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(回答先: 犯罪者は何をもって赦されるのでしょうか? 投稿者 ユーコ 日時 2005 年 5 月 29 日 17:49:11)
>靖国に眠る人たち
靖国神社は彼らを眠らせない。
「後に続け」と呼びかける魂を掻き立て続けるのが靖国教の特徴です。
そして、参拝する者に、その「後に続け」という魂を憑依させるのです。
>処刑される事によって“贖罪”をはたしているんです。
靖国の論理によれば、処刑は贖罪ではありません。
靖国の論理によれは、彼らはそもそも犯罪者でもないのです。
靖国神社では、彼らの死を敵国との戦闘中に敵に殺されたのと同等の意味を持つ死だとみなしています。
だから、靖国神社は彼らをまつっているのです。
靖国神社が彼らをまつるのは、敗戦という現実を無視し、東京裁判を敵国との戦闘行為の一種とみなし、敵と戦う最中に敵に殺された人々だとみなしているからです。
靖国の論理では永遠に日本は戦争中なのです。
>それに、彼らが行った行為を“犯罪だった”と定義しても、彼らは、“祖国の為に罪を犯している”んです。そして、敗戦後は“祖国の身代わりに罪を背負って”処刑されているんです。
>ならば国家は、祖国の為に罪を犯させてしまった彼らに謝罪すべきであり、>そして国民は、祖国の為に罪を背負ってくれた彼らに感謝すべきはずです。
この論理は、ちょいと乱暴でしょう。この論理が成り立つためには、
「彼ら」に「ヒットラーやムッソリーニ」を入れても成り立たないといけない。
「彼ら」に「会社のために犯罪を犯して会社を倒産させた人々」を入れても成り立たないといけない。
「彼ら」に「教団のために地下鉄サリン事件を実行した人々」を入れても成り立たないといけない。
* 「成り立つ」とも言えます。論理的には公理の設定の問題なので、どちらとも言えない。日本的小集団主義の論理からすれば「成り立つ」かもしれない。
>彼らが死後も戦犯だったとしても、参拝すべきだと思います。
靖国にまつられている英霊に参拝するというのは、彼らの「後に続け」という死に際の魂に応えることです。
たけ(tk)が見る所では、小泉氏はすでに彼らの魂に憑依されて、視野が狭くなり、ものごとを合理的に判断する能力を失っています。
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>犯罪者は何をもって赦されるのでしょうか?
法律的にみれば、再審でしょうね。
東京裁判に「再審規定」が無いからといって、国際法は厳密なものではないから、政治的駆け引きや国際世論の動向によっては再審や名誉回復のための裁判やり直しも不可能でない。
ときどき、何百年かたってから、名誉回復宣言などがでますよね。
宗教的にみれば、A級戦犯という世俗的な「犯罪者」認定に従う必要など無いので、そもそも「赦される」かどうかなど問題ではない。
ユーコさんが、「彼らは赦された」と宗教的に確信すれば、赦されたことになります。
問題は、A級戦犯を認定した東京裁判がポツダム宣言受諾やサンフランシスコ講和条約という国家と国家との間の約束(条約)の流れで行われていることです。
国内世論で「水に流した」つもりになっていたり、宗教的感覚で「そもそも犯罪ではない」とか「赦された」と主張したりしても、それでは通りません。
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* たけ(tk)思うに、宗教的確信に基づいて突撃すればその宗教的確信がそのまま現実として通用するようになる、というのは靖国教に憑依された人々の発想だと思う。
* 日本の古来の発想は「相手の気持ちを思いやる」ことだろう。これは外交においては「相手国の国民の気持ちを思いやる」ことになるはずだ。ところが、靖国教では敵のことは一慮だにせずに自国の戦闘員の突撃精神のみを尊重する。
* このような靖国精神では、国家間の複雑な外交がうまくいくはずがない。また、戦争だってうまくいくはずがない。戦争というのは、柔軟で合理的な精神がもっとも必要とされる状況だからだ。