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『 日中戦争 知られざる真実 』 黄文雄 著
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「日中戦争についての一般常識、あるいはイメージとして定着しているのは、南京大虐殺、三光作戦、
万人坑、七三一部隊、従軍慰安婦などに代表される日本軍の侵略と陰謀、略奪と残虐行為等々であり、
ほとんどが日本側の悪逆非道の話ばかりである。
これらはすべて捏造された歴史だ。
もし良識ある学者なら、悪逆非道だったのは日本軍より中国軍の方であり、しかもその悪逆は中国の
伝統文化に基づいたものだったとわかるはずである。
ここで指摘しておきたいことは、日中戦争は二つの国家間の戦争というより、もっと複雑かつ重層的な
性格を持つ戦争だったということだ。
たとえば「日中八年戦争(八年抗戦)」や「十五年戦争」という呼称の当否をめぐりさまざまな議論を
行われてきたが、そもそも日中双方の本格的な戦争は、じつに盧溝橋事件から武漢陥落までの一年余りで
大勢が定まり、その後は実質的には日中戦争というより汪兆銘の南京政府、蒋介石の重慶政府、
毛沢東の延安政府による三つ巴の戦いとなったのである。
いわば日中戦争は、列強をも引き込んだ中国の内戦であり、あるいは列強(帝国主義といわれるもの)の
代理戦争という側面があった。つまりこの戦争は、基本的には内戦の一環であり、またはその延長だった。
中国の内戦は、すでにアヘン戦争より以前の十八世紀の白蓮教徒の乱から太平天国の乱、回教徒などの宗教、
民族的な反乱等、間断なく発生していた。ことに辛亥革命による清帝国の崩壊と中華民国の成立で、
中国は本格的な多政府戦乱国家の時代に入った。そして軍閥内戦、国民党内戦、国共内戦、さらには
中華人民共和国成立後の文化大革命とその収拾に至るまで戦乱は続いていたのである。
もちろんこれら内戦、内乱、内訌の背景には、自然破壊がもたらした天災や飢饉、匪乱の連鎖的な繰り返し、
つまり大量の餓死、殺戮の拡大再生産という悪循環の社会環境があった。
このような十八世紀から文革に至るまでの中国における状況は、現在のアフガニスタンとよく似ているように思える。
このような戦乱、飢饉の他政府乱立の中国に、列強が介入した(あるいは巻き込まれた)、というのが
日中戦争だった。外国を利用した中国の戦争は、日中戦争が終結し、中華人民共和国が成立した後も続いた。
朝鮮戦争、ベトナム戦争、カンボジア内戦などの介入がそれだ。
日中戦争を日本の一方的な計画的侵略の陰謀と見る学者たちにかかると、戦争の起点は満州事変、日清・日露戦争、
明治維新、さらには豊臣秀吉の朝鮮出兵と、際限なく遡っていく。そこには、日本人は根っからの好戦的民族だという
先入観なり思い込みがあるようだが、果たしてそれは正しいか。
本書を一読すれば、日中戦争において、被害者はむしろ日本の方だった、ということがわかるはずだ。
日本は中国の反日侮日の陰謀と挑発にまんまと乗せられた。好戦的にして無責任な中国各勢力の罠にはまり、
いくら和平交渉を試みても、中国内戦のブラックホールに吸い込まれ、抜け出すことはついにできなかった。
現在、中国政府と反日日本人が手を組んで、日本軍の一方的な侵略や暴行を針小棒大的に言いたて、非難、譴責を
続けているが、彼らの歴史捏造の手口を本書は明らかにしたい。」