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http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/05/10/20050510000062.html
壬辰倭乱(文禄慶長の役)の当時、咸鏡(ハムギョン)道の義勇軍の戦勝記念碑として立てられた北関大捷碑(ほっかんたいしょうひ)は、日本の略奪に遭い、太平洋戦争の戦犯の位牌が安置されている靖国神社境内に放置されている。
韓日政府は最近、日本側がこれを返還し、元の場所である北朝鮮の咸鏡北道・吉州(キルジュ)に戻すことで合意したと伝えられた。
政府当局者は10日、「靖国神社側と日本政府が協力を約束した」とし、「政府は8月15日(独立記念日)より前に返還を受け、光復(独立)60周年記念行事の一環として、南側で展示会を開いた後、北朝鮮側に渡す方針を決めた」と述べた。
当局者は「ただし、日本は北朝鮮の同意を条件として提示した」とし、「北朝鮮が協議に応じておらず、今月以降もこのままの状態が続くようだと8月15日以前の返還が難しくなる」と話した。
北関大捷碑は壬辰倭乱当時、 鄭文孚(チョン・ムンブ)が率いた咸鏡道義勇軍の戦勝を記念し、戦功を記した石碑だ。1905年、露日戦争当時にこの地へ進出した日本軍に略奪され、靖国神社に放置された。
権大烈(クォン・デヨル)記者>dykwon@chosun.com
5月10日