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(回答先: 中国の「間接侵略」に日本人の多くが協力している。シナを中国と言う言い方は民族抹殺思想の用語法 投稿者 TORA 日時 2005 年 5 月 24 日 11:21:58)
>シナ人が現在の侵略を正当化する理屈は、共産主義の民族理論ではなく、シナ人独特の侵略思想「シナ侵略主義」である。中共の民族概念は二重構造になっていて、シナ人(漢族)と他の五十五の各民族は、下位の民族概念であり、全体を統合するのが「中華民族」概念である。中華民族は中国民族・中国人と同じで、つまり公的には、チベット人も中国人である。シナ人は非シナ民族を勝手に中華民族に編入し、その民族の土地を「中国」の一部だと主張して、南モンゴルも、東トルキスタンも、チベットも侵略してきたのである。
>しかもこれはあくまでも建前であって、本音ではシナ人だけが中華民族=中国人であり、「少数民族」=非シナ人には生存権はなく、抹殺されるべき存在なのである。その抹殺の方法は、膨大なシナ人々口の海の中で、非シナ人を民族的・文化的に溺死させる方法である。以上のシナ侵略主義の論理は、すでに孫文の『三民主義』の「民族主義」で、自慢げに語られている。
親中派の日本人の中国理解は次のようなものでしかないのではないか?
1.同じアジア人、黄色人種
彼らが好んで使う言葉である。東アジア共同体構想賛同者も好んで使いそうである。
2.文化の国
仏教も儒教も漢字もあらゆる文化は中国から伝わってきたこと。それへの親しみと頭の上がらなさ。中華文明への無限の崇拝。中国=「ああ、4千年の文化だなあ」
3.被侵略国
昔、日本は中国に一方的に侵略して残虐行為を働いた。本当に悪いことをした。申し訳なくて頭が上がらない。
つまり、1.の同じアジア人・同じ黄色人種であるという親しみと2.の崇拝、3.の加害意識による頭の上がらなさ、それが親中派の対中意識の全てだろうと思う。
ここで、しかし同じアジア人・黄色人種というのが曲者である。生物的には顔は確かに似ているだろう。しかし、肌一枚の中にある中身の性格が日本人とは全然違うのだ。彼らの対中理解には
4.中国は死刑にされても汚職が止まない国である
というおぞましい中国の姿が見えないか、過小評価されているのである。
中国政府の義務は13億の民衆に義務教育を普及させることであって、これなしに武力だけの統治など不可能だ。人間の心は金では買えない。暴力では面従腹背の輩を増やすだけだ。中国で教育を普及させるためには、軍事費につぎ込む余裕はないはずだ。教育を普及させ、民心の荒廃を防ぐ。これが本来の統治である。武力支配=統治ではないのだ。国を治めるとは本来、防災と教育であろう。中国の実態を知れば、かの国の政府への親しみは決して沸かないはずだ。