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2005年05月23日・靖国問題
http://blog.livedoor.jp/lancer1/archives/22845405.html
〜首相が靖国神社へ参拝する理由〜 皆さんお久しぶりでございます。本日より更新再開します。休止中にたくさんの応援のコメントを頂き、大変励みになりました。ありがとうございます。毎日必ず更新というわけにはいきませんが、これからも引き続きよろしくお願いします。
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中華圏離脱した先人の教訓に学べ:産経・正論
http://www.sankei.co.jp/news/seiron.htm
《一代限りのブツ切り文化》
小泉首相は衆院予算委員会で靖国参拝の意志を貫くことを示し、中国や韓国の批判に対して「(戦没者に対する)どのような追悼の仕方がいいかは他の国が干渉すべきではない」と強い不快感を示した。靖国参拝はすべきだが中・韓とも仲良くしたいという“矛盾”のはざまで悩んでいた小泉首相がついに「参拝」の側に舵を切った。これはまことに正しい選択だと賛同したい。
そもそも中・韓の要求は、中・韓と同じ歴史認識を日本も持てといっているに等しい。首相が「参拝をやめました」といえば、次は教科書の「どこそこを直せ」というだろう。そこを直せば「尖閣諸島は中国領だ」といい、「ガス田も中国のものだ」と言い出すに決まっている。中華圏の歴史は易姓革命の歴史である。新しくできた政権は前政権の業績を全否定する。
古くは秦の始皇帝の焚書坑儒、新しくは韓国における全斗煥、盧泰愚両大統領の死刑判決(のちに恩赦)をみれば、易姓革命は現代にもれっきとして生きている。朴正煕大統領は近代韓国の基礎を築いた立派な大統領だったと思うが、いま韓国では朴政権に連なる人間狩りをやっている。
極端にいえば、中華圏は一代限りのブツ切り文化だ。こういう中・韓からみれば、靖国参拝は戦争賛美と映るかもしれない。そう映ったとしても隣国の祭祀にまで注文をつけるのは出すぎとか内政干渉というのである。
《1200年も安泰の要因は》
中華圏からみれば、日本は「東夷」(野蛮人)である。黙っていれば朝鮮半島のように、中華圏に巻き込まれかねないと悟った日本は七世紀、中華圏からの離脱を図る。こういう判断をしたのは聖徳太子で、日本国の建国(六六八年)以来、中華圏との正式国交を絶つ。このおかげで、一八七一年に日清修好条規を結ぶまで、千二百年にわたって安泰を保ってきた。
この間、漢字に音訓をつけ、ひらがなを作って文字体系を確立した。政治、文化、伝統を積み上げて今のわれわれがある。七世紀の聖徳太子(しかも彼は政治家である)の評価が変わることなく、最近までお札に刷られていたのは中華圏では考えられないことだろう。ブツ切りの政治・文化ではなく、日本は「連続性」によって栄え、子孫は大きな恩恵を受けてきた。祖先に感謝するのは当たり前だ。その一体感があったからこそ、一気に国民国家を形成できたのである。
千二百年の泰平はペリーの黒船によって破られ、日本は再び大陸と関わりを持つようになる。以来、日清戦争、日露戦争、辛亥革命、五・四運動、満州事変と続いて大東亜戦争が終わる一九四五年までの七十四年間はまさに泥沼にはまり込んだような時代だった。福沢諭吉は一八八五年、時事新報に「脱亜論」を発表し、「中・韓と付き合えば身の破滅だ」と叫んだのである。
一九四五年から日中国交樹立(共同声明)までの二十七年間は、再び大陸とのトラブルなしで過ごせた。しかしこのあと現在までの三十二年間は日清戦争前夜、「脱亜論」当時の様相さながらだ。
小泉首相が靖国参拝を表明した同じ場で、福田康夫前官房長官は中国との関係を「異常な状態」とし、「大局的な判断を示すことが必要ではないか」と述べた。これは「靖国参拝をやめろ」というのと同義だ。
《対中外交重視の愚犯すな》
民主党の将来の党首候補といわれる前原誠司氏は「総理になったら靖国参拝はしない」と言明している。その理由は「政治カードとして使われるからだ」という。この態度は問題の解決ではなく、「先延ばし」に過ぎない。
竹内行夫前外務次官は前任のインドネシア大使のとき、大使室に「すべての道は北京に通ず」という書を飾っていたという。歴史に無知としかいいようがない。福田、前原、竹内氏らに共通するのは、外交の前提として「中国と付き合わねばならない」と考えるからだ。
その手段として、ASEANと日中韓の三国を加えた「東アジア共同体構想」が浮上しているが、これなどは日本を中華圏に引きずり込む策謀だ。聖徳太子と福沢諭吉を教訓にすれば、解決策は一つしかない。
日、米、豪、ニュージーランド、インドの五カ国を中核とし、これにASEANを加えた「アジア太平洋共同体」、あるいは「海洋国家連合」を組織することだ。中華圏とは近所付き合いはするが、距離を保った方がいい。(ややま たろう)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用ここまで
この論説には、靖国についての考え方が全体的に出ています。靖国参拝というのは、論説中にも有り、また小泉首相始め多くの政治家が答弁してきたように、中韓が主張するような戦争賛美の意味合いなど全くなく、中韓が政治カードとして執拗に使っているだけではありますが、この靖国問題というのは屋山氏が主張する通りの性質を持っており、この意見には全面的に賛成します。
上記文中にも出ていますが、中韓が歴史カードとして使うから「靖国参拝は止めろ」という声は多いです。政治家に限らず、マスコミに出る政治評論家などにもです。確かに、首相が靖国参拝を止めたとして、日本が経済的等の直接的損失を被る事はないでしょう。逆に、一時的には経済的問題等で多少の譲歩を中国から引き出せるかもしれません。それなら止めた方が良いと言うのは考えが浅すぎます。
まず一つに、靖国神社への参拝とは、先にこのBlogでも述べたように、日本人の「こころ」の問題に深く関わっています。それを中韓の根拠のない思想から来る政治的要求に屈し、安易に要求を呑むようでは、日本の心とプライドを中韓の前に捨てることと同意です。
また、中韓は靖国参拝とうのはただの政治カードとして使っているだけですから、首相が参拝を止めても、今度は教科書では歴史を反省していない、尖閣諸島占拠は軍国主義の現れなどと、次の根拠のない歴史カードを繰り返し使ってくるだけでしょう。靖国神社に参拝すれば全てが解決するということは全くありません。逆に日本が中国の主張を認めたと認識され、日本の政治レベルを数段下げる結果ともなります。私もこのBlogで何度も主張してきたことですが、今の日本に必要なのは、徹底して捏造された反日教育を続け、根拠のない歴史カードを日本につきつけてくる中韓に対し、断固とした態度をとれるようになること。最近になってそれが少しずつできるようになってはきましたが、この靖国問題でも、日本は断固として日本の主張を通すべきです。それによって、中韓の根拠のない歴史カードなどは無効だと知らしめることこそが、日本の将来的な国益となります。安易な考えで譲歩をすると将来的に致命傷になりかねません。
また、この屋山氏は中韓から離れるべきと説いていますが、これはこれでおもしろい考え方だと思います。
現在の中国に対する考え方として主流を占めているのは、「中国は日本に対して横暴すぎるが、巨大市場を持つ中国に対して、日本経済のことを考えればなんとかして中国と友好状態は堅持せざるを得ない」というのが一般的ですが、歴史を振り返って見ると、聖徳太子が「日のいずる国の太子が、日の没する国の太子に手紙を送ります・・・」という手紙を送った後、日本は大陸の干渉をあまり受けることなく、国際的に安泰な期間が長く続きました。そして、福沢諭吉が1885年に脱亜論を展開した後も日本が中国と朝鮮に深く関係し続けてしまった結果、日本は泥沼の様相を呈してしまいました。
だからといって同じ構図が現代でも通用するとはここでは断言しませんが、歴史に学ぶというのも一つの考え方ではありますね。
中国や朝鮮などから距離を置くことを主張した聖徳太子と福沢諭吉が二人とも最近のお札の肖像画になっているというのも面白いですね。