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2005年 06月 21日 火曜日 13:40 JST
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[マニラ 21日 ロイター] フィリピンのカトリック教会関係者によると、フィリピンの大衆蜂起(ピープル・パワー)などに尽力した同国カトリック界の最大実力者、ハイメ・シン枢機卿(76、前マニラ大司教)が21日、マニラ近郊の病院で死去した。枢機卿は、腎臓障害で闘病生活を送っていた。
枢機卿担当の報道官は記者団に、「シン枢機卿は、きょう早朝に死去した」と語った。
カトリック系ラジオは、この日、追悼の聖歌を放映し、マニラの大聖堂で通夜が行われる、と伝えた。
ある敬けんな女性信者は、「悲しいが、(枢機卿が)いま主とともにおられると確信している」と語った。
枢機卿は「神の司令官」の異名をもち、大司教時代の1986年と2001年に2回のピープル・パワーを指揮し、マルコス政権とエストラダ政権の打倒に大きな役割を果たした。2003年にマニラ大司教を退任。
© ロイター 2005 All Rights Reserved
http://www.reuters.co.jp/newsArticle.jhtml?type=worldNews&storyID=8845547
フィリピンのシン枢機卿が死去
【マニラ=共同】フィリピンで1986年にマルコス独裁政権を打倒、民主化を実現させた「ピープルパワー」の大きな推進力となったカトリック教会のハイメ・シン枢機卿が21日、マニラ首都圏の病院で死去した。76歳だった。カトリック教会当局者が明らかにした。死因は敗血症に伴う多臓器不全とされる。
74年にマニラ大司教に就任。76年に枢機卿に任命され、2003年11月、マニラ大司教を引退した。86年の大衆蜂起では、ラジオで反独裁の抗議行動参加を国民に呼び掛け、幹線道路を埋め尽くした100万人近い国民が、軍マルコス派の戦車進軍を阻止した。
01年に違法賭博業者からの収賄疑惑でエストラダ大統領が退陣に追い込まれた際も、辞任を迫る大衆の街頭抗議行動を組織しカトリック教徒が国民の84%を占めるフィリピンで「宗教界の最高指揮官」と呼ばれた。
86年にマニラ近郊で起きた三井物産の故若王子信行支店長誘拐事件では犯人側と接触して救出に尽力。88年に広島、長崎などを訪れた。
http://www.nikkei.co.jp/news/okuyami/20050621SSXKC012521062005.html
フィリピン民主化に貢献 シン枢機卿が死去
2005年06月21日12時14分
03年1月、フィリピンのアロヨ大統領(左)と談笑するシン枢機卿=AP
フィリピンのシン枢機卿が21日午前6時15分、敗血症にともなう多臓器不全などのため、マニラ首都圏サンフアン町の病院で死去した。76歳だった。カトリック教徒が国民の8割以上を占める同国で約30年にわたりマニラ大司教を務めた。マルコス独裁政権を倒した民衆蜂起「ピープルパワー」(86年)や汚職・腐敗の追及でエストラダ政権を崩壊させた政変「ピープルパワー2」(01年)で大きな役割を果たし、同国の民主化に貢献した。
シン枢機卿は長年、腎臓病を患い、透析を続けていた。4月に行われたローマ法王ヨハネ・パウロ2世の葬儀には参加できなかった。
アロヨ大統領は同日、「フィリピン民衆の解放者が亡くなった日を、歴史は悲しみの日とするだろう。彼の知恵と貧しい人々、虐げられた人々への深い愛に何度となく私は導かれた」などとする声明を発表した。
中部パナイ島生まれ。54年に司祭、74年からフィリピン最大のマニラ大司教。76年、枢機卿に任命された。03年11月、マニラ大司教を引退した。
86年のピープルパワーでは、マルコス政権側から民衆側についた兵士や警官を守るようカトリック教徒に呼びかけた。01年のピープルパワー2でも、汚職などで腐敗したエストラダ政権に対し、抗議するよう市民に呼びかけた。ピープルパワー2によるエストラダ前大統領の失脚を受けて誕生したアロヨ政権の後見人的な存在だった。
86年、当時の三井物産マニラ支店長、若王子信行さん誘拐事件で解放に尽力。カトリックの教義については比較的保守的で、人工中絶に強く反対したことで知られる。
http://www.asahi.com/international/update/0621/003.html
訃報:
ハイメ・シン枢機卿76歳=元マニラ大司教
ハイメ・シン枢機卿=AP
【マニラ大澤文護】フィリピンのカトリック教会指導者で、86年のマルコス政権退陣に大きな役割を果たし、フィリピン民主化に貢献したハイメ・シン枢機卿が21日、多臓器不全のため、マニラ首都圏サンファンの病院で死去した。76歳だった。
シン枢機卿は86年の大統領選で、野党候補の一本化を主張すると同時に、マルコス政権の不正選挙を強く非難し、政権退陣とアキノ政権誕生に大きな役割を果たした。86年の大統領選直後に社会が混乱した際、ラジオ放送を通じてキリスト教の聖職者や市民に街頭に出てマルコス政権支持勢力を包囲するよう呼びかけ、内乱状態に陥るのを防いだことで知られる。さらに01年のエストラダ政権崩壊に際しても、政権の不道徳性を非難して政権打倒の動きに影響を与えた。国民の84%をカトリック教徒が占めるフィリピンでは、その後もシン枢機卿の発言は社会的影響力を保ち、アロヨ現政権も支持を受けてきた。
シン枢機卿は28年8月フィリピン中部のパナイ島生まれ。54年司祭、74年マニラ大司教を経て、76年5月枢機卿に任命された。03年11月にマニラ大司教を引退した後は、糖尿病や腎臓病などで入退院を繰り返していた。
アロヨ大統領は21日、声明を発表し「フィリピン国民の偉大な解放者、神の闘士が死去したことで、今日は悲しみの日として歴史にしるされるであろう」と述べ、シン枢機卿の功績をたたえ、死去を悲しんだ。
毎日新聞 2005年6月21日 9時47分
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/photojournal/news/20050621k0000e060017000c.html
シン枢機卿が死去、フィリピン民主化に貢献
2005.06.21
Web posted at: 11:19 JST
- CNN/AP
マニラ――フィリピンの民主化に多大な貢献をしたハイメ・シン枢機卿(76)が21日午前6時半(日本時間同日午前7時半)ごろ、マニラの病院で死去した。76歳だった。カトリック教会マニラ大司教区が発表した。枢機卿は、マルコス政権を倒した86年の「ピープルパワー革命」と、エストラダ政権が崩壊した01年の「ピープルパワー2」の立役者の一人だった。
シン枢機卿は74年から03年まで、マニラ大司教を務めた。枢機卿への叙階は76年。昨年から体調を崩し、今年4月にバチカンで新法王を決めた法王選出会議(コンクラーベ)にも出席できなかった。
枢機卿は糖尿病と肝臓病を患っていた。フィリピンの地元ラジオによると、直接の死因は多臓器不全という。
国民の信頼厚いシン枢機卿の後ろ盾を得ていたアロヨ大統領は「フィリピン国民を解放した神の使者が逝去したこの悲しみの日を歴史は留めるだろう」とコメントを発表。「枢機卿の深い見識や、貧しく抑圧された人への大いなる愛」に何度も導かれたと大統領は追悼している
http://www.cnn.co.jp/world/CNN200506210003.html
5月10日フィリピン大統領選挙戦と
中華系財閥
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◆フレッド吉野 (国際アナリスト/フィリピン・ラサール大学経済大学院教授)
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【抜粋】
フィリピンでは人口の80%以上をカトリック教徒が占めるが、その頂点に立っていたのが華人系のシン枢機卿である(高齢のため最近、後進に道を譲ったが)。政治権力を裏から支配する人物のことを英語でパワーブローカーと称するが、シン枢機卿はまさにこれに当てはまる。独裁者マルコス大統領に対する抵抗運動を鼓舞したのはシン枢機卿率いるカトリック教会であったし、腐敗に満ち堕落したエストラダ大統領を失脚に追い込んだ反対勢力を結集したのもそうであった。反マルコス派の重鎮を教会内にかくまったり、反政府運動の先頭に立つて世論を導くなど、シン枢機卿は何度となく生臭い政治の表舞台に登場してきた。多くの民衆は集会の壇上に立つシン枢機卿の姿に畏敬し、厳かな彼の呼びかけに応じてデモの波に加わったのであった。旗色を鮮明にし、自らの推す候補者を赤裸々に応援する一方で、反対する勢力を邪悪なものと排除する姿勢はあまりに政治にのめりこみ過ぎているといえよう。カトリックの本山、バチカンはこのようなシン枢機卿の政治への介入に一時は眉を顰め、注意を喚起したほど宗教家としての役割を逸脱していた。しかし、キングメーカーとしての枢機卿の隠然とした力は決して侮れない。人口の殆どがカトリックということからして、シン枢機卿の墨付きがなければ政権の維持は困難となるからだ。数年前、前エストラダ大統領の退陣を要求する大集会に荘厳な僧服を纏って現われたシン枢機卿は身長わずか140cm足らずのアロヨ副大統領(現大統領)の脇に威風堂々と陣取った。周囲を睥睨するその様子は、まさにフィリピン共和国の「影の支配者」としての威厳をまざまざと国民に見せつけたのである。
【以下全文】
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■低迷続くフィリピンの経済事情
「アジアの病人」と揶揄され経済の停滞が続くフィリピン。一人当たりのGDPは約900ドル、7000を越す島から成り8300万の人口を抱える。1950年代は日本に次ぐアジア第二位の経済発展を誇ったこの国はマルコス政権などを経て下位へと凋落、現在は深刻な財政赤字、通貨ペソの失墜、高い失業率など問題が山積している。中国や他のアジアの中進国と異なり刹那的な国民性からか貯蓄率がきわめて低く、そのため投資が伸びず雇用創造につながらない。OFWとよばれる海外出稼ぎ労働者の数は700万と全人口の8%を占める。労働人口比では30%を超えるのではないだろうか?国内に十分な就職口を提供できず、労働者が最大の「輸出品目」となっているが、現状を打開するのは容易ではない。頼みは外資であるが、直接、間接投資ともさほど振るわないのはインフラなどの投資環境が整備されていないことにある。マニラ首都圏の交通はいつも渋滞しその点で悪名高いバンコクを凌ぐとも言われるが、高速道路網の建設は遅れ輸送面でのマイナスは計り知れない。
港湾、空港も同様で一時代の前の設備でやりくりしている。南部の地方、ミンダナオからマニラへまで海上貨物を送ると米国からよりコストがかかるともいわれている。電気料金も日本に次いでアジアでは二番目に高い。数年後には厳しい電力供給不足が予想されるが政府の対策は遅々として進んでいないのが現状だ。こんな有様では、アキノ政権の末期のように1日あたり6−7時間の停電という慢性的な事態もありえよう。さらに水不足の懸念が加わる。フィリピン第二の都市、セブでは外資企業の進出による急増する水への需要に供給が追いつかない。肝心の労賃もタイの地方都市より割高という調査報告もあるが、その上に労働争議などの頻発が進出企業の頭痛の種となっている。また、政治的には、ミンダナオ地域を中心としたイスラム派の分離独立の運動とそれに呼応したテロや破壊活動、再び牙をむき出してきたNPA(共産党組織、新人民軍)の暗躍の他、下級将校らに率いられた軍の不満分子によるクーデーターなど、不安定材料は枚挙にいとまがない。
■大統領選の立候補者の顔ぶれ
このような経済的、政治的な難問をいくつも抱えたフィリピンで今、6年に一度の大統領選のキャンペーンが過熱している。投票日は5月10日。出馬している候補者は現職のアロヨ大統領、人気映画俳優のポー、ロコ前教育長官、ラクソン上院議員、宗教指導者ビリヌエバ、自称実業家のヒルの6人。ただ、実際には経済界や中上層の推すアロヨ大統領と7割を占める貧困層に人気を誇る映画王ポーの一騎打ちの様相となっている。
ヒルの場合、億万長者とのふれこみだが、最近、巨額にわたる借金の踏み倒しが発覚、疑義のある泡沫候補として選管が候補者資格を剥奪する動きが出てきた。
一方、ビリエヌエバはキリスト教の流れを汲む新興宗教の指導者でテレビ伝道や集会を主宰、かなりの信者を集めてはいるが、全国的な浸透度はきわめて薄く、当選の可能性まずゼロに近い。しかも彼が政権の座につけば、中世のような「神権政治」に逆戻りするようなものだと、多くの選挙民は一笑に付す。従って、今回の立候補は信者獲得のための宣伝キャンペーンだと一般には受け取られている。
次に、温顔で知的なロコ前教育相はマニラ首都圏を中心として知識層や若者に人気があるが、そのイメージとは裏腹に妻を殴ったりする家庭内暴力が暴露されたり、教育相当時の教科書汚職などダーティーな側面が指摘され、思ったほど支持率が伸びず、アロヨ大統領側からは与党の票が分散するので立候補を取りやめるよう強い圧力がかかっている。
他方、警察や軍の士官学校出身者に根強い基盤を持つラクソン上院議員は、警察長官当時、犯罪撲滅のため豪腕を振るった恐持ての候補者であるが、彼が大統領になればファシスト的統治を敷く独裁者になるのではと、懸念の声が上がっている。反対者をへリコプターから突き落としたとか、有名なギャング団を皆殺しにしたなどと、冷血、非情な彼の性格に恐怖の念を抱くものは少なくない。ただ、几帳面で治安の回復に厳しく臨むラクソン候補には実業界の一部から熱烈な支援もある。しかし、今回の選挙で主役を演じるのはおぼつかないだろう。同じ野党のポー候補を降ろして自分の副大統領候補へ回るよう働きかけているが、一方のポー候補もラクソン候補こそ副大統領選へ鞍替えしろと双方譲らず調整は頓挫している状態だ。
そこで、やはり戦いの焦点はポー候補とアロヨ大統領の二人に絞られてこよう。アロヨ陣営は、高校中退で政治に全く経験のない一俳優のポー候補に国の運営など任せられないとこき下ろし、それはまるで満席のジェット旅客機を無知な素人に操縦させるようなものだとバッサリ切り捨てる。さらに政策もはっきりせず取り巻きやアドバイザーなどの言いなりなって利用されるだけだと烙印を押す。これに対しポーの支持者は、「今、一番求められているのはフィリピン人大衆の心情を汲み取れるポーのような人物」であり、「11歳の時に父が亡くなったため、一家を支えるため高校を中退し働きに出たポーを誰が責められるのか?苦労して人気俳優から映画王とよばれるまでになり、映画制作の会社を成功させて経営手腕がある」と切り返す。
ポーとアロヨ大統領はまさに水と油のように対照的で何から何まで違う。女性と男性、与党と野党、名門フィリピン国立大学の経済博士号を持つアロヨ大統領と高卒中退のポー、父のマカパバガル大統領の薫陶を受け政治の空気をずっと吸ってきたエリートの代表―アロヨ大統領と、苦難の道を歩んできた庶民の英雄―ポー、といった具合に。
さらに、大きな対立の構図としては、1986年のマルコス打倒につながったアキノ政変(エドサ革命)で生まれた「エドサ勢力対反エドサ勢力」という支配層の権力闘争を背景にしている。前回の選挙では反エドサ勢力を受け継ぐエストラダが地すべり的勝利を収めたが、その後、第二のエドサ革命でエストラダが政権の座から追い落とされアロヨが副大統領から大統領に就任した。この裏には、フィリピン航空やタバコ業界を牛耳るルシオ・タンなど中華系実業家と結託したエストラダ政権に危機感を募らせたマカティービジネスクラブなど旧スペイン系財閥企業などの後押しがあったと伝えられている。
要するに、アロヨ大統領はアキノ―ラモス政権と続いてきた流れを受け継ぎ、ポーは前大統領ら旧マルコス勢力に支えられ、真っ二つに分断されたフィリピン社会をそれぞれ代表する形となっている。
アロヨ大統領は「個人の人気や資質に過度に依存した政治システムから脱却し政策と政党中心のシステムへの移行」への重要性を強調すると共に、現職の強みと組織力を駆使して再選を目指し、一時はポーの人気に煽られて水をあけられたが、最近ではじりじりと失地を挽回、支持率が僅からながらも逆転した(30.9%対31.7%、パルスアジアの調査)。その要因としては、地方の組織がようやく機能し始めてきたことに加え、公開討論への出席を拒み続けるポー候補への危惧の高まりがある。
ただ、やっと先頭に立ったアロヨ大統領にもアキレス腱が目立ち、最終的な結末は予断を許さない。夫の夥しい汚職、政府資金の選挙運動への流用疑惑、なりふりかまわぬ無原則な野党議員との妥協など大統領に対する批判はおさまるどころか、むしろ広まりつつある。さらに、前政権より失業や窮貧層(国民の4割に上る)が増大し、垂れ流しによって財政赤字がGDPの80%にも達するなど政権運営の成功を喧伝するどころか、失政を糊塗するのに汲々と言った状態だ。通貨ペソも史上最安値を更新し、株価も下降、頼みの工業製品の輸出にも活気が感じられない。不利な状況になれば、政権の座を悪用し、票の不正操作などで強引に当選を確保するのではないかという声も聞かれる。因みにフィリピンの大統領の給与は月たったの5万ペソ、日本円にして10万円に過ぎない。ところが選挙運動には最低も10億ペソはかかるというから20億円を超える勘定だ。一期6年大統領職にあっても収入の総額は360万ペソ、720万円にしかならない。それでも大統領になりたいと多くの有力者が野望いだくのはなぜか? 確かに、名誉を求めるという理由も否定できないが、それ以上に「膨大な資金」が懐に転がり込むからに他ならない。MR.10%とよばれたマルコス大統領のみならず、殆どの歴代フィリピン大統領は職権を利用して私服を肥やしてきた経緯がある。取り巻きが蟻のように群がり政商が暗躍するのもまさにそこに利権が存在するからだ。一方、当選した大統領は、10億ペソを越す選挙資金を支援してくれた財閥らに還元しなくてはならず、癒着、汚職の構造はいっこうに改まらない。
■選挙戦の争点
争点としてはまず失業問題の克服が挙げられよう。12.6%の失業率に20.7%の半失業(例えば一週間に1時間仕事をしたら半失業となる)を加え、それに仕事を探すのをあきらめてしまったものを足すと、実質的に仕事のない人の割合は40%程度に上るのではなかろうか。要するに労働人口の10人に4人はぶらぶらしている計算になる。マニラの貧民街に足を踏み入れるとあちこちに上半身裸で昼間から休んでいる男の姿を多数見かける。女性は売春など性風俗産業に従事しているものが多く、こういった地下経済がフィリピンのGDPの1割を超えるという調査報告もある。このような状態では700万人が海外に出稼ぎに出ざるをえない。マニラ首都圏の最低賃金は1日280ペソ(約560円)、これでは一家6人が辛うじて暮らしていける560ペソの稼ぎに程遠い。貧困層(1日一人当たり1ドル以下)は全人口の40%近くに達し、三食ありつけない層は数百万に及ぶ。財政赤字は昨年9月時点でGDPの9割に達する5.39兆ペソとなり、国家予算の約半分が借金の支払いに消えてしまう。これでは必要なインフラ整備や社会福祉、教育などに回す金が殆ど出てこない。例えば小学生の大半は教室が足らないので午前、午後の2部授業だし、教科書も数人で1冊(社会科などはなんと17人で1冊)を分け合う状況だ。教員の給料が著しく低く、教師のレベルも高いとはいえない。医療設備も遅れていて平均寿命は男女とも60歳台、日本のように年金問題が深刻化しないだけましかもしれないが? 歳入は常に不足でまともに正しく税金を払っている納税者は企業を含め2割にも満たない。また関税長官を一期務めれば豪邸が建つというくらい、関税局は汚職の温床ともいわれる。資源が豊富なのにフィリピンは米を自給できずタイやベトナムからの輸入に頼っている状態である。また、電気、水道や電話などの通信網も未整備だ。さらに深刻なのは人口の爆発で公式の年間人口増加率は2.3%。しかし、カトリックが80%を占めるこの国では産児制限はほとんど実施されておらず、貧困層ほど子沢山であることが、通り相場になっている。たいていの夫婦が7〜8人の子供を抱えている現状では貧困から脱することは至難の業だ。現在は8300万人の人口を抱えるが、2034年までには日本を凌ぐ1億7千万人を超えると試算されている。このうちの4割が最貧困層だとすると6800万人がその日の生活にも窮する状況がうまれよう。
この人口爆発は単に貧困問題だけでなく、食糧、衣料、環境、住宅、エネルギーなどさまざまな分野に負担を強いる側面をもっている。非効率な農業分野(人口の約4割)を抱える一方で、製造業の発展がタイやマレーシアなどより遅れているフィリピンでは、輸出主導の経済成長を遂げられないでいる。外資は不透明、不公正な法の執行(マニラ国際空港第3ターミナル建設をめぐってなど)に嫌気を指しているばかりでなく、治安の問題、インフラ未整備、労働の質や賃金上昇、争議への懸念などで腰が引けている。直接投資の額ではベトナムにも劣っているのが現状だ。雇用創造、貧困の解消、輸出への貢献、技術移転の機会といったプラスを多く提供できる海外からの投資に対し、フィリピンはまだ保護主義的な政策をとり続けている。例えば外国人の土地所有は認められていないし、小売業などの分野へ外資が参入することも不可能だ。一般には外資の出資比率は40%以下に限定されているので経営の主導権が握れない。いったん、労働争議が起これば政府は組合の肩を持ち、外資の困惑はますばかりだ。AFTAなどの関税が撤廃、大幅引き下げが実施されると競争力のないフィリピンの産業の多くは壊滅しかねない。たしかに英語とコンピューターを手繰る人材が豊富であり、コールセンターなどITサービスを海外から受託して経済を活性化する手はあるが、それだけでは膨大な人口をまかないきれないだろう。各候補者はこれらの問題に対してそれぞれ耳障りのよい政策を掲げてはいるが、いざ実行の段階になると腰砕けにならないという保障はない。
例えば、歳入欠陥を補うために政府はタバコ、酒類販売への課税を目論んだが、膨大な資金力で政界を牛耳る中華勢力(タバコ、酒はすべて中華系財閥が製造販売している)に後押しされた議員らの反対で法案はつぶされてしまった。今回の選挙にしても表面上はエリート層を代表するアロヨ大統領と人口の70%を占める大衆の人気を背景にした俳優のポーとの対立が焦点となっているが、実質的に大半の選挙資金を提供しているのは中華勢力であり、彼らが、パワーブローカーとして政治を背後で支配しているといっても過言ではあるまい。特に、ポーが当選すれば、エストラダ前大統領のように華人系財閥のいいなりになってしまうのではとの懸念が高まっている。
■中華系財閥の影響力
では、影の主役、中華系財閥の隠然たる力を分析してみよう。フィリピンにおける華僑系は人口比率においてはたったの1.4%に過ぎないが、経済的には全体の約半分を占めているといわれている。ただ、メソティーソといわれるスペイン人との混血や、土着のフィリピン人との融合もあって明確な数字は把握しがたい。経済界においてはスペイン系の退潮、中華系の隆盛が近年顕著な傾向となっている。最大の銀行はメトロバンクで中華系、第二位がスペインの血を引くフィリピン随一のエリート財閥のアヤラが経営するBPI,デパートを含む小売業の王者は最近、タイム誌の表紙を飾った勢力中華財閥ヘンリー・シーのSM,ファーストフードではマクドナルドを蹴散らしてトップを独走するのがジョリビーだが、これも中華系。アジアの大富豪として知られるルシオ・タンはフィリピン航空とタバコ業界などを席巻、高収益を上げてアジア各地に拡大しているサンミゲル・ビールは同じく中華財閥のコハンコ、その他、中小に至るまで製造、流通の大半は華僑系が支配しているといって過言ではない。このような中華財閥が莫大な資金力を梃子に政治を背後からコントロールし、自分たちに有利なような立法や行政へと導いているのが現状だ。
マニラ首都圏のマカティー市は近代的な高層ビルが林立するビジネスの中心地として経済発展の旗振り役を努めているが、元々はスペイン系最大財閥のアヤラが開拓したもので、アロヨ政権を支持する財界マカティー・ビジネス・クラブの牙城でもある。一方、それに近接、対抗しているのがオルティガスで、ここにはむしろ華人系のオフィスや商業施設が集中し覇を競うかの様相を呈している。証券取引所もマカティーとオルティガスの両方にあり、主導権をめぐる綱の引き合いは激烈だ。スペイン系財閥としては、かつてアヤラ(金融、不動産、通信が主体)のほか、サンミゲル・ビールを経営していたソリアノ財閥(今、サンミゲルは中華系のコハンコの支配下にある)や砂糖・鉱山業などで巨万の富を築いたエリザルデ財閥などが、栄華を誇ったが、孤塁を守るアヤラを除いては押並べて没落、斜陽の憂き目にあわされ中華系の興隆の前に切歯扼腕するのみと成り果てた。
スペインの植民地時代にはマニラの一角、ビノンドの狭いチャイナタウンに押し込められていた中華系は近年、フィリピン経済を実質上支配、君臨する盟主としてての地位を確立している。しかも、彼らの影響力は今や経済にとどまらず、フィリピン社会のさまざまな領域で着実に増大しつつある。例えば、エストラダ前大統領政権は実質上は華人支配だったいう説が有力だ。それに怨嗟したマカティー・ビジネス・クラブなどスペイン系財閥を中心とする勢力がエドサ革命(市民による無血の政権打倒運動)によってエラップ(元映画俳優であるエストラダ大統領の愛称)を引き摺り下ろし、その後釜に座ったのが現アロヨ大統領である。
当時の新聞を見ると「建国以来、これほどまでに華人勢力に取り込まれたフィリピンの大統領はかつていない」とエストラダと華人の密着振りが批判されている。もし、あのままエストラダが失脚せずに大統領を続けていたら(その可能性は大いにある。なぜならばエラップの人気は絶大で、選挙での政権奪取は至難の業であったから、腐敗のスキャンダルを引き金にデモや反対運動で追い落とすしか手がなかったもいえる。実際には軍の首脳らがアロヨ側についたためエストラダはやむなく退陣を余儀なくされたのであった。しかし、このような政権後退劇に対しては法律的な正当性がないと指摘する向きも少なくない。要するに現アロヨ大統領は選挙での信任を受けておらず、憲法上からも疑問があるということだ。)、国全体がチノイ(中国系フィリピン人の呼称)に乗っ取られていたかもしれない。これに正面から猛反発したのが、アヤラを中心としたスペイン系財閥や民族資本で、エドサ革命の背景には両陣営の熾烈な利権争いがあったのである。確かに、エストラダ大統領は華人実業家による不正な株価操縦で巨額の利益を得たり、ルシオ・タンの1000億ペソ(約2000億円)にも上る脱税を見逃したりとあまりにも中華系と癒着しすぎ自ら墓穴を掘ったともいえよう。
■一枚岩でない中華系
ただ、ここで注目すべきは中華系が必ずしも一枚岩ではないということである。同じ中華系でもカトリックのシン枢機卿らはアロヨ側に立ち、エストラダ追放の急先鋒として市民の蜂起を促しているからだ。しかし、華人の実業はおおむねエストラダ派で、フィリピンで最も由緒あるマニラホテルを所有しているエミリオ・ヤップは有力紙、マニラブレティンの社主でもあるが、ルシオ・タンらと当時のエストラダ政権の「影の内閣」を形成していたといわれている。ルシオ・タンはエストラダ大統領の訪中にも同行し、フィリピンの対中政策にも嘴を挟んだともっぱらの噂である。エストラダの夜会には常に華人の取り巻きの多くが顔を見せ、その場で利権の話が交わされたとも聞く。その中には、後には米国へ逃亡したダンテ・タンのようにビンゴゲームの利権を独占した者までいた。さらにエストラダはマカオの賭博王スタンレー・ホーの資金洗浄にも手を貸そうとした疑いがある。ホーがマニラ港にカジノ船を浮かべて国内外からギャンプラーを呼び込もうとした計画にもエストラダが絡んでいるが、これは実現せず、今では幽霊船のような姿で海上を漂っている。
フィリピンでは人口の80%以上をカトリック教徒が占めるが、その頂点に立っていたのが華人系のシン枢機卿である(高齢のため最近、後進に道を譲ったが)。政治権力を裏から支配する人物のことを英語でパワーブローカーと称するが、シン枢機卿はまさにこれに当てはまる。独裁者マルコス大統領に対する抵抗運動を鼓舞したのはシン枢機卿率いるカトリック教会であったし、腐敗に満ち堕落したエストラダ大統領を失脚に追い込んだ反対勢力を結集したのもそうであった。反マルコス派の重鎮を教会内にかくまったり、反政府運動の先頭に立つて世論を導くなど、シン枢機卿は何度となく生臭い政治の表舞台に登場してきた。多くの民衆は集会の壇上に立つシン枢機卿の姿に畏敬し、厳かな彼の呼びかけに応じてデモの波に加わったのであった。旗色を鮮明にし、自らの推す候補者を赤裸々に応援する一方で、反対する勢力を邪悪なものと排除する姿勢はあまりに政治にのめりこみ過ぎているといえよう。カトリックの本山、バチカンはこのようなシン枢機卿の政治への介入に一時は眉を顰め、注意を喚起したほど宗教家としての役割を逸脱していた。しかし、キングメーカーとしての枢機卿の隠然とした力は決して侮れない。人口の殆どがカトリックということからして、シン枢機卿の墨付きがなければ政権の維持は困難となるからだ。数年前、前エストラダ大統領の退陣を要求する大集会に荘厳な僧服を纏って現われたシン枢機卿は身長わずか140cm足らずのアロヨ副大統領(現大統領)の脇に威風堂々と陣取った。周囲を睥睨するその様子は、まさにフィリピン共和国の「影の支配者」としての威厳をまざまざと国民に見せつけたのである。
■マスコミへの影響力
第四の勢力とも言われるマスコミはどうか? ここにも中華系の影響力は圧倒的である。因みにフィリピン最大のテレビ局は巨大財閥の一角、ロペス一族が経営するABS−CBNである。ロペスという名前から一般には旧宗主国スペインの流れを汲むと思われているが、実際はスペイン人と華僑の混血、いわゆるメソティーソである。1996年7月15日号の米週刊誌フォーブスは一族の資産が100億ドルを超えると報じているが、ロペス財閥はマスコミだけでなく、電力、通信、高速道路、水道などフィリピンの基幹インフラをがっちりと押さえ、揺るぎない地位を誇っている。1965年にマルコスが大統領選挙に勝利できたのもロペス財閥の莫大な資金とマスコミ操縦があったからだといわれている。しかし、その後ロペス家とマルコス大統領、とりわけイメルダ夫人との間に確執が生じ、所有していた企業や資産をマルコスに没収されてしまう。ところが、いわゆるピープルズパワーによる反マルコス革命が勃発、政権が崩壊するとともに、再び息をふき返したのである。そのマルコス失脚後政権についたのが、コラソン・アキノである。暗殺された夫、ニノイ・アキノのともらい合戦で勝利した彼女は客家の血を引く華人である。シン枢機卿やロペスグループのマスコミによる支援、華人財閥の資金的バックアップが、当選を確実にした大きな要因であることは否定できまい。
華人系の力はこのように財界だけでなく宗教界やマスコミ、政界にも及んできている。以前大統領選も立候補したサンミゲルビールを率いるコハンコは与野党どちらにも顔が利き、真の実力No. 1は彼であるという説が非常に有力である。アロヨ、ポーのいずれが今回の大統領選に勝利しても憲法改正を敢行し議院内閣制へ道を開くのではないかと言われており、その際の初代総理に任命されるのはコハンコだと衆目が一致している。さらには前のマニラ市長を務めたリム、また議員の中にも数名の華人がいる。最近、解任されたが米国のCIAにあたるNBI(国家情報局)の長官もウィココという名前からして中華系だ。外交面でもユーチェンコは駐日大使を務めた知日派であるが、一家は有力な華人財閥でRCBCという大きな銀行を経営している。またこのユーチェンコ財閥は現地の一流校、ラサール大学にも多額の資金援助を行っており、学生には華人系の子弟が多い。さらには会計事務所としてもっとも有名なのも華人系のシシップであり、フィリピンでのビジネスや生活の大半が華人の影響下にあるといっても過言ではなかろう。■
http://www.asianclub.or.jp/monthly/82/senkyo82.html