現在地 HOME > アジア1 > 225.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(引用者注……http://www.asyura2.com/0505/asia1/msg/197.htmlのスレッドで紹介した拉致被害者批判問題について。『奪還第二章』から一部紹介しときます。ただし非常に複雑微妙な話が多々語られている本ですので,くわしくは本をお読みください。下の引用部分も委曲を尽くしているとはいえません。
それにしても,こないだまで「あの蓮池の野郎」とか,「蓮池透が五人を囲い込んで逆洗脳してる」とか言ってた左翼が,この本について沈黙してるのはけしからんですね)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4104599026/qid%3D1114438486/250-3408585-0504230
奪還第二章
経済制裁の効果
(略)
でも実は、そうやって経済制裁を前面に押し出していくことには、子どもたちが人質にとられている状況下では弟たちがあまり賛同してくれませんでした。
薫は日本が北朝鮮に経済制裁を加えることについて、冷静に綿密な分析をしていました。
「経済制裁を加えることにより、北朝鮮を崩壊に追い込み拉致被害者を救出するという声があるが、そのシナリオは絶対に成立しない。北朝鮮はそう簡単に崩壊する国ではない。周辺の中国、ロシア、韓国とも協力して完全に『経済封鎖』するならば話は別だが、それは容易なことではない。仮に崩壊するとするならば、金正日政権は真っ先に自分たちにとって不利になることを消そうとするだろう。すなわち『証拠隠滅』で、救出などやりようがなくなるだろう。経済制裁=体制崩壊=救出というのは、あまりにも短絡的な思考である。
日本単独での経済制裁は実質的には絶大な効果はないが、ただ日本が態度を硬化させたという〃圧力〃を北朝鮮に示す意味はある。それは単に北朝鮮国内での反日感情を煽るだけかもしれないし、六者協議の枠組みを壊す可能性もあるかもしれない。経済制裁の効果はその程度のものだが、北朝鮮を巡る複雑な国際情勢の中、日本だけがリスクを冒してまで断行する意思が果たして小泉総理にあるのかどうか、そこにかかっている」
もちろん、北朝鮮に対して〃圧力〃をかけ、強硬な姿勢を見せることは重要ですが、そればかりではなくアメとムチの使い分けが必要だと言うのです。
「あなた方が拉致問題を解決しない限り、国交正常化はない。だから、二百億ドルともいわれる経済援助も行うことができない」
そんな形で相手が喉から手が出るほどほしがっているものを、こちらの切り札として用いるべきではないか。経済援助は大きなアメだが、最強のムチにもなる。経済制裁は二百億ドルが遠のいてしまうと北朝鮮に思わせる程度のものそれが弟の出した結論でした。
経済制裁は拉致問題解決のため、日本の強硬な態度を表明する意味で有効に使うことが得策だが、それが行き過ぎて体制を崩壊させるために目的化していくようではいけない。弟のそんな意見に、私もいつしか同意するようになりました。
五人の被害者の家族が人質にとられている状況で、その人たちを帰国させるのは当然のことと言えます。一方、北朝鮮が「死亡」あるいは「未入国」と発表した十人に関しては、その言い分を覆すためには相当なエネルギーが必要でしょう。経済制裁はそのための切り札として、とっておくべきではないか。安倍官房副長官や中山参与(いずれも当時)も、そういった発言をしていました。
私もそう思って、制裁一辺倒ではなく、経済援助をちらつかせて押したり引いたりの駆け引きをするように主張することにしたのです。二〇〇四年二月、初の対北朝鮮経済制裁法である「改正外為法」が成立・施行されました。しかし、実際に制裁が行われる様子はありませんでした。
もし外務省が「制裁」と北朝鮮に告げたら、途端に「約束を破っておきながら制裁とは何事だ」と切り返されることは明白で、そう言われたらぐうの音も出ないのだろう。
そう思いながら推移を見守っていました。
私と弟はとにかく、もっと柔軟な発想と姿勢で膠着した事態を動かしてくれることを強く願っていたのです。相手は極めて狡猜な国なのですから、こちらはそれを凌駕するしたたかさを持たねば成功など覚束ないことは、それまでに嫌というほど思い知らされてきました。
外交には素人の私ですらそう感じるのに、プロであるはずの外務官僚がなぜいつまでも同じような対応しかできないのか、理解に苦しみました。多くの外務官僚は、「周辺諸国に理解を求めている」と繰り返し公の場で述べていました。日本から理解を求められれば、どの国も「日本の立場はよくわかる。心から同情する」と言うに決まっています。しかし、それでは何の解決にもなりません。
(P120〜122)
薫が持っていた情報
(略)
薫たちは、「死亡あるいは未入国」と伝えられた方々に関して、何らかの情報を持っているのではないか。これは帰国当初から聞かれつづけた疑問で、薫もそのことはずっと気にしていました。
「おれたちが十人の方々の情報を何でも持っているかのような報道が出ているのが心配だ。おれたちには限られた情報しかなく、それはすべて当該の家族や支援室には伝えてある」
本当に辛そうな表情で、そう話していました。
「蓮池薫さんは横田めぐみさんを一九九四年まで平壌で見ていた」
二〇〇四年八月に毎日新聞がそんな記事を掲載しましたが、実際に薫は横田さんに関しての情報は持っていました。
その内容はもちろん、横田滋さん、早紀江さん、弟の拓也さん、哲也さんに詳細に伝えてあります。二〇〇四年六月、ひそかに上京してホテルで横田夫妻と息子さんたちに会い、夕食の時間から深夜までかかって話をしたのです。
そのとき横田さんが「この話は公表すべきではない」と言ったので、その判断を尊重することにしました。
ですから、新聞に書かれたことに対しては、それが横田さんの意向に添うものではないことを知り、非常に怒っていました。そうやって情報が漏れてしまうと、北朝鮮側に悪用されるおそれがあるためです。できる限り秘密にしておいて、北朝鮮が何か新たな作り話を持ち出してきたときに、その反証として使うのが最も効果的だろうと考えていたのです。
ただ、北朝鮮に反論するような場合にも、張本人として矢面に立つことは避けたいというのもまた、薫の本音でした。
「おれたちと北朝鮮をまた対決させるような構図は作らないでほしい。情報提供を始め、われわれの立場としてできる限りのことはやる。われわれの情報を有効に活用して、国が責任をもって対応してほしい」
苦渋に満ちた表情で、薫はそう話していました。確かに被害者に向かって、ほかの被害者を探すための運動をやれというのは酷な話でしょう。
二十四年間耐えてきたのだから、これ以上、精神的に追い詰めるようなことはやらせないでほしいという薫の気持ちは、私にはよくわかりました。
しかし、現実には北朝鮮による拉致の疑いのある失踪事件を調べている特定失踪者問題調査会から「知っていることは早く話してほしい。後で間接的に事実が明らかになったら、あなた方が非難されます」というような内容の脅迫めいた手紙が来たりするのです。そして、失踪者の写真が掲載されたポスターなどが送られてくるのですが、
「写真も見せてもらった。でも、全く覚えがないんだ……」
薫はそう言って本当に困惑していました。
(P123〜125)
一方で十人の安否不明者の問題について、「帰国した五人の被害者は何も協力しない」「北の揺さぶりの片棒を担いでいる」などという声も一部で聞かれます。「北のスパイではないか」「五人はすべてのことを話しなさい」などと言う人までいるのには呆れて二の句が継げませんでした。
薫たち五人は帰国した際、「自分たちだけ帰ってきて忍びない」と言っていましたが、今もその気持ちにはいささかの変化もないと思います。そういった思いの中で、彼らは「協力したい」「北と対決したくない」「自分たちの話が公になって利用されるのは嫌だ」という、複雑な感情で揺れ動いているのです。
確かに表立った発言はなく、何もしていないかのような印象を与えるかもしれませんが、実際は前述したように当該の家族や国に対しては、自分たちの知りうる限りの情報を提供しているのです。
それらの情報は公表すべきものではないと思いますし、第三回の日朝実務者協議においても、弟たちの情報は有効に活用されたと聞いています。
北朝鮮と弟たちが直接、対決するような構図は得策ではないのです。誤解されかねない状況にあるのですが、国民の皆様にはご理解いただきたいと思います。
個別取材に応じない理由
(略)
薫は記者会見には相変わらず気を使っています。二〇〇四年十月に帰国二年目の記者会見の要請があったときも。とても悩んでいました。
「記者会見は、諸刃の剣だ」
薫はそう語っていました。やらなければ「あいつらは何もしゃべらない」と言われるし、やればやったで「もう顔も見たくない」という手紙がきたりします。
しかしそれ以上に、記者会見しても自分たちの言いたいことがほとんど伝わりませんでした。仮に「十人の方々のために自分たちの置かれている立場で、できる限りのことをしている。今後も同様に協力していく」と言っても、マスコミの関心は中大への復学や子どもたちの生活に集中することは目に見えています。だから、伝えたいことをコメントとして出して、会見は行わないと決断したのです。
(略)
個別取材に関しては二〇〇二年の五人の被害者の帰国前に、新聞協会、民放連、雑誌協会に対して「節度ある取材のお願い」という名称で、自粛をお願いしたことに端を発しています。マスコミの方々のご理解によって、今日まで個別取材が行われていないことに関しては、感謝しています。
二〇〇四年の五人の家族の帰国時にも、その三団体に対して今しばらくの個別取材解禁の猶予をお願いしました。
最近はマスコミの方々の不満も欝積していて、「自由主義国家では、個別取材があってこその報道だ」と厳しいことを言われます。
もちろんその通りであり、これだけ長きにわたって個別取材が行われていないということは、ある種「異常」な状態であることは間違いありません。そのことは薫にも伝えてあり、彼も理解はしているのです。
なぜ、彼らは個別取材に応じて自由に物を言うことができないのでしょうか。おそらく、十人の安否不明者の問題、子どもたちを始め一家の生活基盤ができていないこと、国民世論への気づかい、マスコミ不信……様々な理由によって、縛りつけられているのでしょう。
(P187〜189)