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(被害者主義+自大主義)×ご都合主義的=ウリナラ美談
http://blog.goo.ne.jp/takkie0516/e/8df5ec40d5f6292a264f8178e19a1ecb
キチガイにはキチガイの論理があるということなのだろう。日本のEEZを侵犯した韓国の泥棒船に対して、日本の海上保安庁が警告弾を発射したことについて、韓国の海洋警察庁が、『過剰対応』と批判したとの記事。とことん怒るべきなのか、それともその前に、とことん呆れるべきなのか、キチガイと付き合わされるのは、まことに精神衛生上ツライものがある。
相手を威嚇するときには嵩にかかって大声で罵るいっぽうで、おのれの非違を指摘されると、こんどはことさらに泣きわめき被害者面をして恥じぬ。記事によれば、韓国が海上保安庁の追跡を非難して言うことといえば、こんな具合なのである。『海洋警察は同日、シンプンの船内を実況見分。立ち会った船員は、甲板にあったはずの警告弾の薬きょうが日本側と言い争いをしている間になくなったとして、日本側が隠したのではないかと証言した。KBSテレビは、船員が日本の海上保安官に殴打された際にできたとする傷口を示した』。泥棒船が日本の海上保安官を拉致して逃走したことについての反省の言葉なんぞ皆無なのだ。
おのれの違法行為を相手の違法行為によって相対化(相殺)できるという手前勝手な論理は、拉致問題を持ち出すまでもなく、南北を問わずウリナラ特有のご都合主義的民族主義である。しかも、おのれの違法行為を相殺するために持ち出してくる相手の違法行為はでっち上げというのだから、これをウリナラの精神的宿痾と呼ばずして何と呼ぼう。事実如何にかかわらず、針小棒大に被害をわめき立てられるのはわかりきっているのだから、いっそのこと、足腰立たぬくらいぼこぼこにシバキ上げて、海中に投棄してやればよかったのだ。いや、マジで。
声高の被害者主義と自大主義が、実は裏腹の関係にあることをあからさまに示すのが、この下り。しかも、そこには韓国お得意のご都合主義による論理のすり替えがくっつく。『「韓国が中国漁船を追跡する時には、攻撃はしない」とし、巡視船の追突などによって生じたシンプン号の破損は「約2000万ウォン(約210万円)」と算出、日本側に損害賠償を請求する考えを示した』。政府当局が私人=漁民の被害を勝手に算出したうえに、それを請求するというのも、そもそも無茶苦茶な話だが、被害者主義と自大主義がくっつくと、おのれの違法行為が相殺された(被害者主義)→今度は嵩にかかって相手を論難する(自大主義)→おのれのことは棚に上げて、相手の行為を非難する(ご都合主義)。まさに、ウリナラ症候群大炸裂なのである。
このブログの読者なら、『韓国が中国漁船を追跡する時には攻撃はしない』と聞いて、支那漁船なら攻撃しないが、日本漁船なら平気で攻撃するという意だとただしく理解したことだろう。ウリナラは吠える。おのれの行為は棚に上げて。『日本水域で不法操業をしたからといって、非武装の漁民に武力を行使したのは過剰鎮圧だ』。だが、韓国は、かつて『李承晩ライン』を口実に日本漁船を拿捕し、第一大邦丸の日本人漁労長が韓国艦の銃撃で射殺されるという事件が発生した。日本政府は韓国に対し公海上で発生した事件だとして抗議したが、韓国は日本漁船の『李承晩ライン』侵犯を警告であると主張した。また、韓国の獨島守備隊が海上保安庁巡視船に発砲する事件まで引き起こしている。『韓国が中国漁船を追跡する時には攻撃はしない』とはよく言ったものだ。
被害者主義と自大主義の醜悪なる化合物は、ご都合主義的民族主義という触媒によって、素晴らしい美談となっちまったようだ。『【韓日の海上対峙】蔚山海警30人を表彰へ』(朝鮮日報)。『事態の初期、蔚山海警警備艇の速やかな対応により、韓国漁民と船を守ることができた。また、韓日間の長期間にわたる海上対置の状況の中、国の自尊心を守った功労を認め海洋警察庁長が表彰者選定を指示した』。韓国漁民と船と国の自尊心を守ったからエライんだと。いったい『何』から船や自尊心守ったのかというと、そりゃもちろん『日本』の横暴からでに決まっている。韓国側の違法行為の有無なんぞ、日本という存在の前にあっさり吹っ飛んじまうんである。なお、このように『海洋警察で、1か所から30人がいっぺんに表彰を受けることは異例のことだ』そうである。そんな異例の顕彰行為まで行うのだから、泥棒船がシロだという結論は、はじめっから決まっていたといいうべきだろう。
そろそろこのへんで、韓国との関係にきちんと始末をつけたほうがいいのではないか。今回のような妥協的解決は、まさに韓国での現況が示しているように、必ず禍根を残す。