現在地 HOME > アジア1 > 214.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu93.htm
--------------------------------------------------------------------------------
危機もたらしたのは中国政府と批判 米紙 中国は謝罪
の受け入れを 英紙 中国は間違いなく崩壊する
2005年4月24日 日曜日
◆中国は謝罪の受け入れを 英紙(共同通信)
http://newsflash.nifty.com/news/ta/ta__kyodo_20050423ta006.htm
【ロンドン共同】週末版の英紙フィナンシャル・タイムズは、小泉純一郎首相がアジア・アフリカ会議で表明した過去の植民地支配に対する「反省とおわび」について、「中国が求めていたものだ」として、中国に広い心で受け入れるように求める社説を掲載した。
[共同通信社:2005年04月23日 12時15分]
◆危機もたらしたのは中国政府と批判 米紙
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/america/news/20050424k0000m030129000c.html
23日付の米紙ワシントン・ポストは社説で、日中関係悪化について「危機の原因をもたらしたのはほとんどすべて中国政府」と強調、「ナショナリズムを利用し日本を脅している」と中国の胡錦濤国家主席らの姿勢を厳しく批判した。
ポスト紙は「教科書問題を誇張して取り上げ、デモ参加者が日本大使館やレストランなどを襲うことを許したり、唆したりした」と指摘。その狙いは、日本の国連安全保障理事会の常任理事国入りへの公正な意図を阻むことと、中国共産党による一党支配の維持にあると分析した。
日本については、小泉純一郎首相の「謝罪」など緊張緩和への努力に言及。教科書問題や民族主義的な動きの一方で、「(日本の)民主的政府は近隣諸国の脅威ではない。地域と世界の安全に貢献する意思を示している」と評価した。
また中国の反日運動が与える影響に関し、香港や台湾、日本を「いじめる」ことは「大国」への道ではなく、逆に「アジア諸国と米国を団結させ、中国封じ込めにつながる」と予測。それを避けるには胡政権が誤りから学ぶことだと結んでいる。(ワシントン共同)
毎日新聞 2005年4月24日 1時09分
◆中国は間違いなく崩壊する 4月14日 依存症の独り言
http://banmakoto.air-nifty.com/blues/2005/04/post_dd6b.html
今、巷には、中国の非礼極まりない態度に対する非難の声が満ちている。これまで、あの国にあまり関心を抱かなかった人たちも、今回はさすがに頭にきたようだ。結果的に中国政府は今回、日本国内に「反中感情」を普及させる役回りを果たしたことになる。おそらく「政冷経熱」も「政冷経冷」に向かうであろう、徐々にではあるが。
これを「自業自得である」と云ってしまえばそれまでだが、実は中国には、そこまでせざるを得ない事情があるのだ。日本の国内世論を敵に回してまで、あるいは日本からの投資が鈍化するかもしれないというリスクを冒してまで対日強硬路線を選択せざるを得ない事情。今回は、そのあたりの事情について書いてみたい。
中国は間違いなく崩壊する。これは希望的観測ではない。断言できる。
なぜなら、下部構造(経済)が資本主義で上部構造(政治)が共産党独裁なんてありえないことだからだ。「下部構造が上部構造を規定する」というマルクスの理論を持ち出すまでもない。要は、油(資本主義)と水(共産主義)は永遠に交わることがない、ということだ。加熱した油に水を差すと、油が弾け飛び、鍋は爆発する、これが自然の成り行きである。
今の中国を理解するうえで、過去を知ることが欠かせない。
新中国は1949年に誕生した。以来今日に至るまでいろんなことがあった。その中で特筆すべき事件が二つある。大躍進政策と文化大革命(注-1)である。
人民公社=中国版コミューン(注-2)を軸とした大躍進政策は、1958年から61年までに3000万人もの餓死者を出した。1966年から76年まで続いた文化大革命では、武闘や迫害で600万人以上が死んだ。
1970年代半ばごろ、大躍進の失敗とそれに続く文革による大混乱で、中国は疲弊し、まさに存亡の機にあった。これを救ったのがケ小平である。毛沢東亡き後、四人組(注-3)を打倒し実権を握ったケ小平は、「連続革命」路線から「改革開放」路線へとコペルニクス的転換を図った。
1978年12月の11期3中全会において決定されたこの路線の本質は、「黒猫でも白猫でもよい。ネズミを獲る猫が、いい猫なんだ」というケ小平の有名な言葉が総てを言い表している。この言葉は、「資本主義でも社会主義でも、どちらでもよい。要は、中国が豊かになればよい」と読み替えることができる。
この時点で中国は、政治的制度としての共産主義を維持ししつも、イデオロギーとしての共産主義は捨て去り、経済成長至上主義に転換したといってよい。実際のところ、1983年から88年の平均成長率は11.4%で、驚くべき急成長を遂げた。この時点で既に「都市と農村との格差」が顕在化していた。しかしケ小平は、「先に豊になれるものから豊になれ」と、一時的な経済格差を容認する先富論を提唱し、「先に豊かになった地区(沿海部、都市部)が後発地区(内陸部、農村部)を支援すればよい」として、この矛盾の萌芽を無視したのである(これが後に中国の桎梏になる)。
ところが、この「改革開放」路線の延長線上に、1989年6月「天安門事件」(注-4)が発生する。これは、民主化を求める学生と大衆の不満が結合した結果であった。文字どおり「下部構造に上部構造が規定」されそうになったのである。中国共産党指導部は、この事件を戦車を動員して強権的に制圧した。
その結果「改革開放」の雲行きが怪しくなった。実際に、その後の成長は鈍化し、社会は不安定となった。なぜなら、人民の党と、その指図を受けた人民の軍が人民を虐殺したからである。加えて、人権に敏感な欧米諸国の制裁がそれに輪をかけた(ちなみに日本は、制裁には及び腰だった)。そして、この時点で、中国共産党は人民の支持を失った。
これに対してケ小平は、1992年1〜2月、広東省や上海市など南方視察を行い、そこで華南地区の発展ぶりを称え、「改革開放は100年流行る」と言明、「てん足女のようなヨチヨチ歩きではダメだ。改革開放をさらに加速させなければならない」と全国に檄を飛ばしたのである。ケ小平のこの「南巡講話」により事態は一変した。世の動きに敏感な幹部も人民も一挙に市場経済へと走り出したのである。
以上のような過去を経て今の中国がある。今の中国の本質を、元大蔵省財務官である行天豊雄氏が中国経済と日本の中で見事に看破している。氏は、「今日の中国において共産主義は、平等を追求するイデオロギーとしての役割を失っている」とする一方、「多くの中国人にとって、宗教的な社会倫理は無縁な場合が多い」と指摘している。
つまり、今の中国には、社会的規範となるはずの「共産主義イデオロギー」もなければ、その代わりとなる「宗教的社会倫理」もないのである。あるのは「飽くなき貪欲」=モノ、カネ信仰だけである。
日本を含む先進資本主義諸国には、「モノ、カネ」以外に共通の価値観として「自由と民主主義」がある。「宗教的社会倫理」も「モノ、カネ」に対する一定の節度として作用している。ところが、中国にはそのいずれもが欠けている。あるのは、際限のない「汚職の横行と飽くなき貪欲」(行天氏)である。
一方において社会的矛盾は、「天安門事件」当時よりはるかに深刻になっている。開発業者と結託した腐敗官僚に農地を没収された「失地農民」は4000万人を数える。大都市に流入し、無権利、低賃金の奴隷労働に従事する「民工」も4000万〜6000万人にのぼる。これらの「盲流」あるいは「黒人」と呼ばれる無戸籍の民は、まさに現代の棄民といっても過言ではない。地方では農民の反乱が、都市部では「民工」の暴動が頻発する一方で、年間に贈収賄や職権乱用で起訴される役人の数は4万人を下らない。
中国で3万人暴動 公害に抗議、2人死亡
この現実を、胡錦濤・温家宝体制が極めて深刻に受け止めているのは間違いない。
しかし、共産党指導部がいかに「弱者救済」「腐敗根絶」を叫んでも、状況は遅々として改善されないのが実情である。かつての希望の星・趙紫陽(天安門事件当時の総書記、「民主化勢力に同情的である」として解任された)も、自らの死を前にして「この国の漸進的改革は絶望的」と悲嘆したと言われる。
胡錦濤・温家宝体制の目標は、国民がある程度の豊かさを実感できる全面的な「小康社会」の実現である、という。そのために、2020年のGDP(国内総生産)を2000年の4倍にする目標が設定されている。しかし、これは年率7%以上の成長を持続して初めて可能になるのである。
果たして、このような高度成長が20年も続くことがあり得るのであろうか?可能であれば、深刻化する社会的矛盾や鬱積した政治的不満も解消され、漸進的な政治的・社会的改革が成功するであろう。しかし、ひとたび成長が鈍化する事態になれば、極限まで膨らんだ風船は一気に破裂する。
前出の行天豊雄氏は、中国経済の桎梏として以下の4点をあげている。
(1)(共産党独裁であるため)中央計画経済の弊害が依然残っている。その結果、経済の肥大化により、非効率的な国有企業(ほとんどが赤字)と多額の不良債権をかかえる国有銀行を生んでしまった。しかし、国有企業の整理は極めて困難である。何故なら、国有企業は地方経済の中核だからである。
(2)貧富の格差が拡大している。この格差は、都市内部で、また都市・地方間で拡大している。全体としての平均生活水準は上昇しているが、社会的不平等は急速に拡大している。そして、汚職の横行と「飽くなき貪欲」が、その社会的歪みの是正を困難にしている。
(3)高度成長を制約する大きな要因が存在する。急激な経済成長は、膨大なエネルギー、原料、水資源の消費をもたらしている。中国は既に、世界第2の原油輸入国である。しかもエネルギー産出の70%は依然石炭に依存しており、深刻な環境破壊をもたらしている。
(4)経済発展と社会的・政治的統制は相反する関係にある。生活水準が低い状態から急速に上昇している間は、民衆は、自由の欠如にさしたる不満を持たない。しかし、民衆が単なる物質的生活以上のものに関心を持つゆとりが出てくると、社会的・政治的自由に関心が生まれる。
そして最後をこう結んでいる。
「指導部は、非常に慎重な速度で自由化を進めようとしています。それが成功するかどうかは、まだ分からないと言わざるを得ません」と。
(要約:坂眞)
中国経済と日本
以上の指摘をどう解釈するかは人それぞれだろう。が、年率7%の成長を20年の長きにわたって持続することは極めて困難であると理解するのが自然である。幸い、今の中国は持続的高成長を維持している。この高成長がもたらすパイの拡大で、かろうじて政治的、社会的安定を保っている。しかしこれは、極めて脆弱な安定である。
前述したように、高成長に伴い、社会的不平等の急拡大と汚職の横行という否定的側面も体制の根幹を揺るがしかねないレベルにまで達している。従って、ひとたび成長神話が崩壊すれば、たちまち「このコンフリクト(対立・相克)が暴力的な形で出現することになる」(行天氏)のである。そして、それが「天安門事件」の比ではないことは誰の目にも明らかである。もちろん賢明な中国共産党指導部が、これらのことに気づかぬはずがない。だからこそ「反日騒動」を定期的に繰り返し、膨らんだ風船のガスを抜く必要があるのだ。
比較的裕福で、インテリ層に属する学生たちの政治的不満が、苦難にあえぐ農民や「民工」の社会的不満と結合し、反政府へと向かうのを防ぐには、とりあえず「反日」が手っ取り早いのである(自民党の安部幹事長代理あたりも同様の見方をしている)。
人民の支持を失くした共産党が、社会的規範を失くした人民に対して、その独裁支配を正当化する途は、もはや経済成長と「日本軍国主義から祖国を解放したのは共産党である」という錦の御旗の二つしかない。だからこそ「歴史の歪曲」や「軍国主義の復活」に強硬に反対する姿勢が欠かせないのだ。
労働者と農民の党・中国共産党が支配する国で、労働者と農民が搾取され抑圧されている、という大いなる皮肉は、歪みきった中国の今の姿の反映であろう。共産党独裁という今の体制が続く限り、国家が発展し経済が成長すればするほど社会的・政治的不満は拡大し深化する、という政策レベルではどうにもならない構造的矛盾にさいなまされ続けるのである。なぜなら今の共産中国には、「市場経済」=弱肉強食を制御する民主主義もなければ宗教的な社会倫理も存在しないからである。
やはり、この矛盾を解決する途は、もはや共産党支配の終焉=現体制の崩壊しかありえない。そしてその日は、そんなに遠くはない。
最後に「歴史の歪曲」を声高に叫ぶ中国政府が、自国の教科書でいかに「歴史を歪曲」しているかを指摘しておく。
昨年の12月6日付のニューヨーク・タイムズは、上海発で、中国の教科書について「歴史をゆがめ、政治の必要に応じて修正されている」と報道した。
そして、ゆがみの実例として
(1)中国軍はチベットやベトナムに侵攻したのに自衛以外の戦争はしたことがない、と教えている
(2)第二次大戦で日本は米国ではなく中国共産党軍により敗北させられた、と教えている
(3)1950年代に毛沢東主席が断行した「大躍進」の政策失敗で3000万人も餓死した
事実は教えない
(4)朝鮮戦争は米国と韓国が北朝鮮を侵略したことで始まった、と教える
ことなどをあげている。
「中国教科書 歴史を歪曲」米紙報道
NYタイムズ紙が中国は歴史を捏造していると報道
2004年12月8日−産経新聞
なお、今回で、このブログにおいて中国の「反日」に絡む記事を書くのは終わりにしたい。
また、引用元が明らかでない記事や数値は、マスメディアやネット上で私が調査した内容に基づいている。
記事の内容が、いちばん最初の記事中国は何処にと重複していることをご容赦願いたい。
(私のコメント)
今回の中国による官製の反日デモの思惑は完全に失敗した。逆にデモが暴徒化して日本の大使館や領事館や日系の商店を襲うなど、警察もデモを抑えられずに中国政府のもろさを露呈してしまった。また世界各国の論調も中国の態度に批判的であり、胡錦濤国家主席は小泉首相との会談を不利な形で応ぜざるを得なくなってしまった。日本の朝日新聞のような左翼新聞ばかり読んでいる世界情勢の事態を見誤るだろう。
日本のマスコミは中国に誓約書を書かされて中国に批判的なことを書くことが出来ないようだ。だから欧米の新聞が報じたことを二次的に報ずることしか出来ない。教科書問題も靖国問題も歴史問題も正面から日本のマスコミが反論せず、日中友好ばかり書き立てる。一部の保守系の雑誌のみが反論記事を書いていますが、それができるのも雑誌社は中国に特派員を送っておらず誓約書を書かされていないからだ。
欧米のマスコミははっきりと主張や反論を書きたてるので新聞社や記者の主張は良くわかるが、日本の場合は中国の暴動は良くないが日本政府の態度にも問題があるといった形の報道が多い。これでは一体どちらが正しいのかわからないが、欧米のマスコミは悪いことは悪いとはっきりと書く。
今回の場合、中国政府や朝日新聞の思惑が外れたのは中国の反日デモを大きく報じて、しかもはっきりと中国が悪いとはっきりと指摘して、逆に中国の反日教育の内容まで報道した。ちょうどインドネシアで行われたアジア・アフリカ会議は中国や韓国の反日的態度を浮かび上がらせ、ノムヒョン大統領が仕掛けた日本に対する外交的宣戦布告は敗北した。
韓国の代表は三度にわたって日本の植民地支配を非難したが、数百年にわたって支配されたアジア・アフリカ諸国から見ればしらけるものであり同情は得られなかった。インド代表が英国を非難したりインドネシアがオランダをこのような国際会議で非難するということはあっただろうか。それだけ小泉首相の謝罪は異例だったのだ。
今朝のフジテレビでも「報道2001」でも日中問題を取り上げていましたが、宮沢元首相の対中外交が今日の日中摩擦を引き起こした原因だ。中国が強く抗議すれば日本政府が謝罪するといったパターンは、宮沢首相は天皇まで中国に行かせて謝罪させたりして定着させた張本人だ。また二人の中国人の専門家も出ていましたが中国政府のプロパガンダを言うのみで勉強不足が目につきましたが、確信犯なのだろうか。
中国や韓国のしつこい謝罪要求はこのような国際会議の席に明らかにして、その異常さを目立たせるには効果的であった。欧米のマスコミが日本に対しても援護射撃をしてくれたことも日本のマスコミがいかに中国や韓国に弱腰であるかその違いを見せつけた。だからこそ小泉首相の演説は中韓に対して効果的であった。
◆二国関係の「呪縛」 4月23日 雪斎の随想録
http://sessai.cocolog-nifty.com/blog/2005/04/post_05e6_2.html#more
少なくとも、小泉演説は、「日本が何ら過去を反省していない」といった批判の根拠を弱めることには結び付くであろう。振り返れば、中国政府は、反日デモの折に日本の在外公館の保護を徹底できなかったことによって、国際法規上、重大な疑義を残したけれども、そのこと自体は、確かに中国政府の立場を弱めるものであった。何らかの論理や感情に没入して振る舞うことによって、周囲が見えなくなってしまえば、気付いた時には周囲から失笑を向けら・れる結果を招いてしまうことがよくあるものである。恋愛という感情に憑かれた人物にとっては、「あばた」も「えくぼ」に見えるものかもしれないけれども、客観的には、「あばた」は所詮「あばた」でしかない。「あばた」は「あばた」であると指摘する「第三者の声」は、確かに必要なのである。『ワシントン・ポスト』紙(18日付)にフレッド・ハイアットが寄せた『中国の選べる記憶("China's Selective Memory")』という論稿もまた、そうした声の一つに他ならない。この論稿には、次のような記述がある。
なるほど、このような論説が「超絶大国・米国」のクオリティ・ペーパーに載ったことは、中国政府を焦慮させたことであろう。中国政府が対日批判を続ければ続けるほど、「そういうお前は、どうなのだ」という声が噴き上がって来る。韓国政府に比べれば遼かに実利的な中国政府のことであるから、こうした論調が拡がることの不利益を察知したことであろう。
小泉演説の後、中韓両国の反応が伝わって来た。中韓両国は、「言葉ではなく実行を」という点で認識させているけれども、その色調には自ずから差異がある。韓国が相変わらず嵩に掛かったような対日批判を続けているのに対して、中国は、どのような算段があるにせよ「軟化」の気配を示している。その色調の差異が、どのように展開されていくかは。今後の注目に値しよう。
(私のコメント)
ワシントンポストの記事は22日の株式日記でも紹介しましたが、このようなことは株式日記で指摘してきたことであり、ネットで欧米の論調などをいつもチェックしていれば日本の新聞論調が世界の見識とズレがあることがよくわかるだろう。最近の新聞記事にしてもテレビの報道番組を見ても記者やコメンテーターの質の低さが目に付いて仕方がない。これではホリエモンに買収されても誰も惜しいとは思わないだろう。