと努力を続けていたことがわかった。
イ・カンチャン上兵は「ドンミンはもの静かで、内気でした。他の小隊員たちもそうだったが、私も一緒に勤務した時、「何か話すことはないか。悩んでないか」と聞いました。そんな時、必ず「ありません」「いいえ」と言うだけでした」と話した。
キム一兵は最近になって、部隊の生活に相当適応してきた様子だったという。
チ・サンルク一兵は「ドンミンが一兵になってから、以前よりずっと積極的になり、がんばろうとする姿勢を示し、安心していた」と話した。
キム一兵が何度か「みんな殺してやる」と話していたのに、なぜ幹部や部隊長に報告しなかったのかという質問も出た。
チョン一兵は「ドンミンは何度かそういう話をしはしたが、笑いながら冗談めかして言った。ドンミンは一兵になってからは二兵だった時よりも笑顔が増え、より適応する様子を見せていた。事故の前日も元気だった。そんな冗談を部隊長や幹部に話すことはできなかった」と話した。
朝鮮日報
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/06/24/20050624000001.html