★阿修羅♪ > アジア1 > 485.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 『岩井益子さんの陳述書』は明らかに感傷的だが、ワヤクチャ氏の文は合理的である 投稿者 ODA ウォッチャーズ 日時 2005 年 5 月 23 日 23:16:34)
靖国神社へのA級戦犯合祀がなぜ批判の対象になるのか。
それは、彼らを「英霊」=「護国の神」として顕彰することが、彼らを指導した戦争を侵略戦争ではなく正しい戦争として正当化することにつながると考えられるからだ。
ただ、民間の純然たる一宗教法人が信奉する歴史観に過ぎないなら、民主主義社会における思想の自由、信教の自由の枠内にあるといえる。
そこで問題なのが、戦後も首相や天皇が繰り返し参拝し、国家との結びつきか決して絶たれていないことにある。
それでも1980年代の前半までは、中国政府も、韓国政府も沈黙してきた。
「戦後政治の総決算」を唱えて登場し、新国家主義の路線を追求した中曽根康弘首相の動向が、日本の軍国主義復活を強く警戒する中国政府の許容範囲を超えたのだろう。
以後、中国政府は一貫して、A級戦犯が合祀されている靖国神社への日本の首相が参拝するのはかつての日本の侵略戦争を正当化するとして強く反発してきた。
東京裁判は、戦勝国が日本の戦争を一方的に断罪した「勝者の裁き」であるから、A級戦犯処罰も容認できない、と論じる人は国内に少なくない。
しかし、被告側に弁護士がつけられ、その弁護人が法廷で公然と裁判自体の正当性を問題にし、インドのパール判事のような少数意見の提出がタブーとされない程度には、その問題性は意識されていた。
日本のA級戦犯についても個々の妥当性をめぐっての議論はあるとしても、国民を戦争に動員し、アジア諸国の人々に甚大な被害をもたらした責任が不問に付されていなかったことは明らかだ。
東京裁判の重大な問題性は、そこで裁かれたものよりも、むしろそこで裁かれなかったものの方にある。
勝者の裁きであるゆえに、東京大空襲から、広島・長崎への原爆投下に至る、米国自身が犯した重大な戦争犯罪が裁かれなかったのはもちろんである。
しかしまた、A級戦犯が裁かれたのに、彼らが仕えた君主であり、一貫して帝国陸海軍大元帥、すなわち最高司令官であり続けた昭和天皇が不起訴になったのも、ソ連・中国・オーストラリアなどの訴追論を押さえ込んだ米国の意志だったし、七三一部隊のような日本軍の戦争犯罪が裁かれなかったのも、米国の意図によるものであった。
さらに、日本の植民地支配から解放されたばかりの朝鮮は、日本の交戦国ではなかったとして、戦勝国とは見なされず、勝者の裁きに参加する事も出来なかったし、米・英・仏・蘭などの植民地宗主国でもあった戦勝国に、日本の植民地支配責任を裁く意図も能力も無かった。
現実問題としては、日本が連合国による占領状態から主権を回復し、国際社会に復帰する事を可能にしたサンフランシスコ講和条約において、日本政府が連合国による戦犯裁判の判決を受諾しているという事実がある。
東京裁判を勝者の裁きとして拒否し、A級戦犯断罪を容認できないと主張するなら、戦後日本国家を国際的に承認させた条件そのものをひっくり返すことになってしまう。
中曽根首相の参拝後、中国からの批判をうけて、後藤田正晴官房長官は、日本がサンフランシスコ講和条約で東京裁判の判決を受諾している旨を確認している。
中曽根首相が二度と参拝を繰り返さなかったのは、アジア諸国の意向に配慮したからというほかに、A級戦犯合祀を問題視する中国の主張が、こうした経緯に照らして無視できない事を自覚したからだ。
>ワヤクチャ氏の文を、感情的と受け取る御仁は、自己の読解力の無さを嘆くべきでしょう。<
君のこの一文に意味を見出せない。
どのような主張もかまわないが、君の品格を疑うに十分な一文である。
どんな考えが合理的だと論じるよりも、君の冷静な主張を展開していただきたい。