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非常に興味深い本の紹介をしながら論じています。
長文なのでURLの紹介程度
『チベット偽装の10年』ほか
http://homepage3.nifty.com/dabohaze/kibo/note/kimura/kimurahisao.htm
第1節 : 興亜義塾・語学好き
第2節 : 出発・「西北」という概念
第3節 : タール寺・パンチェン・ラマ
第4節 : ツァイダム盆地・風葬・日本批判・ラサへ
第5節 : 自治政府・アヘン
第6節 : 敗戦・カリンポンの町
第7節 : 西川一三・ドクター・グラハムズ・ホームズ
第8節 : 東チベット探査行・反政府活動
第9節 : 帰国後・戦争/戦後責任
文献
(抜粋)
善隣協会の位置づけ、善隣協会と興亜学院の関係など不明なところが多い。
より広く言えば、関東軍や日本軍部の大陸侵攻の戦略全体と「大東亜共栄圏」思想による善隣協会などとはどういう関連にあったのか。
第5節で扱う興亜院などとの関連はどうか。日本の中国大陸への侵攻は、単に軍事的な侵攻だけでなく、満鉄などの大企業や三井三菱の大商社また西北研究所のような文化的組織から裏世界のアヘン密売にまで至る、全体的な構図が明らかにされる必要があると考える。
(中略)
江口圭一『資料日中戦争期阿片政策』(1985)、岡田芳政・多田井喜生・高橋正衛編『続現代史資料(12)阿片問題』(1986)がとりあえず、基本資料である。これらは資料として重要だが、読みやすいのは江口圭一『日中アヘン戦争』(1988)である。
(中略)
例えば次のような述懐は、『潜行』の1958年には木村の心中にはあっても、とうてい書かれ得なかったのではなかろうか。また、明らかに「戦後」に対する反省(「戦争」に対する反省ではなく)をふまえて書かれている。
私たちは[大東亜戦争に命を捧げる]自分自身を純粋で高貴な存在とみなしていたが,所詮偽りの大ゲームの中のひとつの駒にすぎなかったのだ。
日本の軍部や政府は「大東亜共栄圏」の薔薇色の夢を描いて見せていたが、結局のところ私たちは悪しき他民族征服計画に携わっていたにすぎないことを、私は苦い後悔の念をもって思い出す。
当初戦争の残虐さを気づいていたものはほとんどいなかったが、最後まで真実に気づかなかったからといってなんの弁解にもならない。この戦争の最大の悲劇は、日本が敗北したことではなく、我々が敗戦からほとんど何も学ばず、真のアイデンティティを見つけられぬままここまできてしまったことだ。(p340)
わたしは上の木村にまったく同感する。「偽りの大ゲームの中のひとつの駒」という表現や、「我々が敗戦からほとんど何も学ばず、真のアイデンティティをみつけられぬままここまできてしまった」という表現は、何気なく読み流せるような語句ではない。