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日本、アジアにおける帝国主義的過去への謝罪を繰り返す──ル・モンド (media@francophonie)
http://www.asyura2.com/0505/asia1/msg/216.html
投稿者 外野 日時 2005 年 4 月 24 日 22:30:16: XZP4hFjFHTtWY
 

media@francophonie
フランス語圏プレスの記事の紹介と翻訳
http://blog.livedoor.jp/media_francophonie/archives/19765532.html

2005年04月23日

バンドン会議開幕(4月24日追記)

Le Japon reitere ses excuses pour son passe imperialiste en Asie
日本、アジアにおける帝国主義的過去への謝罪を繰り返す

4月22日付け ル・モンド Jean-Claude Pomonti(バンコク)
元記事はこちら http://www.lemonde.fr/web/article/0,1-0@2-3216,36-641820@51-627860,0.html

アジア・アフリカ首脳会議(バンドン会議)が開幕し、大きな注目を集めています。そして意表をついた小泉発言で、またしても国際面で日本が大きく取り上げられることになりました。これに関するル・モンドの記事をご紹介します。発言の部分は日本語とは多少違いますが、フランス語からそのまま訳しました。

4月24日に、バンドン会議と中国に関するフィガロの記事を追加しました。

(翻訳はじめ)
まちがいなく憂鬱なことだったろう。しかし、バンドン(インドネシア)のアジア・アフリカ会議の50周年において、現在の国際情勢がそのような気分を凌駕したようだ。第一の懸案は紛れもなく現在の中国・日本間の緊張である。4月22日金曜日の会議の際、日本政府のトップ小泉純一郎は、かつてこの地域に日本によって課せられた苦しみに対し「心からの謝罪」を表明した。国連事務総長コフィ・アナンは、現地到着前に、4月21日から23日までジャカルタで開催されるこの国際会議の枠内で、中国の胡錦涛国家主席と日本の小泉首相が会談するよう「差し向けるつもり」だと発言していた。

小泉首相は「植民地主義的な統治と侵略を通じて、過去において日本は多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に損害と苦悩をもたらした」と表明し、日本の帝国主義的過去について前任者らが30年前から表明し続けてきた後悔を繰り返した。「現在も心に残り続ける深い後悔の念と誠実なる謝罪をもって、日本は第二次世界大戦終結以来、あらゆる問題を力に訴えることなく平和的な手段によって解決しながら、軍事大国ではなく経済大国になるよう、常にその決意を新たにしてきた」と小泉首相は付け加えた。

「歴史修正主義」的な日本の歴史教科書の再版によって3週間前に始まった反日デモに続く現在の北京と東京の緊張については、日本政府の長は言及しなかった。日本側から提案されている胡主席と小泉首相のジャカルタでの会談は、金曜朝の時点ではまだ具体化していない。しかしながら同日、北京では中国公安省部長(大臣)が新たな反日デモに対して厳重な監視体制を布いた。

東南アジアは第二次世界大戦中の日本の占領に対して悪い記憶を持ち続けており、そのため、中国での抗議運動はどちらかというと共感を得ている。インドネシア政府のある報道官は、「日本も含むすべての国が歴史的事実を認識することができるようにならなければならない」と発言した。

北京と東京の緊張関係においては、双方が「体面を失わない」ことが重要である。しかし北京は、反日デモや、おなじく3月に可決された台湾に関する法律がある種の懸念を引き起こすこの地域において、緊張の激化を慎重に回避する必要がある。中国はまた、沿岸で国境を接する多くの国家(ベトナム、マレーシア、ブルネイ、フィリピン)とも、南シナ海の領有権を争っている。

東南アジア諸国連合(ASEAN)の加盟10カ国は、アセアン諸国に中国、韓国、日本を加えて12月にマレーシアで初開催される東アジアサミットを前にして、中国と日本の間の敵対関係が、地域内の協力関係を乱すことになるのではないかと懸念している。このサミットにはインド、オーストラリア、ニュージーランドも出席する可能性がある。そのことを承知している北京は、たとえばフィリピンに対して軍事援助を提供した。これまでアメリカの禁猟地であったフィリピンでは、前代未聞の出来事である。

水曜日、バンドン会議のためにアフリカ・アジア諸国の99閣僚が、半世紀にわたって多様な、さもなくば相反する戦略を練ってきた2つの大陸の間での「新戦略パートナーシップ」計画を準備した。バンドン会議に出席が予定されている46国家元首・政府は、国連改革、津波問題、通商問題、貧困問題、パレスチナ国家支援などについて討議する。この会議はインドネシアのスシロ・バンバン・ユドヨノ大統領と南アフリカのタボ・ムベキ大統領が共同で議長を務める。

象徴的な集合

1954年4月にコロンボで、インドネシア・インド・パキスタン・セイロン(現在のスリランカ)・ビルマがバンドン会議の開催を提唱した。その一年後、不干渉・大国との軍事同盟締結の拒否・全国家の平等を求めるためにこのインドネシアの町に集まった29カ国のうち、アフリカ諸国はエジプト・エチオピア・コートドール(現在のガーナ)・リベリア・リビア・スーダンの6カ国だけだった。歴史の動乱と、ユーゴスラビアのチトー元帥の非同盟運動開始でその後に続いた失望にもかかわらず、「バンドン精神」は脱植民地化が大幅に停滞していた一時期を乗り越えた。

その時以来、国際情勢は激変した。冷戦終結は、2003年にマレーシアで最後に開催された会議以来、非同盟運動の存在意義を疑問に付すことになった。その利益も、政体も多種多様に異なる116加盟国は、月並みな決議の採択しか行うことができなかった。ソ連は崩壊し、アフリカは失敗した脱植民地化の犠牲者であり続けた。

その間、1971年に中国が国連加盟を認められた。さらにその10年余り後、中国は各地の反乱を切り捨て、アジア諸国に新たな顧客を開拓し、経済的離陸という難関を乗り越えた。アジア経済の飛躍は、二国間自由貿易協定へと実を結びつつある。現在30を下らない各国の二国間協定が交渉の真っ最中だ。それと平行して、12月に開催予定の初めての東アジアサミットにおいて、アジアの構造の別の下絵が描かれることになる。この下絵は、この地域における均衡をとりもどさせる一つの武器となる可能性がある。同様にこれは、半世紀に及ぶアジアにおけるアメリカ主導の平和に取って代わるビジョンとなるかもしれない。

今週の数々の会談は、閣僚らが象徴的に大集合する(訳註:50周年記念式典)日曜日に終了する。ジャカルタの南東120kmに位置するバンドンは、これほど大規模な集会を受け入れるのは不可能なほどの小さな町だ。「バンドン精神」には「脱帽」させられる。
(翻訳おわり)

以下、4月24日の追加記事


L'esprit perdu de la conference de Bandoeng
バンドン会議の失われた精神

4月23日付け ル・フィガロ Jocelyn Grange(ジャカルタ)
元記事はこちら http://www.lefigaro.fr/international/20050423.FIG0014.html


(翻訳はじめ)
「私の娘ですか?アフリカのイスラム教徒と結婚させる?キリスト教徒と結婚させるほうがマシですよ…」。世界最大のイスラム教徒を擁する国の首都、ジャカルタの商人が語るこの言葉は、インドネシア人がアフリカ人のことをどう思っているのかをかなり良く反映している。

最悪なのは麻薬密売人で、いちばんマシなのは色とりどりの高級工芸品の卸売り商人だ。まちがっても国際関係における戦略家たちではない。そういうわけで、107カ国を集めるジャカルタの「アジア・アフリカ会議」は、インドネシア人たちから懐疑的に受け止められている。彼らにとって大事なのはバンドン会議(1955年4月18日〜24日)の記念式典だけだ。この会議は地球規模の反響を引き起こした。スカルノ大統領は、アフリカとアジアの26カ国を招いた。エジプトのナセル、インドのネルー、中国の周恩来が出席していた。その後の非同盟運動の序曲となったバンドン会議は、冷戦での中立を推奨し、ヨーロッパの植民地主義を告発し、発展における北側諸国との間の遅れを埋め合わせるために、南側諸国に相互援助を呼びかけた。

それから50年後の現在、状況は対照的だ。非同盟運動は脱植民地化において有意義な役割を果たしたが、アフリカとアジアの間に本物の協力関係を築くための基礎にはならなかった。2大陸の人々は、互いのことを良く知らないまま、お世辞にも好意的なものとは言えない偏見を互いに言い募った。経済的な交流はというと、南北間の大量の物品の流通に比べればとるに足りないものだった。それでも「バンドン精神は死に絶えたわけではない」と、南アフリカの外交官マイケル・マンブクウェは信じようとしている。南アフリカはインドネシアと共にこの第二回アジア・アフリカ会議の発起人となった国だ。「私たちは変質の真っ最中にある世界の諸問題に団結して対決しなけでばなりません」とマンブクウェは説明する。南アフリカ政府は会議の目標を次のように設定した。「世界貿易機関(WTO)がより発展に目を向けた計画を採用するように、アジア・アフリカ諸国の間で共通の立場に達すること」だ。

このような呼びかけは各国に届いたのだろうか?ある西側外交官は「可能性は低い」とほのめかす。この外交官は、ひとつの「共通点」を見つけるには「参加国があまりにも多種多様すぎる」と見ている。「中国とインドは地球規模の野心を抱いています。日本と台湾はグローバリゼーションの核心に位置している。それにインドネシアやアルジェリアの状況はサハラ諸国とは比較できません」。例外は会議を締め括るアジア・アフリカ間の新戦略パートナーシップ宣言という大芝居だが、この宣言は華々しい決まり文句で飾られてはいるものの、内実は伴っていない。微妙なテーマはすべて除外された。そしてそのようなテーマはあまりにも多すぎる。民主主義から人権、「対テロ戦争」からエイズまで、すべてが口論の種だ。北側諸国の代表が多すぎる国連安保理事会の改革ですら、不和の元になっている。インドとパキスタンは常任理事国の一議席を狙って互いに立候補して相殺しあっているし、中国は日本が大国の一員としてテーブルを囲むことを欲していない。

しかしこの会議は皆にとってまったく無意味なものであったものであったわけではない。この会議から大きな恩恵を受けた国は中国だ。この会議のおかげで、中国はアフリカ諸国とのパートナーシップ拡大に成功しそうなのだ。中国国家主席の胡錦涛は「これは一つの戦略的な可能性です」と発言した。EUのある観測者は「中国は、本当にアフリカに興味を抱いている唯一のアジアの国です。この指向性は最近のものですが、今後早急に強化される可能性があります」と断言し、その裏づけとして各種の数字を引いた。「中国・アフリカ間の貿易は2000年から倍増しています。100億ドルから200億ドルにまで成長したのです。2009年までに、その数字は400億ドルにまで達する可能性があります。そうなれば、中国はアメリカを追い抜くでしょう。アメリカの対アフリカ貿易は300億ドル程度と見られています」

発展の段階を這いつくばって一歩一歩登って来た中国は、その成長を養うためにアフリカ大陸の原料を必要としている。中国はアンゴラとガーナに石油利権を保持しているが、これに最近アフリカ最大の石油原産国であるナイジェリアとの間で締結された「戦略パートナーシップ」が追加された。

中国は欧米企業が進出できないような場所でも買い付けを行っている。中国はスーダンの油田開発に参加し、ダルフール戦争に関してオマル・バシール政権に突きつけられた国連の制裁決議案に拒否権を発動した。

中国は金属市場でも活発な動きを見せており、産出国の開発に投資を行っている。ギニアのコナクリで道路を、マダガスカルで観光インフラを、タンザニアで電話線を建設している。アフリカでも、他の場所でも、中国は超大国としての姿を明確にしつつある。
(翻訳おわり)

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